愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

京都 嵯峨野の茅葺き民家-7 

2014年04月15日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

嵯峨野の東外れ、広沢の池に道路を挟んで対面する台地に建っている。 

付近には大きい造園屋さんが多く、それぞれが多くの木立や屋敷林に囲まれ、なかなか全容を撮影出来るスポットは無い。

この民家は特に大きい敷地の造園屋さん、周りには灯籠などの石造品や木立に覆われ撮影スポット限定二ヶ所・・

さすが造園業を営む民家、それはそれなりの風情を感じさせる佇まいです。

四方廻りの棧瓦下屋の上に大きい入母屋造りの茅葺き屋根を載せ、棟押さえの芯木には根の付いた青竹を載せて居る様に見える。

撮影2013.9.9


京都 嵯峨野の茅葺き民家-6 

2014年04月14日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

京都嵯峨野、昔ながらの農家の面影を残す茅葺き民家。

「きょうと~嵯峨野の大覚寺・・・・」、ちょうどその北西裏に位置する「丹波型入母屋造り」の茅葺き屋根。

前回紹介の大庄屋屋敷にも程近い場所、数十年前にはポツポツとこんな茅葺き屋根が散在してたのだろう・・・・

もう殆ど周りの民家には、昔ながらの農家の面影を残すものは見いだせない。 

撮影2013.9.9


京都 嵯峨野の茅葺民家-5

2014年04月13日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

前回UPの農家よりわずか100m程離れた大きな屋敷の中に建つ茅葺き民家。

嵯峨野、田園風景の中、集落の一画を占める大屋敷の中、母屋と母屋から連結した豪壮な茅葺き屋根が見える。

付近一帯を治める大地主だったのだろうか?、広大な屋敷を白壁土蔵が取り囲み、棟門の奥には格調高い茅葺き屋根。

しかし傷みは酷く、白壁土塀越しに見る主屋と、そこからせり出した中門造りのような脇屋の棟には防水シートが掛けられ、ちょっと艷消し。

門を潜って前庭に入っても全容は見えず、ただ玄関脇の式台がこの家の家格をを表して居る様に思える。

撮影2013.9.9


京都 嵯峨野の茅葺き民家-4

2014年04月12日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

京都、嵯峨野でも少なくなった長閑な田園風景の中に佇む大きい茅葺き母屋を持つ民家。

大覚寺大沢の池からも程近く、懐かしい昔ながらの景観の中、威風堂々の茅葺き民家。

片妻入母屋、片側切妻のの様にも見えるが確認は怠った。

茅葺き屋根は葺き替えて、さ程間もないのか整然と美しさを保っている。

近くの畑で農作業をしていた老人に声をかけるとその人の家だと言う事、現在もこの嵯峨野で農家として続いている。

この一大観光地で脈々と農業を継承し、代々の屋敷や茅葺き屋根を守って行くのは、並大抵の事ではないはずなのに・・・・

撮影2013.9.9


京都 嵯峨嵐山の茅葺き民家-1

2014年04月11日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

我が家からチャリを駆って出掛けた嵐山、その嵐山公園「渡月橋 」脇でこの日、最初に出逢った茅葺き屋根。

昨年9月、あの台 風1 8号の影響に依る未曾有の大増水で被害を受ける一週間程前の姿・・・・、まあ建物自身は無事だったようですが?。

観光コースの真っ只中に有る小さな茅葺き屋根の茶店土産物屋さん、立ち替わり入れ替わり観光客が訪れ記念写真を撮っている。

小さな田舎家風の入母屋茅葺き屋根は元からここに在ったもになのだろうか・・・はたまた観光用として何処からか移築したのだろうか??

 

嵐山、 嵯峨野観光のスポット的景観として無くては為らない存在となって居る。

撮影2013.9.9


京都 嵯峨野の茅葺き民家ー2

2014年04月10日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

先日紹介の新築茅葺き民家から、田圃二枚程離れて建っている茅葺き民家。

あの茅葺き新築民家を脇から撮ろうと横に廻り、黄金色の穂をつけた稲田越しに入母屋茅葺き民家を見つけた。

その日は時間の制約もあり、田圃越しだけの撮影で終え、この春先、三月中旬再度出掛けて撮影して来た。

写真では旨く誤魔化しているのですが建て込んだ路地奥にあり、どうにもこちら側からしか撮影出来なかった。

脇に現代風新築離れ家があり、生活の主体そちらに移って居るようですが・・・・・。

この民家はその昔一般農家だったような気がする。

撮影2013.9.9/2014.3.17


京都 嵯峨野の茅葺き民家-1

2014年04月09日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

去年秋の始め、京都嵯峨野の観光コースを少し離れた一画に新築中の茅葺き民家を見つけた。

稲穂の垂れ下がり始めた田んぼを前、緑濃いなだらかな山斜面を背景に2軒の茅葺き屋根が見える。

瀟洒な茅葺き門とその奥に真新しく吹き上がった茅葺き屋根が眩いばかりに目に飛び込む。

少し横に廻って覗いてみるとまだ内部の造作中、工事の人たちが見え隠れする。

<この写真のみ2014.3.17撮影>

しかし、この世の中、嵯峨野の奥まったこの地にこの建物の新築・・・・一体どんな人が住まうのだろうか、はたまた有名人の別宅なのだろうか??

今年の春先に訪ねたらまだ工事は続いてた。

少し間をあけた隣家もこんな茅葺き民家・・・・この家もただの民家だとは思えないような佇まいでした。

撮影2013.9.9:2014.3.17


大和郡山市 大和民俗公園の旧松井家住宅

2014年04月08日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

大和民俗公園、最後に残った茅葺き民家「旧松井家住宅」。

素朴で大きい葺き下ろしの入母屋造り・茅葺き屋根が良く目立ちます。

旧松井家住宅は元、旧室生村上笠間にあり、その昔、代官を務めた子孫と伝えられて居ます。

深く葺き降ろされた大きい茅葺き屋根は、この民家の家格を良く表している。

母屋は桁行11.2メートル、梁間8.6メートル、右手妻下に唯一、小さな板葺き庇を出してアクセントと成っている。

昭和62年、この地にに移築、解体中に発見された祈祷札の文政13年3月(1830ー江戸後期)以前の建築で有ることが窺える。

旧室生村上笠間は大和高原南東部、狭い谷間に開けた鄙びた集落・・・・しかし現在茅葺き屋根は全く姿を消してしまった。

撮影2013.6.29


大和郡山市 大和民俗公園の八重川家住宅

2014年04月07日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

同じく大和民俗公園内、昨日紹介の「旧岩本家住宅」に隣接して建って居ます。

同じように見える茅葺き葺き下ろし民家が並んで居ますが、手前の民家が八重川家住宅。

 

旧八重川家は名阪国道、針インター近くの旧都祁村役場の近く、旧街道に沿いに建てられて居て、平成四年、この地に移築されました。

代々農業を営んだ家系で建物の形式手法上からみて19世紀前半頃の建築だとされて居ます。

大きく葺き下ろした向かって右側妻には独特で小さな煙り出し・・・・

大きい葺き下ろし茅葺き屋根は寄棟、桁行11メートル、梁間8メートル・・・もうこの様な民家は古い景観の残る元の現地でも見られない。

四方を土壁で仕上げ、開口部は少なく、この地域の一般的な住宅の典型的事例として貴重なものだそうです。

建築年代は明確ではありませんが、形式手法から江戸時代末期だとされて居ます。

撮影2013.6.29


大和郡山市 大和民俗公園の旧岩本家住宅

2014年04月06日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

引き続き大和民俗公園、少し離れて宇陀・東山区域に建つ「旧岩本家住宅」の茅葺き屋根。

二軒並び建つ手前の大きい葺き下ろしの茅葺き民家。

元、奈良県南東部の山間地域、伊勢本街道「旧室生村黒岩」に在り、農業・林業を営み、庄屋年寄を務めたと言われて居ます。

大きい茅葺き葺き下ろし入母屋造屋根は間口約七間、奥行き五間半、いかにも素朴な山間集落の民家をよく残している。

正面から見ると、いかにも古い絵本に描かれて居そうな茅葺き屋根、その構造様式から江戸末期の嘉永頃(1850年頃)の建築だと言われて居ます。

旧室生村黒岩は今でも鄙びた山間集落、しかし現在、全く茅葺き民家は姿を消してしまった。

この妻側の姿を見て入母屋造りとするか?寄せ棟とするかは微妙・・。

内部にも改造はほとんどなく、西北馬屋を配し奥にかまど・流し・唐臼を備え当初の状態が良く保存されて居る。

撮影2013.6.29


大和郡山市 大和民俗公園の旧萩原家住宅、旧赤土家離座敷

2014年04月05日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

大和民俗公園内、前日の「旧吉川家住宅」の隣地に並び建つ二棟の茅葺民家。

少し引いて眺めると真ん中の白壁土蔵が有り、三棟の茅葺き屋根が整然と建ち並んでいる。

二棟がL字型に建つ大きい茅葺き屋根の民家が、桜井市下(旧下村)に在った旧萩原家住宅をここに解体移築。

上級農家で組頭を務めた家柄、元、宿場で栄えた桜井から南方へ約2km、多武峰に向う街道に沿った下村の丘陵部に屋敷を構えて居た。

 

この主屋は間口六間、奥行四間、入母屋造の葺き下ろし、背面には庇を付け本瓦で葺いている。

建築年代は不確なようですが、その構造から江戸中期元禄頃の建築のようです。

隣接する小さな茅葺き母屋を乗せた民家が「旧赤土家離座敷」

元、香芝市狐井の赤土家に在り、昭和52年ここに移築された。

本瓦葺き下屋に小さな入母屋造り茅葺き母屋を乗せ、内部も八畳一室でと小さい。

赤土家は楠木氏を祖とする農家で、庄屋を務めたと伝えられ、小規模ながら均整のよくとれた建築美を今に伝えて居る。

撮影2013.6.23


大和郡山市 大和民俗公園の旧吉川家住宅

2014年04月04日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

前回に同じく大和民俗公園内に移築された吉川家住宅。

大和民俗公園の中央部区画に三棟並び建つ一番手前の茅葺き民家。

奈良県中央部、国中平野、元、橿原市中町有り、庄屋を務めた国中地域を代表する典型的な茅葺き屋根の上級農家建築。

本瓦葺き下屋の上に桁行約13m、梁間8.5mの入母屋造、茅葺母屋を載せて居る。

建物周囲の壁は全て土壁仕上げ、往時の様子をよく伝えて居るが・・・生活感を全く感じることの無い移築展示物はセミの抜け殻の様に虚しい。

まあ、しかし抜け殻で有るにせよ、こうして保存されて居る事は有難い。

因みに、元禄16年(1703)頃の建築だとされ、「旧吉川家住宅」として奈良県の文化財に指定されている。

撮影2013.6.29


大和郡山市 大和民俗公園の旧臼井家住宅

2014年04月03日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

大和郡山市、矢田丘陵東部山裾の大和民俗公園内に移築された茅葺き民家。

民家エリアの一番入口に近い一画に建つとてもワイドな、まるで長屋門を思わせる様な茅葺き屋根を持つ民家。

桁行18メートル、梁間7メートル、屋根は切妻造茅葺で下屋は浅い庇の本瓦葺と成っています。

この民家は元、高市郡高取町上土佐に有り、昭和51年この地に解体移設されたもの。

建築年代は確定されていませんが、江戸中期1700年代前期の建築と考えられて居ます。

往時、旧高取城大手へ通じる道の北側に屋敷を構え、代々、屋号を「伊勢屋」と称し、藩の公用伝馬の役を務めるかたわら、酒、醤油の販売を営み、大年寄も兼務していた。

昭和49年、臼井家住宅として国の重要文化財に指定されている。

撮影2013.6.29


伊賀市 予野の茅葺き民家

2014年04月02日 | 茅葺き屋根(同)三重県

伊賀市予野、県道沿いにあり、NETでも何度か見かけた事のある茅葺民家。

伊賀市南部郊外、県道687号線沿いの田圃の中に単独で屋敷を構えて居るのでよく目立つ

見る方向によっては長閑な集落の家並を従える様に凛々しく建っている。

いわゆる伊賀型茅葺き屋根の典型・・・

寄棟茅葺き屋根に大きな棧瓦の箱棟を載せ、

片妻にせり出した棧瓦葺き下屋の上に被さる様に茅葺き寄棟妻が乗っかて居る。

よく整えられ、手入れの行き届いた玄関口は母屋屋根の傷みの少なさと共に、この民家がまだまだ健在で有り続ける事を証明してるかの様です。

緑濃い田園風景の中に建つ茅葺き母屋の民家は、そのままで絵になる存在です。

一昔前にはそんな民家がいっぱい並んで居たんだろう・・・

撮影2013.7.13


奈良市旧田原村 沓掛町の茅葺き民家

2014年04月01日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

もう相当くたびれた茅葺き屋根が緑濃い稲田を前に佇んでいました。

 

旧田原村から水間峠のトンネルに差し掛かる手前の集落「沓掛町」の家並みの中の見つけた一軒の茅葺き民家。

小規模な棚田を前景に懐かしい匂いの感じられる家並が有ります。

近づいてみると・・・そんな集落の最上段、稲田に囲まれ、一軒の古い農家の屋敷が有りました

棟裄の長い入母屋造りにトタンの棟覆いを懸け、茅葺き屋根は相当やせ細り肋骨まで見えて居ます。

それでも青田や萌える緑の中に有る古い農家の茅葺き屋根は、それだけでも僕の目を充分に楽しませてくれるものでした。

撮影2013.7.13