lens, align.

Lang ist Die Zeit, es ereignet sich aber Das Wahre.

Gold Panda / "Companion"

2010-04-30 17:37:15 | music10
Gpconpanion

□ Gold Panda / "Companion"

♪ <script type="text/javascript" src="http://mediaplayer.yahoo.com/js"></script>Quitter's Raga
Black Home

Release Date; 21/04/2010
Copyright; Gold Panda
Format: m4a (iTunes music)
Note; CD Version only available in Japanese.

>> http://iamgoldpanda.com/
>> http://www.myspace.com/goldpanda


>> tracklisting.

01. Quitters Raga
02. Fifth Ave
03. Like Totally
04. Back Home
05. Mayuri
06. Long Vacation
07. Lonely Owl
08. I Suppose I Should Say 'Thanks' Or Some Shit
09. Heaps
10. Bad Day Bad Loop
11. Triangle Cloud
12. Win-San Western
13. Police

All Tracks Written & Produced by Gold Panda

□ "Quitters Raga" Official Video

</object>

【GOLD PANDA とは?】
UK イースト・ロンドンのダブステップのプロデューサー/ リミキサーで、UK の名門インディレーベル、Wichita(Bloc Party, Simian Mobile Disco, The Cribs, Peter Bjorn And John, Clap Your Hands Say Yeah, etc)がマネージメントとして手掛けるアーティストです。


現在まで3 枚のEP( 'Miyamae' [Various]、 'Quitters Raga' [Makemine]、'Before' EP[self-released])をリリース。既にBloc Party、Little Boots、 Zero 7、Simian Mobile Disco 他のリミックスを手掛け注目を浴びています。

毎年恒例のBBC のサウンドオブ2010(2010 年にブレイクが予想される15 組のアーティストの特集)や、Pitchfork のリーダーズポールの2010 年期待の新人の一人に選出されるなど、今年のブレイク候補と世界的に大きな注目を浴びているアーティストです。ちなみに2009 年のPichfork の“The Top 100 Tracks of 2009(2009 年のベスト100 曲)”にも、先のEP の楽曲が選ばれています。
(from: Varicount Records Official site)

とまぁ、何やら鳴り物入りで脚光を浴びることとなったGold Panda。日本限定盤アルバムとしてリリースされた"Companion"は、Gold Panda名義で昨年より発表されてきたEP収録楽曲の集成となっており、新曲は一切含まれていないので注意。(※ 一部では誤認されている。)


その日本人好みしそうなメランコリックかつオリエンタルなフレーバーに満ちた楽曲と相俟って、日本在住経験もあるコネクションからか、やたらと持ち上げられるようになった経緯もあり、既に日本では多くの音楽メディアにインタビューを提供している。


その中で彼は、彼自身を括っている「ダブステップ」クリエイターという紹介を軽やかに一蹴して見せる。確かにGold Pandaの音楽は、そのような最先端を走るスタイリッシュさとはかけ離れた手作り感に溢れている。先鋭的なサウンドを求めるにも大味過ぎて、カットアップ・コラージュものとしてもレイヤーが薄過ぎる。



しかし、楽曲毎のつながりもまるでチグハグなパッチワークなのに、それぞれが色を補い合って一つのおもちゃ箱が完成するような、そんな楽しみに満ちているのだ。メディアが讃えるような先進性やアイデアというのは、実はエレクトロニカ/IDMのフレームに照らして、このアルバムには何ら目新しいものは見当たらない。

ただ言えるのは、「音楽で遊ぶ」という最も単純で無邪気さに溢れた楽しみ方を、(ただ明朗にではなく何処か郷愁を背負いながら、)リスナーの心を打つように思い出させてくれる。そういった意味で、とかくけったいに考えがちな音楽ライターやクリエイター自身に支持されることが多いのかもしれない。



映像と電子ノイズ、民族音楽との不思議なミスマッチを見せるミュージック・クリップが印象的な"Quitter's Raga"にしても、インド人やパキスタン人、バングラデシュ人の祈りの歌が生活に溶け込んでいたというロンドンの都市の一角に暮らしていた想い出を、音というペイントに滲ませてみたものだという。


彼はつい最近になってautechreの作品の良さを理解出来たという。曰く、「音楽を生み出す過程にこそ興奮する」ということで、実は彼自身はもうこんな寄せ集めのアルバムからは、とっくに心離れしてしまっているのかもしれない。(そんなことはないと信じたいが。。)



本国におけるGold Pandaの活動としては、4月でCaribou (Dan Snaith/Manitoba)とのツアーを終了した後も欧州とアメリカを周り、新作EP、"You"の7'' vinylをリリース予定。(ダウンロード販売中)こちらも"Quitter's Raga"と同系統のエスノ・オリエンタル・エレクトロニカの趣となっている。


画像で振り返るハッブル20年史 - The Hubble Space Telescope 20th Anniversary

2010-04-30 13:58:20 | Science
Hubble Captures View of
Source: Hubblesite.org


□ The Hubble Space Telescope 20th Anniversary

>> http://hubblesite.org/
>> http://www.nature.com/news/specials/hubble/index.html


□ The Hubble Slideshow

>> http://www.nature.com/news/specials/hubble/slideshow.html


□ Recommend Picture

>> "Pismis 24" (National Geographic)


地球の軌道上空600kmを周回する『宇宙の目』、ハッブル宇宙望遠鏡が打ち上げられてから20周年。この節目を記念して、NASAはこれまで秘蔵していたハッブルの画像資料の多くを改めて公開。これを用いた様々な特集が各種科学ジャーナルで企画されています。


トップの画像は、丁度20年目にあたる今月26日に撮影された記念すべき一枚。「りゅうこつ座 ηカリーナ星雲の一部」を最新の画像処理技術で捉えたもので、山状の先端部分からの高さは3光年に及びます。

永きに渡り相次ぐ故障トラブルを伴侶としてきたハッブルですが、補修と改良を繰り返しながら20年目にして辿り着いたのは、まさに驚異と奇蹟に溢れた神威の領域と言えるでしょう。



Natureで特集されているスライドショーでは、そんなハッブルの捉えた光景の経過と変遷から、宇宙史的事件や為し遂げた功績を振り返ろうというもので、とても簡便にわかりやすくまとめられています。


National Geographicが取り挙げている『ピスミス24』は、2006年の撮影ながら、私が最も気に入っている写真の一つで、宇宙論の矛盾を光学的な「観測結果」で紐解いた象徴的な例としても挙げられるでしょう。

2013年には後継機であるジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡 (JWST)が打ち上げられる予定ですが、今現在のハッブルの寿命とされている2014年の最期の瞬間まで、きっと未知の感動を送り続けてくれるに違いありません。


舌と慰め

2010-04-30 13:06:22 | 日記・エッセイ・コラム
獣の間にエロスは媒介しないが、
獣性は人の内に認められる。

言葉を織り成し、知性の源泉たる舌の根によって
人は人と結びつき、ときにそれをお互いの慰めとして用いる。

性的な交歓としてこれを接続する場合は、
人を人足らしめているエロスと
獣性を露にする衝動の相克によって
我を失うような感覚に蹂躙される

そしてそれこそが、
エロスの目的として達せられるという事実となる。


2010-04-30 09:46:09 | 日記・エッセイ・コラム
目覚めたら吹雪は凪いでいた。
蒼い月の光環に朧朧と浮かぶ雪の斜面は、
先ほどまでの喧囂な振る舞いなど微塵も留めず
永遠に凍り付いたかのような漣の紋様を、
この荒寥たる原野いっぱいに描き出している。

一度疑いようもなく私の魂は燃え散り、
今ここで結晶を果たしたのかもしれなかった。
闇に凍えそうな時、
私はいつも記憶の中のこの場所に還ってくる。

ありもしないほど軽率で、ありふれたほど冷酷な
「日常」という幻想に囚われて
ただ悲嘆に暮れ、やがて来る絶望を怖れた。


幸か不幸か吹雪は去り、無限の闇に浮かぶのは、
眼も眩む程のクリスタルを散らしたような星々と、
仄かに体温を遺して伝い落ちる涙だけだった。


わたしが私自身であること、
或は私から剥がれ落ちた感情そのもの、
そのどちらであるのか、今もって知る術はない。

少なくとも、ここに抉り取られた深淵は、
十年はおろか百年、いや、たとえ一億年経ったとしても
癒着を遂げることは永久に無いだろう。


だが私は今、「私」という自我、人間という限界の中で
この茫漠とした無限を感じることが出来る。
否、可知たる現実とは既に、
同時に他者を内包する自我というプリズムから
転写される不可触たる無限の投影に違いないのだ。
そして心とは「反射する律動」である。


そんな日常と無限の狭間を揺らめきながら、
人は自意識を維持している。

私の場合は、
あの星の夜、あの場所、あの時間が結晶の如く定在化して、
かつて喪失してしまった「それ」に成り代わるように、
迷宮に彷徨いこんだ日常と無意識とを調律している。


人は心について語り、心は人について語ろうとする。
そのどちら側に「私」は居て、或はどちらも存在しないのか、

たった一つ確かなことは、
あれからずっと想い続けて来たことは、
私は「あなた」に居て欲しいんだ。