Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

浮浪のおばさんとの再会?

2014-10-21 | 文学・思想
日曜日にパンをとりに行く前に現金を取りに行った。戸口を開けると中でがさがさと音がした。他のお客さんかとも思ったが、直ぐに前回の浮浪おばさんと思った。しかしあの臭いがしない。違うかと思ったが、やはり奥で寝ていた。顔は十分に確認できなかったが、挨拶をすると寝起きか弱弱しい声で挨拶が戻ってきた。

こちらを頭にして寝ていて、起き上がったところなので顔は見なかったが、とにかく異臭が全く無い。急いで金を下ろして、その場を離れようとする気持ちの反面、無臭で物乞いもしない彼女の雰囲気を肌で感じると、少し金を渡してもよいかと感じた。それでも物乞いしない人に金を渡すのもどうかと思って、さっさと用を終えた。

前回のときも思ったのだが、なにも風呂にも入らずに野宿をして回る必要など全く無いのである。何らかの支援体制はどこにでもあって、いつでも最低の社会生活を営む権利を誰もが要している。それを推し進めればミニマムインカムで以って官僚主義を脱する合理的な社会が成立するのである - これを以ってしてありとあらゆるセーフネットを節約できてなによりも諸悪の根源である予算が行政の監督監査権で国富を蝕む官僚主義を駆逐できるのだ。

人によれば煩わしい社会の制約を飛び出して、浮浪の生活を敢えて選ぶ人もいることも理解できる。そして何らかの形で最低の生活で生き延びることも可能だろう。そうした前提で考えれば、現金自動支払機の場所はうっすらと暖房が入っているように暖かい。光は明るいが、監視カメラである程度の安全が保障されていて、凍死をしない環境なのだ。

嘗て一度はどの銀行の支払機でもカードが無ければ室内に入れないようになっていたのだが、あるときからその装置が外されたりするようになった。確認はしていないが、さまざまな状況の検討の結果からそのように一斉に再び開放されるようになったようである。

銀行等金融機関にとっては必要な現金を入れた支払機荒らしを避けるためには入室制限をした方が安全なのである。しかし、現金を引き出したり貯入れするお客さんにとっては必ずしも安全とはいえないのかもしれない。できる限り自由空間のほうが安全だという調査研究報告があるのかもしれない。たとえ監視カメラが合ったとしても現金を片手に見知らぬ人と閉ざされた空間で夜中などに擦れ違うのは危ない環境なのかもしれない。

そうしたややこしい社会を逸脱してしまうこうした人々に、新札となった10ユーロまでは払えないが、5ユーロぐらいは寄付してもよいかなと思わせたのであった。



参照:
ビール一杯のお駄賃 2011-12-08 | 生活
親権者が行使する選挙権 2012-04-12 | 歴史・時事

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