Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

すっきりさせて耳にする

2009-10-16 | 生活
寒い中を床屋に行った。道路工事状況やご近所情報を仕入れに行くのだが、最近は此方が出す情報が増えて来ている。

先ずはSWRのシリーズ「ヴァインラント」を知らなかったようで、今後の放送予定や登場醸造所の名前を挙げた。ベッカーやレープホルツ、それにクニプサーなどは名前をよく知っていた。個人的にはオーデンタールの息子も知っているようだった。やはりこの辺りの髪結い屋は侮れない。エラーシュタットは「フォルマーか?」というので、「違うが、名前は忘れた」とシュナイダーが出て来なかった。

ADACの特価割引の話をすると、「グランクリュに40ユーロも払う価値があるか?」と尋ねられたので、「それは高いけど、20-30ユーロならば、価値あるものはある」と答えて、「飲み頃になる(価値が出る)まで、待たなければいけないけどね」と話した。

今回収得した情報は、醸造所シェーファーが親戚筋などに貸されて続けられることと、ヴァッヘンハイムの地所が売りに出されてゲオルク・モズバッハーなどフォルスト勢が買い取ったことだろうか。

昨晩に続けて今晩もボルドーを飲もうかと思っている。食事に工夫がいるが、こうして急に寒くなった時のオーメドックは格別である。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

裸では流石にたまらない

2009-10-15 | 
誰だ、こんなものを地下に隠しているのは?マネキンであったが、なかなか色っぽい。

マネキンと云えばバイロイト音楽祭のカタリーナ・ヴァーグナーの名歌手の演出を思い出す。締め切りが今週なので、とりあえずチケットを申し込んでおいた。当たって欲しくはないが、新体制になってから人気が落ちていない限りまだあたらないだろう。あまり興味ある公演がない。

寒かったので昨晩から少しヒータを入れている。今日は天気が良かったので、石切り場の岩肌もそれほど冷たくはなかった。それでもシーズン終わりの雰囲気は強く、静かな中で、夜七時まで楽しめた。夏時間のお蔭である。

冬の間の過ごし方の話題が頻繁に出るようになっている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中華料理でも作ろうか

2009-10-14 | ワイン
葡萄の摘み取りがほぼ終って雨が気にならなくなると、急に冬型になって冷えてきた。昨晩は殆ど氷点下だったようで、木曜日にはマイナス五度が予想されている。冬タイヤが要る季節になってきた。

この辺りではそれ以上には冷えないが、もしかするとアイスヴァインなども収穫出来る地域もあるのだろうか?十月半ばに収穫されたアイスヴァインなど聞いたことがないが、それならば可也質が高いだろう。

昨晩は、酢エンドウ豆煮に肉を入れて食した。アイフェル料理ということでシュロース・ザールシュタインの2007年産アルテレーベンのシュペートレーゼを開けた。今まで四本は満足することがなかったが、ここに来てはじめて甘みと果実風味が酸と綺麗にバランスをとるようになった。甘みが酸と融合した分、既に飲み頃を迎えたと判断した。もちろんこの先も充分に楽しめるだろうが、逆にこれ以上大開花する事がないと認識した。しかし最後の一本はあと二年ほど寝かしてみたい。殆ど期待する事もなく。

さて食事には、このワインの味が強すぎて邪魔になるようで、チーズのデザートかもしくはアジア料理には合うかも知れないが、中欧の季節の素材を活かしたソースの無い薄味の料理には難しいと思った。そこで今日は中華料理に合わせてみる。価格からすると大変素晴らしいリースリングであったが、カビネットの方がやはり飲みやすかった。アルテレーベンという古い葡萄の木となると収穫量が落ちるので実質的にグランクリュワインに近くなる。下品とまでいわれる果実味満載のプファルツのリースリングでも、この価格でこれほど味の強いワインを見つけるのは難しい。天然酵母で醸造するA・クリストマンなどがやはりそれに当たるだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わかんねェだろうナ

2009-10-13 | 試飲百景
週末は遊び呆けた。遊びといっても何処にでも鼻を突っ込むのだから、とてもややこしい問題を目の当たりにしてしまう。ワイン街道に住んでいるというだけでなんら利害関係も直接的な経済的な影響もないのだが、ワインを探しているうちに思い掛けない世界にまで入り込んでしまったような感すらある。何の得にもならないのだが関心を引かれてしまうのだ。

今回の「事件」は、ラインガウの名門醸造所フォン・ジンメルンを舞台にして展開している。そもそも醸造所には9月1日に発売されているべきであった、注文したグランクリュワインを取りに行ったのである。高価なものであるので限られる数しか買わないので、出来れば試飲して、買ったものは二年以上は寝かすつもりで態々出向いたのである。

いつものように粛々と試飲を始めて、期待と不安に胸を膨らましていよいよグランクリュの場所へとやってきた。そして、危惧していたようにお目当ての地所「バイケン」のグランクリュは無く、地所「ヴィッセルブルンネン」だけがそこにあったのだ。まあ、それだけ人気があり売り切れるものだから試飲出来ないのは仕方ないと思った。

態々高速を走らせフェリーに乗って出かけてきた甲斐はなかったが、それでも午前中にハッテンハイムの地所を散策して2009年度の出来を観察して来たので良しと考えた。とにかく甘口のヴィンテージものまでを含めて一通り試飲した。

甘口の状態も悪くはないが、やはりこの醸造所の持ち味は辛口が二年程経た時の旨味のある熟成感だと認識する。そして売るものが少ないからかテーブルの上にはチーズ等も置いていないと若干がっかりしていると、話掛けられる。

「あの話聞きました?」、「なんです!?」

「バイケンのグランクリュは、エルステスゲヴェックスとして審査に通らなかったのですよ。だから、注文をキャンセルして貰っても良いですよ」

「なんですって!」

「バイケンがね、VDPでは凄く評価が良かったのですが、ヘッセンの審査に通らなかったので、シュペートレーゼとして従来どおりに出します」と言うのだ。

「今年初めてグローセスゲヴェクスとして発売される筈だったんですよね」

「そうですよ。確か、日本の方と9月に来られたときに試飲されたと思いますが」

「飲んでませんよ。残っていたのはヴィッセルブルンネンだけで」

「試飲出来ますから、飲まれます?」

「もちろんですよ」

なるほど、少々酸が弱いかと思った。それでも糖比重96エクスレ、残糖7.3G、残酸7.4Gでアルコール13%は立派な数字である。

「スレートのワインが分かっていないんですよね」と仰るので、「石灰ですよ。石灰を含んでいないという意味が解っていないのですよ」と断言した。

「バイケンはプフェルツァーヴァインですからね」と私は慰められる。

要するに、高級ドイツワイン協会はこの地所の独自の意味合いが分かっているからグロースゲヴェックスとして賞賛したのだが、州の公的機関は独自のエルステスゲウェクスとしてこれを認めなかったのである。

その基準にはそれほどの差があるとは思わないが、検査の時点でその潜在力をどのように計るかで異なるのである。公的機関・VDP・評価本など基準はかわらなくともその求めるものによって評価が異なっても仕方ない。そして、それが政治的な動きとして統一の見解への合意を妨げなければ問題ない。

結局、我々消費者にとっては、美味く安いワインを探すこと以外にはないのだが、その二つの基準すら求めるものによって異なるのである。そしてそれは、食事の質や酔い心地など単純な味覚を越えた感覚に左右されるものであって、客観的な判断などは不可能なことは言うまでもない。それでも自分自身にとっては、またそれを直接奨めたいと思う人にとっては、揺るぎない判断基準が存在するのは繰り返すまでもない。

お蔭で、グランクリュ価格で22,50ユーロであった同じものがシュペートレーゼとして18ユーロにて購入出来た。そして一本余計に試飲のために購入した。分からない者に飲ます余分はない、それを自分が飲めればそれで良いのだが、それでもやはり残念であった。もちろん同じように予約していた常連客は全く動じる様子がない。私などよりも遥かに古い顧客のように窺えた。



参照:
ヨーロッパ版のWindows 7のパロットスクリーン。 (タイポグラフィ)
艶消しが燻し銀とはならず 2009-09-18 | 試飲百景
熟成の秋を待つ初夏の日 2009-05-18 | ワイン
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なぜ二大政党制が駄目なのか

2009-10-12 | マスメディア批評
ドイツ連邦州ザールラントでジャマイカ連立が成立するようだ。連邦レヴェルでは初めてとなる。つまり、キリスト教民主同盟の黒色、自由党の黄色、緑の党の緑色を合わせたカリブの国の国旗の色となる。

唯物主義者の左派への支持は減少の一方であり、中道が国民の多数となって来ている。その一方が躍進目覚しいFDP自由党であり、もう一方が緑の党である。前者が、自由と秩序を重んじ、その根をヴァイマール共和国以前の帝政解体に求めることも出来るとされ、その支持層は男性的、小都市的、どちらかというと大都市圏シュトュツガルトを代表とするようなプロテスタント的な中小企業従事者とされた。また後者は、自由と平等を是として、環境政党でありながら、その支持層はやや女性的、大都市的、教会に属さず、高学歴で公共従事者とされた。

この二つの中道政党は、保守党CDUキリスト教民主・CSU社会同盟と社会主義者SPD社会民主党の中間に第三の極を形勢している。つまり、民主・社会同盟が「社会秩序」を重んじ、社会主義者が「物質的な平等」を求めるという時代錯誤の左右二項対立を乗り越えた第三極が出来上がる。

政府がその基準点であった二十年前には存在した、各々の物質主義と脱物質主義の闘争線は、今や消費志向であり尚且つ持続可能なそうした若者の美学によって消え失せているとされる。

ゆえに嘗ての各々の支持者層は、両政党間を行き来することになり、中産階級の大半の有権者はこれに含まれることになる。

なぜ二大政党制が駄目なのか、今や役に立たないかのこれは一つの回答である。



参照:
Eine dritte Mitte, Majid Sattar, FAZ vom 7.10.2009
二大国民政党制の終焉? 2009-09-28 | 雑感
過激性を売りたいメディア 2009-09-15 | マスメディア批評
「革命」は似合わない言葉 2009-09-01 | マスメディア批評
政権交代の究極の目的は 2009-08-16 | マスメディア批評
世論形成への言論活動の有意 2009-03-08 | マスメディア批評
社会不安を煽りたい麻生 2009-02-12 | マスメディア批評
勲章撫で回す自慰行為 2008-07-26 | BLOG研究
脱思想・脱原発・脱体制 2008-01-29 | 歴史・時事
現代オカルトのビオ思想 2007-05-24 | 文学・思想
ここにいたか、売国奴よ! 2007-01-17 | 歴史・時事
多数連合と少数の不可侵権 2005-09-12 | 歴史・時事
終わり無き近代主義 2005-09-03 | マスメディア批評
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

醸造所経営を学ぶ一日

2009-10-11 | 料理
グランクリュウォ-キングのガイドの内容はあまり大したことはなかった。お客さんにエルステラーゲと呼ばれるグランクリュワインが収穫出来る特許地所を歩いて貰って少しでも馴染んでもらおうという主旨であるようだ。だから参加料39ユーロが高いと思うかどうかは人によるだろう。

食事は二種類のスープとパンで、食前酒は二種類の2008年産カビネットクラスのウンゲホイヤー辛口とライインヘーレの半辛口であるから、幸運にも強い陽射しの中の段々畑で食事出来た手間を弾めるぐらいか。しかしカボチャスープもジャガイモのそれも下手なレストラン以上に結構良かった。特に前者はこれで海老が入っていたらなーと方々から声が上がるほど高級であった。

地所ペッヒシュタインで試飲したのは、2008年産のそれとイェズイーテンガルテンに2007年産のアウスレーゼであった。最後のそれは一年経っていて見直した。酸は弱いが、甘みが大変清潔なものであった。

出発点でもあり終着点でもあった地所ホーヘンモルゲンで試飲したのは2007年産のそれと、2008年産のグランクリュにアウスレーゼの三種類であった。

摘み取りは殆ど終えていて、TBAを含めて順調に収穫されたようだった。個人的に関心があったカルクーフェンの事情は、どうも収穫量が落ちてきてやはり2007年産では他のグランクリュよりは水準が落ちていていたようだ。結局、人工的に南へ傾斜づけられたその地所は乾燥する積み上げられた石灰を含む黄土などの土壌であり、十分に土壌が潤沢でないといけないようだ。2009年産は収穫できたようなので堆肥を入れた成果を待ちたい。

イェーズイテンガルテンがノイシュタットの修道所の所有のあとバッサーマン・ヨルダンの独占地所であったと知って意外であったが、なるほどフォン・ブールのそれよりも良い場所を持っている。ついでにイェズイテンガルテンを神戸ビーフのスキヤキに薦めておいたので何れこの取り合わせは一般的になるだろう。

キルヘンシュトゥックも土壌改良として黒い玄武岩を撒いた話は興味深かったが、フロインドシュトックのアインツェルラーゲへの返り咲きもあるかも知れない。兎に角言及しておいたので可能性はなくはないだろう。一度マイスターとも直談判する必要がある。現在はプローブスと呼ばれるキュヴェーやグーツヴァインに混ぜられているという。それに比べてウンゲホイヤーの扱いはさらに難しそうである。

ISOは、瓶詰めから販売までの経過のマネージメントであり全く生産や農業には関係ないようだ。そして、ビオでもなく、ビオデュナミでもない古典的な農業でも野路菊茶など使って黴対策にあたっていると聞いて面白いと思った。胴と亜硫酸の使用は寧ろビオデュナミのもので、メリケン粉など様々な方法が試されているというのが大変興味深い。

朝は土砂降りに降っていた雨にも濡れることなく楽しめたのはとてもよかった。また一つワイン醸造所経営を学んだ紅葉の始まりの一日であった。



参照:
バッサーマン・ヨルダン カルコーフェン トロッケン 2007 (ワイン大好き~ラブワインな日々~)
八割ほどは、本当かな 2009-10-10 | ワイン
同じ過ちを繰り返す危険 2009-10-08 | アウトドーア・環境
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八割ほどは、本当かな

2009-10-10 | ワイン
昨晩は久しぶりに飲んだ。本日は体に酒が残っていた。それでも悪酔いをしていなかったのは、ある基準以上のワインだったからであろう。しかし試飲会ではなくあくまでもTVシリーズの試写会パーティーだったので、それほど印象に残るワインなどはなかった。

こうした農業関係者が集う場所に出て、そうした人々を映し出す番組を試写すると、農業に無関係に過ごしている我々にとってはやはり違う関心が湧いてくるのである。ビオとかエコとか自給自足だとかの掛け声の下に議論されているようなことが如何に本質に迫らないかが分かってくるのである。なにも、それだから農民の傍に立っているというのではない。

昨晩の話題で特に関連しないことを幾つか羅列してみる。そこには全体像が浮かび上がるのだが、まさに禅のように思想でも思潮でもないその対象となる農があるだけなのが見えるのだ。

この30分番組では、高級ワインを作る醸造所からおかしなことをしている醸造所までが同じように紹介されているのだが、制作者にも話したが、前回の水着の葡萄踏みにも負けず今回の最もけったいな醸造所はビオデュナミの農家であった。

親父が牛の角に糞か灰かなにかをつめながら語るライナー家の様子は笑いを誘うのである。まさにその笑いに我々の良識があるのだが、彼の息子が「我々には学術的な意味など学者に任せて、どうでも良いのだ。気持ちよく実りを迎えれば良いだけだ」と語るように、農民として確かに営む精神の安定が強調されている。もちろんそれは自立であり実存の境地なのだ。試飲の時にも「あれはお父さんだけど」と娘が語っていたが、その内容は近代に追い遣られた「素朴な生き方」を求めているに過ぎない。

その他、ワイン街道から離れた北辺のツェラータールのベルンハルト、設備投資の出来たエラーシュタットのシュナイダー、またペッヒシュタインの玄武岩の石切り場の上にあるオーデンタールの醸造所が紹介されるのである。そしてそれを試飲するのだが別に悪い酒ではなく、決して特に上質の酒でもないのだ。結局はワインなどは皆同じなのである。只違うのは、手練手管がコンセプトとなるかどうかの違いなのである。

例えば同じビオデュナミを掲げていてもビュルックリン・ヴォルフ醸造所などはインターナショナルな企業経営としてそれを掲げているのだという紹介の仕方をしていた ― 実際の家族背景などの時の流れはここでは無視されているのは当然なのだが。

それは逆に、フリードリッヒ・ベッカーが素朴に映され、クニプサーなどの隙間市場への狙いが、短髪にしたVDP会長の畑仕事風景に先代に優る素朴さを強調することで、こうしたコントラストを強く印象つけたのである。要するにワイン農業というものの大地に根ざした素朴さが、その手練手管ゆえに却って浮き彫りにされる形となっている。

過日述べた黴に対抗するためにも、結局は亜流酸や胴を混ぜて塗布しなければいけない状況はビオデュナミでも変わらないのである。農業なんてそのようなものなのだ。コンセプトに付加価値をつけて売るだけなのは他の分野でも変わらない。

クリストマン会長に先頃のインタヴューやEUワイン法への整合化を目指すドイツのそれへの見解を質した。前者のカルテル紛いの最低価格の推薦案はその意図は理解しているが醸造所によっては問題を孕み、価格談合と見做されかねないと申し上げた。それに深く関わっているのだが、ドイツの法制の高品質化は政治的にも可能性があるということで、予てから意見しているドイツワインへの世界的イメージ確立への碑になって欲しいと願った。

制作者に訊ねた。「先週のナーへを扱った一回目放送でも、ご主人が畑仕事をしている情景を盛んに映していたが、あれはやらせ?」

「それは、無いとは言えないけど、八割ほどは本当にやっているかな」



参照:
Weinland: Pfalz (SWR3)
うまいものにこだわる「窮屈至極な食べ物の世界」と「農業ブーム」。
(ザ大衆食つまみぐい )
神の雫のフランス語版です。(3巻) (saarweineのワインに関してあれこれ)
日本の農業 (ポラリス-ある日本共産党支部のブログ)
今週の掘り出し物? (モーゼルだより)
同じ過ちを繰り返す危険 2009-10-08 | アウトドーア・環境
誉れ高いモンツィンガー 2009-10-06 | マスメディア批評
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリック、そして口に運ぶ

2009-10-09 | 生活
先日アマゾンを通じてネットで薬局に注文した。初めてのことである。薬局といっても、精力剤とか危ない薬の類を注文したのではない。丁度切れた歯間ブラシを購入したのだ。地元の薬局にはおいていないスェーデン製だが、送料2ユーロほどを入れても、スイス製よりも安く使い易い。

夜注文して一日置いた朝には届けられた。封筒がそのままビニール袋となっている。一度開けると二度と締められないタイプで、これならば錠剤なども安全に送れるのだろう。

ネットでの買いものは日常茶飯だが、未知の売り手から、ワインをも含めて口に入れるものを注文したことはない。なるほどと思わせる工夫がしてある。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

同じ過ちを繰り返す危険

2009-10-08 | アウトドーア・環境
ここ暫らく色々な地所からの葡萄を食べ比べた。それも隣り合わせの列の異なる醸造所からの葡萄の味の違いは、その葡萄の木の違いでもあり、出来上がりのワインの違いでもあることが確認出来た。ある醸造所のヘアゴットザッカーの葡萄の方が奥行きがあって締まりがあれば、出来上がりのワインはそうでない方との価格差となって表れる。それも何十セントの違いなのである。この差異は全く好みではなく恐らく殆どの人が同じ判断を下すに違いなのである。もちろん好き嫌いがあり、廉い方が万が一高くても買う人がいるには違いないが、その品質がどうかと通が味見をすれば、その価格の上下は逆転することはない。

それではなぜそれほど厳密に価格つけが出来るかは全く不可解なのである。全ての醸造所の全てのワインを並べて比較して行くほどの正確差が価格に反映している。要するに特に高級ワイン協会VDPなどでは闇カルテルがあるのではないかと疑わせるのである。そこで面白い記事が紹介されていて、VDP会長の推奨価格への言及が記されている。もちろん業界団体として価格を上げていく努力は当然のことであり、それが市場で受け入れられる限り構わないのだが、ドイツワイン市場の2%と言われる高級ワインをそれほどまでに愛でる通人が十分にいるかどうかは分からない。要するにこうした市場にはどうしてもポルシェやSVCをシティーで乗り回すような購入層が必要となる。連邦大統領が警告するように「再び繰り返すような社会の危険」は去っていないのである。

ダイデスハイムのバッサーマン・ヨルダン醸造所がVDPとしてはじめて ISO 9001:2008の認定を受けたようだ。その顧客に対する扱いなどはいつもしかりつけているのであるが、なにも買わないような風来坊も何度も相手にしているところをみるとその点でも合格するのも合点が行く。ビオ・デュナミやBIO農業以上に、ISOの方が信用出来ると思うのは、やはり人によるだろうか?

そのBIO農業では、黴への対抗としてどうしても胴の散布に代わる方法がみつからないようだ。それはなにもワインだけでなく果物などにも共通していて、2015年を以って使用を止めるというが、それまでに代用出来るものは見つかりそうにないようだ。もちろんワインからは胴の成分はみつからないようだが、ビオ農業にとっては土壌を死滅させる胴の使用はその主義主張に反するのは明らかだ。要するにビオ農業などは机上の空論となる。

ダイデスハイムのホーヘンモルゲンやカルクオーフェン、キーセルベルクにモイスヘーレなどの葡萄を雨上がりの今日試食して来た。バッサーマン・ヨルダンの真ん中の二つは既に収穫されていた。カビネットの収穫としては適当だろう。しかし、カルクオーフェンが収穫されていたのは不思議であり、今年もグランクリュは出ないのだろうか?ホーヘンモルゲンなどもフォルストの地所の葡萄に比べると熟成度が低く土壌の保温の違いが、力強いワインの地所と繊細なワインの地所との相違となっているようだ。モイスヘーレなどは更に北側の斜面なので酸が強く独特の味を醸し出していた。



参照:
今週の掘り出し物? (モーゼルだより)
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

列車から降り損なう憂鬱

2009-10-07 | 
日曜日に身体を酷使したお蔭で精神的には上々である。しかしその前暫らくは、秋の憂鬱のような感じがあった。大抵は死の月の呼ばれる11月になってからやってくる憂鬱なのだが、今年は比較的早めに現われた。

それは陽の強さとか直射日光に当たる時間とかに左右されていると実感しているのだが、今年の場合は実際には急には秋空とならなかった。日曜日の風が秋一番で、今日の雨が一月振りでの本格的な雨であった。雨量は一ミリに達さないほどであるが、久々にしっとりとした一日となった。

このように乾いた秋は珍しく、余計に心理的に秋を感じたのかもしれない。幾つかの悪夢は、明らかに11月向きでもあったが、その中に興味あるものがあった。

それは列車の旅風景で始まった。そして漸く帰路の駅に着く。自らの荷物を抱え込んで下りる時、人の忘れものに気がついた。それをもってプラットホームへ下りてから仲間に尋ねると、「我々のものではないよ」と教えられる。余計なお節介をして、人の物を持って来た過ちに気がついて、急いで車内に戻る。そして元あった場所にそれをおいて、急いで下車しようとする目前で、ドアが閉り始めたのである。もちろんこれはいけないと思って、足をこじ入れようとするが、すでに列車は動き始めていた。

こういう物語である。一体、なぜこうした焦った状況の夢を見たのかは判らないが、どうも憂鬱な心理と結びついているようである。そういえばもう一つおかしな夢を見た。

山小屋で皆で食事をしている。今まさにステーキにナイフを入れて、フォークで肉片を口に運ぼうとしたときである。向こうの方へ急いで来てくれと呼ばれる。何事かと、手に赤ワインのグラスを持って立ち上がって、余所の部屋で長い立ち話をするが、食事が気になって落ち着かない。さて暫らくしてテーブルへ戻ってくると、仲間は引き上げていた。そして至る所シナ人ばかりになっていて、がさがさと食事にむしゃぶりついている。確かめるまでもない、私のステーキは無くなっていて、給仕やその辺りのシナ人に尋ねても、そんなもの知るかと狡そうに賤しい笑いを浮かべる。そこで魘されて目が醒めた。

明日は晴れるような予報である。日曜日のように強風が吹いて、一挙に空気を乾かしてもらいたい。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誉れ高いモンツィンガー

2009-10-06 | マスメディア批評
Nun rühmte die Gesellschaft von der Nahe einen in ihrer Gegend wachsenden Wein, den Monzinger genannt. Er soll sich leicht und angenehm wegtrinken, aber doch, ehe man sich's versieht, zu Kopfe steigen.

Johann Wolfgang von Goethe

ナーヘの社会は、それでその周辺に育つモンツィンガーと称するワインを賞賛した。そのワインは、軽く快適に飲み干せるものなのだ。それも酔いが頭に廻るまでにというのである。 

ヨハン・ヴォルフガンク・ゲーテ


第二回放送の公開プレヴューに招待された、TV六回シリーズの第一回放送を観る。ラインラントプファルツのワイン栽培地域を網羅する企画である。SWRマインツ制作のロカール番組である。

先ずは第一カットに先日訪問したシェーンレーバー醸造所の親仁と息子が登場する。トラクターが入れない急斜面での二人の仕事ぶりが映し出される。まさに骨折り労働である。そんな二人が態々日本からやって来るお客さんを迎えるために控えていたかと思うと気の毒で仕方ない。

しかし、彼の俗物ゲーテとて1815年のビンゲンのザンクト・ロッフス祭りにて、これを薦められたと記している。私も日本有数のリースリング通である緑家さんにこれを薦められて帰り道にほいほいと谷奥までついて行った。

そして、肝臓にとても良さそうな名前のこの醸造所のリースリングは、ここでも辛口の批評に曝される。しかし、あの仕事振りを見ると、「ご苦労様です」としかなにも言えなくなるのである。そして、番組は自ずと「ナーへの辛口リースリングの最高峰」である事を示し、その顧客名簿に載せて貰い、そのワインを自宅で改めて吟味すると、私もそれを疑わない。

番組ではその他、ヒルデガルト・フォン・ビンゲンが四年間過ごした修道所のワイン地所でエコ農業に勤しむフォン・ラックニッツ夫婦や、ナーへ外れの本来ならば栽培地域プファルツに含まれるべきと思うビオヴァインを造るハーンミューレ醸造所のプフェルツァリンや、赤い崖の下の高温を活かすドクター・クリュイウスの立てないほどの崖で今も働く九十歳過ぎのお母さんや、醸造所辛口ワインを木樽でもステンレスでもなく親父から受け継いだ施設で単純に醸造するテッシ氏などに混じって、おかしな連中が続々と登場する。

ビンゲンに近い下流の場所で日本で有名なアイスヴァインに懸けるヘルマン・デンノッフ親仁などは、「この仕事は使用人には任せられない」と旧式の絞り樽で茎のままプレスして、そんな真っ黒の葡萄の絞り汁を飲みながら「完璧などとよく言うな」と思わせる。まるでナーへヴァインのその質の低さを印象づけるような光景である。そしてその最大の横綱は、ディール醸造所の親子であろう。

昨年の秋からの取材番組なので当時は評価本騒動がまだ起きてなかったのだろうが、TVで拝見する限り、然もありなんと思わせる人物像が映し出され、その跡継ぎである娘たるやピノブランに熱中するあまり、殆どその狂人振りが紹介される。

手摘みで集めてこられた葡萄が台の上に載せられて一粒づづより分けられる作業は、まるで日本の尋常ではない付加価値をつける農業張りで鬼気迫る。しかしそれだけでは終らない。この番組のハイライトは、ハイレグ水着でその葡萄の樽で行水する娘の姿である。

流石にカメラは、カットを考えて映し出していたが、「私の体の温もりが」とその太ももを膝の上深くまで潜らせる光景は殆どポルノかホラーですらある。余程のじいさんならばこれを見ていて彼女が浸かった赤ワインに舌包みを打ちたいと思うだろうが、それは変態に違いない。

今日は数週間振りに雨となった。フランス国境の木々は色合いが此方よりも濃いかったが、これでミッテルハールトも紅葉へと一挙に進むであろう。すると、葉に溜められていた養分は根や枝へと移動する。いよいよ摘み取りも渦中である。明日は、グランクリュワインのためにも風が吹いて早く乾いて貰いたい。

今晩は、シェーンレーバーのリースリングをアイフェル料理である酢豆煮込みと楽しむつもりである。



参照:
Weinland Pfalz (SWR3)
Monzingen (Aus dem sonnigen Bonnertal)
立ちはだかる一途な味覚 2009-09-27 | 試飲百景
甘い汁を吸い続けた報い 2009-08-03 | ワイン
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

栗とバンビで大丈夫かな

2009-10-05 | アウトドーア・環境
フランスまで、南プファルツを通って、登りに行った。国境線にある山城の壁である。天気予報ではぱらつくようなことが言われていたが、温度も低く強風ながらしばしば青空に恵まれた。

同じ雑食砂岩でありながら、手掛かりが細かく粒だっている壁もあって、素晴らしいクライミングが楽しめたのだが。フランスのグレードで6Cとかの程度でも続いていたのでつらかった。筋力がもたなかった。

冬までにこのような機会がまだ何回かあればなにかを掴めると思う。しかし、来る水曜日までに筋肉がまた回復しているかどうかが先ず疑問なのである。

下りてきてミシュランの一つ星で働いていたコックの店で、今週のメニューから栗のグラセーとバンビのつけ焼肉を食した。赤キャベツと芋団子がついていて食べきれないほどの量であったが、18ユーロで大変満足した。これで明日も大丈夫だろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

特産品をモーゼルで物色

2009-10-04 | 試飲百景
先日のルーヴァーの旅で寄り道をしたのが下流の中部モーゼルの町ヴェーレンであった。観光地であるベルンカステルの行政圏には海外で有名な醸造所も多い。中部モーゼルの軽快な酸の効いたリースリングを楽しみたいと時々この地域にも買い付けに行く。今回はルーヴァーでの待ち合わせ時間もあって、最終的に一軒に絞った。

訪れたのは甘口リースリングで高名なヨハン・ヨゼフ・プリュム醸造所であった。前回訪れてから八年ほど経過しており、その間に代替わりもしていて、昨年のワインメッセで最も素晴らしい2007年産ワインを提供する醸造所と聞いていたので訪ねてみたかったのである。同じ年の可也素晴らしい辛口リースリングを購入したシュロース・サールシュタインと呼ばれるこれもモーゼル上流の醸造所のそれよりも素晴らしいとなるとどうしても気になった。

今回は先代である醸造の旦那さんにもはじめてお目に掛かって、クラシックなリースリング2007年産への見解を聞けた。さらに同じようにクラシックとされる2004年産を試飲購入出来て大変意義深かった。結論から言うと、ここの甘く醸造されたワインは、フランスワインによくあるようなご当地のやり方を貫いたドイツワインの代表的な名産品であると再認識した。

そのスレート土壌の苦さとバランスをとった酸と低い糖比重から出来上がるアルコール度の低い甘口は、長寿という付加価値と共に、その天然酵母を使った醸造法や古典的な葡萄栽培への取り組みとして頑なに伝統を継承している。更に先々代の取り組みや方法にも少し触れられて、それが伺えるだけでなく、そのリースリングの旨味にそれが表われている。

幾つかの地所を保持している。同じ「日時計」と呼ばれる地所もヴェーレンとツェルティンゲンの二箇所にあり、前回は辛口の後者を購入して今回は甘口の前者を購入した。前者の繊細な酸に対して、後者が密で力強いので甘口は遅摘み以上となっている。

ヴェーレンの日時計は、2007年産を試飲したが、ボディー感と綺麗さで間違いないものであった。1959年産に匹敵すると言うので、カビネットながら暫らく寝かすために購入した。なかなか熟成も酸の分解も進まなかった秋の十月中旬の収穫であったようだ。

その前に、グーツヴァインである最も単純な甘口を試飲した。これはそのもの酵母臭が強く、それを嗅ぐとご料人さんに諭された。

「それは、匂いを嗅ぐものでなくて、食事にごっくんと飲むものよ」

「それは分かっているんだけど、これは消えますかね?」と質問すると、「一年ぐらいかな」と言われた。

甘口のワインは、所詮辛口の高アルコールのような香りで楽しむものではなく、冷やしても旨ければそれで良かろう。

その後に試した2004年産のグラッハの地所「天国」は既に薄くなっており、野暮ったかったので、やはり「日時計」にした。価格は今や決して安くはないが、カビネットで十分であり、その喉越しの快適さと旨味で、なかなかこの価格ではこれほど良い甘口ワインは少ない。今年は倍以上の価格で二十年先に楽しむリースリングを地元で買ったが、半分の価格で十年間以上楽しめれば文句はない。それにこれは特産品なのである。

甘口リースリングと食事の相性を訊ねると、魚に蜂蜜を混ぜた辛しソースを付けると好いと言われた。彼女には嘗てレストランを紹介して貰った事があるのでその推薦は信頼出来る。なるほど簡単にバイエルンの芥子にフランスの蜂蜜を混ぜて使ってみたがなかなかいける。

最後に、屋号の省略した頭文字の読み方を聞いてみた。遠縁も含めて同じ妙字が多い中で正式名称は上記したが、J.J.と英語読みした。世界でそのように通っているかららしい。流石に輸出を中心に商売をしている名門醸造所である。教えられたように車を走らせて日時計を見に行った。



参照:
1997年の辛口リースリング 2004-11-11 | ワイン
We do not sell wine.....  2008-10-08 | マスメディア批評
香りの文化・味の文化 2008-06-07 | ワイン
真直ぐに焼け焦げた軌道 2009-09-29 | 試飲百景
たかが粘板岩されどスレート 2009-09-25 | ワイン
立ちはだかる一途な味覚 2009-09-27 | 試飲百景
イヴェントとなった猪肉 2009-09-23 | 料理
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

般若心経の響くメリスマ

2009-10-03 | 
フランス曹洞宗の高僧のお説教を聞いた。あげられた般若心経は久しぶりに耳にする響きで美しいものであった。ドイツ人ほどではないがゆったりとした響きがグレゴリアン聖歌のメリスマのように教会に響く感じはとても効果満点であった。それでいてサンスクリット語ではない漢字なので内容がよく理解出来る。般若心経自体は比較的馴染みがあるが、これほどに広がりのあるお経とは思っていなかった。それでも何処か懐かしい感じが、文化というものなのだろう。

お説教の内容について触れるほど禅については分からない。鈴木大拙全集もその背表紙しか馴染みがない。永平寺も一度しか訪れたことがない。座禅すら組んだこともなく、サンスクリット語の用語となるとお手上げであった。それでも耳についた言葉Mahayana大乗仏教の説明から入り、dharma法へと話が移っていき、現象と感覚の説明を通して、空を語り始めた。そこで、先日話題となっていた生と死の関係が再び導かれる。

決して分離されることのない現象の実存と理解したが、その一例として禅における書が挙げられる。そうして先日の中島氏のパフォーマンスの即物性が間接的に解き明かされた。つまり、禅というのは、決して哲学ではなく、コンセプトでもなく、プラクティスだと言うのである。それが創造の表現であり、実存の書と呼ばれるものらしい。

また一水四見から唯識論へと話題を進め、空の説明と共に、感情の噴きを風と見做すときに、いよいよ見えないものの正体へと言及が及ぶのである。そしてそこでキーワードとなるのが安然と理解した。

また、食事から車の運転、洗面まで全ては生の芸術であるとなるようだ。だから、言葉はあとから付いてくるとなるのだが、なにかをこうして書き改めようとすると、幾ばかりかの概念が必要になる。それは、高等な学問にも当て嵌まることであるが、勝手な自己の概念を適当に当て嵌めてもその本質から遠ざかるばかりである。

今回もドイツ語同時通訳が盛んに注意訂正されたが、それはとても難しいことである。因みに、フランスへの布教は弟子丸泰仙という僧によってなされ、今回のお説教をしたレイゲン・ワン・ゲン師がその意志を継いで、現在はフランス仏教会の会長職にある。アルザスの古山龍門寺の住職である。


仏説摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空
度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 
空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相 
不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中 
無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 
無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽
乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 
以無所得故 菩提薩  依般若波羅蜜多故 
心無 礙 無 礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 
究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 
得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多 
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 
能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 
即説呪日 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 
菩提薩婆訶 般若心経 



参照:
愛しい即物としての「生」 2009-09-28 | 文化一般
皿まで食えないほどの毒 2009-09-26 | 生活
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

凝縮して来ている葡萄

2009-10-02 | 
十日ぶりにワイン地所を歩いて来た。前回も今回も葡萄を摘んだ。素晴らしい出来である。

前回は葉の影になっている葡萄などが青々していたのだが、既に葉も少なくなっていて、陰に隠れている葡萄も少なくなっていた。黄色に色づいて来ているリースリングは健康そのものである。一部には貴腐が始まり掛けているが、健康その物の葡萄は瑞々しい。

前回試したウンゲホイヤーとペッヒシュタインの葡萄には酸の欠如などを感じたのだが、この十日ほどで味が凝縮して来ており、土壌の味を強く反映してむしろ熟成という名の甘さが消えてすっきりとした味が奥行きを与えている。一粒食べればそれが何処の地所の葡萄か分かる。

この間強く陽が射すようなことは殆どなかったが、午前中はいつも曇り勝ちとはいえ、雨が降ったり霧でじめじめするようなこともなかった。殆ど完璧な推移をしている。このような葡萄から糖が残ったり、苦味があったりするワインを醸造するのは至難の業としか思え無い。

印象からすれば2005年産の構造的な味よりもより奥行きがあって、2007年産よりも味が凝縮している。大雑把な印象であるが、このような実りの感覚は初めてである。


写真:上9月24日撮影、下10月2日撮影のフォンブール醸造所とバッサーマンヨルダン醸造所の地所キルヘンシュトュックの実り
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする