オドロオドロしい程に荒れ果て、最早雑木混じりの竹林と化し、薄暗く近付く人さえ希な磨崖石仏。
<磨崖仏は右手ブッシュの奥に在る>
旧田山小学校の程近く、華将寺跡に有り、往時大阪城の石垣用材として持ち出されない様にこれらの石仏や碑を彫り刻んだと言い伝えられている。
入口側から正面を見るとこんな感じ、大岩は高さ約3.5m、幅約4.5m、奥行3.8mのなだらかな山形花崗岩。
南面する正面岩肌には地蔵石仏や五輪塔・碑型など約20基・・・・その異様さと数の多さに度肝を抜かされる。
続く東面には約40基が刻まれると言うが最早、苔むし過ぎて朧げながらそれと解る程度・・・・。
岩の上にも枯葉が積り、最早花を手向ける人も居ない事を悟らずにはいられない。
しかし正面側の石仏には見るべきものが有り・・・・
特に上部の最大石仏は像高約80cm足らず、そのスラっとした像容、蓮台形式から室町後期降らぬ造立だと考えられ、その後順次追刻を繰り返し、幕末安永頃までの銘が確認されて居る。
しかし哀しいかな、ここまで苔むすと、何が何やら・・・お手上げです
撮影2012.4.30