Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

槍先の鋭さで一刀両断

2015-09-26 | 
承前)この間、「神々の黄昏」の第二幕のエアーチェックを何回も流していた。詳しく書くには、かなり入り込んだことになるので、まだまだ時間をかけなければいけないかと感じたからだ。今回の演奏を聞いてみて、やはり二幕の狩りの合唱の場面の音楽はとても斬新な和声で書かれていて、その後のブリュンヒルデ、ハーゲンとグンターの復讐の契約三重唱へと楽匠の創作の行き着いたところであることを改めて確認する。その動機の扱い方も一般的に挙げられるライトモティーフよりも細かな音型などにも技が活きていて ― そもそもライトモティーフ自体が本人の分類ではなくて、もっと細かな音形の創作ノートを使っていたのだろう ―、既に触れた幕前のシンコーペーションなどがここに来て大きな効果を上げながら、最後には交響楽的なクライマックスを築いている。

初演に立ち会ったプリングスハイム氏は、この狩の場面にも注目していた。なるほど、そこでの和声は我々からするとシェーンベルク作曲「グレの歌」の音楽を想起させずには居られないが、当時の音楽通にとってはとても刺激的なものであることを改めて実感させてくれる。

そして、ブリュンヒルデの卒倒シーンから復讐のトリオまでの劇的な構成は、槍の動機の鋭さにて頂点を迎える運命の時そのものなのだが、音響的に聞こえないとアルフレード・プリングスハイムの苦情するヴァイオリンなどの美しい旋律がこれほど美しく響くことも珍しく、ブリュンヒルデの嘆きなどが、まさしく不快でさえあるシンコペーションのハーゲンの動機との大きな対比を形作る。

また、ここでも「指輪」百年にして初めて再現できた、細部まで祝祭劇場に響かせた演奏実践であり、同時に初演当時に苦情されていた声が埋もれたりすることが一切無く絶対的で圧倒的な交響的音響を響かせた初めての公演だったのだろう。

リヒャルト・ヴァークナーの音楽にグスタフ・マーラーの萌芽をこれほど示した演奏はない。そのドイツ音楽を超越した音楽を、演奏家などのユダヤ人の世界で創作活動を続けていた楽匠の「ユダヤ人コムプレックス」へと進んでいったのを、この演奏を通じてその細部まで音楽を知るときに確信として認知するに至るのである。まだ、これから大詰めの三幕へと続くのであるが、2013年から2015年まで演奏された楽劇「ニーベルングの指輪」の指揮者ペトレンコの稀にみる豊かな音楽性だけではなくて、その歴史的な意味合いを考えるに十分なこの二幕の演奏実践であった。(続く



参照:
ヴァークナー熱狂の典型的な例 2014-07-26 | 音
お宝は流れ流れて 2005-03-15 | 文学・思想
「指輪」に賭けてみようか 2012-10-17 | 文化一般

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