Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

正しく共有されない情報

2015-09-08 | 雑感
車中のラディオは、難民の増加で州毎に百億円以上の負担が計算されているとあった。そしてそのことでの増税はないと声明されていた。かなりの経済的な重荷である。東ドイツにはまだ今後四半世紀ほどの援助が必要になるとされている。そのための財政再建で、今後も健全な財政が期待される。

関係するのかどうかはわからないが、指揮者のリカルド·シャイーが、任期を四年残してライプツィッヒのゲヴァントハウス管弦楽団との契約を破棄したという。そもそも前任のアムステルダムの管弦楽団からすると、それほどの新しいレパートリーも期待できない管弦楽団に移ったのは何故だったのだろうか。一部雑誌などでは最も実力のある指揮者として、サイモン·ラトルの上位に選ばれ、同じ雑誌ではゲヴァントハウスもベルリン、アムステルダム、ヴィーンについで四番目になっているというから驚く。そのような市場がどこかにあるということらしい。

シナの金融市場の不安からその実態についての討論会があったのを少し耳にした。要は、中共のシステムではアベノミクスと同じくで将来性がないということらしい。その産業構造なども底が浅いので、いずれ駄目になるのはわかっている。その一方、その構造的な問題のわからないシナ人なども、まだまだ農民などの生活程度が低いので都市部の住人と同じようになるまでは成長が続くと考えているようだ。農民を馬鹿にしているシナ人自身がそれを信じているのがまさしくこの構造が砂上の楼閣であることを証明している。

経済の本質を考えれば、日本企業などがシナの一割の裕福層があればそれだけでも十分な市場とみて、それなりの期待をしているようだが、上のような格差があるところでは創造的な開発も仕事も成り立たないことは、既にサーヴィスなどの分野で伸びないシナの産業にもその産業構造にも如実に反映している。ようやく、ドイツにおいてもシナの産業に懐疑が出てきているのは当然のことだろう。

日本のおかしいところは、戦前と同じくやはり情報が正しく共有されていないことで、暴買に表れるように、シナにおいても日本の満州政策などで決して悪いだけでの評価ではない。そうした面が情報として共有されることなしに、ただただ抗日などの政治的な中共の政策がアナウンスされるだけで、嫌中意識が増殖されている。その背後には米国の計略とそれを利用する支配層の謀略などもあるに違いない。それほど日本には被害妄想のような意識が国民に浸透しているのだろう。



参照:
勇気と不信の交響楽 2006-01-06 | 文化一般
流れが停滞すると 2015-09-04 | アウトドーア・環境
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする