Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

不可逆な我々の現代環境

2014-10-12 | 歴史・時事
日本のニュースを見ていて面白いと思ったことがある。一つはイスラム帝国への支持や従軍への動きで、工業先進国の若者に共通する感覚がそこでも見出されることである。しかし恐らくモスリムへの評価は大分異なるであろう。それは日本におけるユダヤ教への対応とも極似ていると思われる。

ヘブライズムへの西欧の対処はさらに複雑になるのでここで簡単に改めて記すことはできないのであり、このBLOGにおいて一貫して扱っている内容であるので触れることはできないが、イスラムへのそれは比較的容易である。

その表れは偽善的と呼ばれるような西欧に住むモスリムの反イスラム国への反対デモンストレーションにも顕著であるが、所謂近代社会の枠組みに収まらない思考や生活心情などがそこで徹底的に否定されることになる。

ドイツなどでも容易に保守的な政治家が口走るのは、「男尊女卑」と呼ばれるようなイスラムの教えであって、また懲罰などへの考え方を含む現代的な人権意識に反するイスラム主義の考え方なのである。これをもっとも端的に正確に述べたのは前ローマ法王の演説であり、その意味からもとても歴史的な意味を持つものかもしれない。

今回ノーベル平和賞にイスラムの少女が選ばれた件でこうした面にももう一度光が当てられるのだろう。西欧においてはこの問題は日常において頻繁に繰り返される議論でもあるのだが、それでもイスラム国へと参戦する若者が絶えないことは見逃せないのである。それはあまりにも当然に支配する西欧の近代的且つ科学的な合理的な精神から逸脱することでの未知の可能性を見極めようとする精神であるかもしれない。基本的にはトーマス・マン「魔の山」の雪原を彷徨う若者の姿とまったく変わらないのではあるが、そこにあるのは啓蒙思想でなくてイスラム思想なのである。

イスラムの教えに関しては容易に否定不可能かもしれないが、少なくとも近代化や脱近代などとはまったく異なる次元で、今更女性の教育や地位の向上に反対することは、同じ一神教のカトリックの女性の立場の問題などを考慮してももはや容認できないのである。これが必ずしも西洋化と呼ばれるような枠内で評価可能なものでないのは明らかなのだ。人権の尊重やその他の社会構造の変化については付加逆なものである。

ハムブルクやツェッレでイスラム国支援者とクルド人組織の流血の衝突が、アンカラでのそれを受けた形で発生した。デュッセルドルフでは無事終了したようだが、嘗て問題となった過激派指定されたクルドのPKKを応援する形で反イスラム国勢力に加担する形になっている。こうした矛盾がある限り、今後連邦共和国内でも流血騒ぎが拡大するのは想定内である。



参照:
フィリッピンで誘拐される 2014-09-28 | 歴史・時事
上から目線でしょうか? 2013-12-04 | マスメディア批評
コメント
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