Neurology 興味を持った「脳神経内科」論文

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90歳になっても神経細胞は新生し成熟する! ―アルツハイマー病治療へのインパクト-

2019年04月09日 | 認知症
アルツハイマー病(AD)は,記憶に関わる神経細胞が変性し,徐々に失われていく疾患として捉えられてきた.今回紹介する論文は,この定説を否定しうるものであり,先日紹介したADは歯周病菌によりもたらされるという研究に匹敵するほどのインパクトがある.アミロイドβやタウを中心に進められてきたAD治療研究であるが,最近の驚くべき報告を読むと,まだまだ想像もつかない発見がこれからなされるのではないかと思わずにいられない.

【背景:覆された定説】
学生の頃,「成人の脳では,新たな神経細胞は決して生まれない」と教わった.これはスペインの神経解剖学者で「巨人」とも言われるラモン・カハールが,他の臓器と違って,脳には生まれたばかりの未成熟な神経細胞がまったく見当たらないという記載に基づくもので,以後,定説となった.ところが20年ほど前,米国ソーク研究所から,この説を否定する研究が報告された.げっ歯類の検討で,記憶を作り出す「海馬」の「歯状回(小児の歯のような隆起が一列に並んでいる部位)」に,例外的に神経細胞が生まれ続けているという報告であった.成体海馬における神経細胞発生(adult hippocampal neurogenesis;AHN)と呼ばれる現象である.この細胞が減少すると,学習と記憶も衰退することも明らかにされた.

問題はヒトではどうかということだが,2018年になり,ヒト成人脳における神経細胞の新生は「ある」という報告と「ない」という報告,つまり相反する研究論文が続々と発表された.この理由は,死者脳の検索では,ドナーの生前ないし死後の状態がさまざまであること,さらに神経細胞の新生を調べる実験プロトコールも研究室によってさまざまであることが影響していると推測されていた.とくに未成熟神経細胞のマーカーとして広く利用されている「ダブルコルチン」は細胞骨格の微小管と結合するため,標本の固定条件をきわめて厳密に決めないと検出できない恐れがあった.このため,ヒト成人脳の海馬(図A)の歯状回における神経細胞の新生を正確に評価する方法の開発が求められていた.

【ヒト成人脳における未成熟神経細胞の観察技術が開発された】
最新号のNature Medicine誌に,スペインの研究グループが,未成熟神経細胞を可視化する実験プロトコールを発表した.具体的には死亡から脳組織の固定までの時間を短縮し,標本の固定条件を最適化し,自家蛍光を抑制し,抗原を賦活化し,そしてダブルコルチンの複数の抗体を検証した.さらにさまざまな細胞マーカーを用いた免疫染色を行い,未成熟神経細胞の発生から成熟神経細胞に至るまでの各ステージを判別できるようにした.この努力の結果,以下に示す2つの知見が明らかにされた.

【知見1:健常者では87歳になっても神経細胞の新生と成熟が見られる】
43~87歳の13名の健常成人の海馬歯状回を対象として,未成熟神経細胞の成熟化の過程を示すさまざまなマーカーを用いた免疫染色を行った.この結果,未成熟神経細胞は老化とともに減少はするものの,先行研究よりもはるかに多い細胞が87歳のヒトにおいても存在し,さらにさまざまな成熟段階の神経細胞も確認された.ダブルコルチン陽性細胞は海馬歯状回にのみ存在し(図Bの赤い細胞),この細胞から派生したと考えられる分化細胞が存在していた.つまり,ヒト海馬では,一生,新たな神経細胞が生み出され,その神経細胞は既存の神経ネットワークに組み込まれて,学習や記憶などの海馬の機能を維持するものと考えられた.

【知見2:AD患者では神経細胞の新生は減少し,成熟化も顕著に減少する】

次に52~97歳までのAD患者45名の海馬を検討したところ,ダブルコルチン陽性細胞は病期の初期から著しく低下していること,また年齢とは無関係にADの病期が進むほど低下することが明らかになった(図C).さらに神経細胞の分化マーカーを用いた研究から,ADでは未成熟神経細胞の成熟過程が強く抑制されていることも示された.つまりAD脳では未成熟神経細胞は存在するものの,脳回路には組み込まれず,記憶や学習に役割を果たせない可能性が示唆された.

【AD治療への応用と日々の生活への影響】
今までの治療の標的はすでに存在する神経細胞を守ることが目的であった.具体的な標的はアミロイドβやタウであった.しかしもし今回の研究が正しく,「海馬における未成熟神経細胞の減少と成熟の阻害」がADの独立した原因の一つであるなら,アミロイドβやタウに対して治療を行っても,ADを改善できない可能性も出てくる.逆に成体海馬における神経細胞発生や成熟を促進する治療が開発されれば,記憶の低下を抑制し,場合によっては回復できる可能性も生じる.
今後の課題は,未成熟神経細胞の減少がADの原因なのか結果なのかを完全に明らかにすること,もし原因であれば未成熟神経細胞からの成熟過程が,なぜADで抑制されるのかを明らかにすることであろう.動物モデルの検討では,運動やたくさんの刺激がある環境にいることが歯状回神経細胞の増加に良いことも明らかになっている.今後,さらにどんな生活習慣や治療がより良い効果をもたらすか検討が進められるだろう.

【最後に】
本研究はAD治療へのインパクトだけでなく,多くの人を元気づけるものだと思う.脳の神経細胞はある時期から減り続けるのではなく,高齢になっても歯状回にて新しく生まれ続けるのだ.だからこそ私たちは高齢になっても,日々のさまざまな経験を記憶していけるのだ.「年だから物が覚えられないのは仕方がない」と消極的になるのではなく,「海馬では一生,記憶に関わる神経細胞が作られるのだから,頑張って新しいことにチャレンジしよう」という気持ちをもつことが生活を豊かにし,結果的にADに対しても抑制効果を持つように思う.

Adult hippocampal neurogenesis is abundant in neurologically healthy subjects and drops sharply in patients with Alzheimer’s disease. Moreno-Jiménez EP, et al. Nat Med. 2019-03-25 (on line)



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