今年度のノーベル賞は、物理学賞に赤崎勇、天野浩、中村修二の三氏が受賞しました。たいへんめでたいことだと喜んでおります。
ところで、ノーベルは受賞者の国籍を問うことをしなかったわけですが、東アジアの国々の中で、日本のノーベル賞受賞者数が突出して多いことには、何らかの理由があるはずです。例えば、中国は2人、韓国は1人で、人口の面から言えば、英国の受賞者数の多さは異常なほどです。これを、人種や国民性や経済力などに帰してしまうのは、あまり説得力のある考えとは言えないのでは。むしろ、もっと具体的な、明白な理由がなければ、これほどの違いは説明できないのではないか。
今のところ、19世紀のヨーロッパにおける科学教育の革命が明治維新を契機に直接に日本にもたらされ、かなりの程度に根付いたことが大きく、さらに加えて、太平洋戦争後の、科学技術に対する国民的な合意と理解のあり方によるものが大きいのだろう(*1)と考えていますが、「歴史技術科学」カテゴリーの一連の記事(*2)では、このことを歴史を追って順にたどろうとしております。
現在、明治の社会と産業技術や科学について、若い頃に読んだ文献を見つけ、あらためて興味深く読んでいるところです。基本的な考え方は訂正を受けず、むしろ補強される内容でした。現在の考えの内容というのは、若い頃に読んで意識のどこかに沈殿していたものが、自分の経験などと組み合わされ、形を変えて自分の考えとして形成されてきているのだな、と感じます。おもしろいものです。
(*1):日本のノーベル賞受賞者の生年から色々なことを考える~2010年10月
(*2):「歴史技術科学」カテゴリー~「電網郊外散歩道」2013年
ところで、ノーベルは受賞者の国籍を問うことをしなかったわけですが、東アジアの国々の中で、日本のノーベル賞受賞者数が突出して多いことには、何らかの理由があるはずです。例えば、中国は2人、韓国は1人で、人口の面から言えば、英国の受賞者数の多さは異常なほどです。これを、人種や国民性や経済力などに帰してしまうのは、あまり説得力のある考えとは言えないのでは。むしろ、もっと具体的な、明白な理由がなければ、これほどの違いは説明できないのではないか。
今のところ、19世紀のヨーロッパにおける科学教育の革命が明治維新を契機に直接に日本にもたらされ、かなりの程度に根付いたことが大きく、さらに加えて、太平洋戦争後の、科学技術に対する国民的な合意と理解のあり方によるものが大きいのだろう(*1)と考えていますが、「歴史技術科学」カテゴリーの一連の記事(*2)では、このことを歴史を追って順にたどろうとしております。
現在、明治の社会と産業技術や科学について、若い頃に読んだ文献を見つけ、あらためて興味深く読んでいるところです。基本的な考え方は訂正を受けず、むしろ補強される内容でした。現在の考えの内容というのは、若い頃に読んで意識のどこかに沈殿していたものが、自分の経験などと組み合わされ、形を変えて自分の考えとして形成されてきているのだな、と感じます。おもしろいものです。
(*1):日本のノーベル賞受賞者の生年から色々なことを考える~2010年10月
(*2):「歴史技術科学」カテゴリー~「電網郊外散歩道」2013年
今回の青色ダイオードもそうですが、ノーベル賞の受賞対象が変わってきているのか、それとも科学の流れが変わってきているのかなど議論のあるところでしょう。ノーベル賞に関してはそもそも技術がそこにあったことも無視できないでしょう。
まあ、ここでは明らかに理論物理・化学や遺伝子分析などとは趣きが異なる分野での賞となっていることは確かでしょう。
英国のケムブリッジやオックスフォードなどを見ていると、その両面で強く、賞の分け合いなどもあったかと思います。日本の巧みの伝統は技術面では活きるのでしょうが、学術面での優位さは殆ど見出せません。それは今後もあまり変わらないでしょう。その点、中国人などはアメリカ人となって桁外れの成果を挙げているので、今後は人種的にはノーベル賞独占かと思われます。
ヨーヨーマほどの器楽奏者や音楽家が日本から出てきていないようにです。しかし、作曲家となると違いますね。この辺りに文化的な学術の意味合いもあるかもしれません。もちろん自然科学のことについてですが。
「日本は近代化において科学技術と自然科学の差異をなく受け入れた」という考え方については、リービッヒの実験室は技術教育からスタートしており、英国では階級社会であったために、より上層の階級が担う科学と、より下層の階級が担う技術が分離する経過をたどっていたこと、日本では先祖のリービッヒ流の流儀を、その弟子たちを通じて直接に受け入れたこと等を、別の言い方で表現したものと考えます。
ノーベル賞受賞者数を国別にみるとアメリカが桁違いに多く、他の国とかけ離れています。良好な研究環境に恵まれているアメリカは、移民の国でもあり、世界中から研究者が集まって来ます。アメリカのノーベル賞受賞者を出身国別でみると、イギリス、ドイツ、フランスなどの西欧の国々はもちろん、ロシア、ハンガリーなど東欧諸国やその他多くの地域に散らばっています。それを出身国に戻して考えると、ヨーロッパ系の各国で十数名~数十名程度となり、日本の受賞者数と、そうかけ離れた数というわけではなくなります。日本はヨーロッパ諸国と比べても、遜色のない業績を上げていると言えます。受賞者数が社会・教育制度等を含めた、広い意味の一国の経済力に相関していると言えるとすれば、最近までアジアNo.1の経済力のあった日本の結果は、ある意味で当然とも言えます。ここでまた同じような命題に行き当たります。
-では、なぜ日本はアジアで唯一、短期間であれだけの近代化をなしとげ、大きな経済力を持つことができたのか?-
社会を改善・改革していくビジョンを描くのは言うまでもなく人間の頭です。その頭による思考や構想(メンタリティ、マインド、インテリジェンス等、何でもいいんですが)です。思考のツールは言語ですから、日本の精神構造の礎となっているのは日本語です。日本語であったが故に、あの時代に欧米の科学的精神をすんなりと受容することができ、その後みごとに昇華することができたのではないかと考えます。
ここで、-では、なぜ日本人は日本語という言語システムを持つに至ったのか?- これ以上は頭が痛くなるので止めときたいと思います。
幕末~明治期に、科学に関わる概念を受け入れることができた背景には、蘭学者たちの翻訳の努力が下地になっていると思います。例えば:
http://blog.goo.ne.jp/narkejp/e/42523d37d48d25933d86d2042c15392c
中国でも当時たくさん翻訳がされていたそうですが、その後のかの国の歴史が、それらを充分に生かすことができなかった、ということでしょう。