Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

伸び代に先払いする飲み代

2009-09-16 | 試飲百景
醸造家レープホルツとのハイキングは面白かった。ゾンネンシャインと呼ばれる大きな谷の出口の片方に広がる斜面を散策した。そのゾンネンシャインの一部ガンツホルンが、ドイツワイン法の弊害から無視されて、再びこの二年前にやっとVDPの一級地所として区分けされたのは当然である。

その説明は、彼に言わせると氷河のべろが押されてより古い地殻である層に堰き止められた場所がゾンネンシャインであり、内側に折れ曲がって堆積物が積み上げられた場所が雑食砂岩の瓦礫なのである。なるほどその辺りは古い石切り場も存在して、所謂ハールト山系が始まる所となっている。谷を隔てて反対側の斜面にあるのがカスタニエンブッシュと呼ばれるロートリーゲン層の地所でこれまた独特の味覚のワインが出来るのである。

ゾンネンシュタインの貝殻石灰部分は、昨年栽培を止めた近隣の農家から買い付けて拡張して新しい苗を植え始めていた。また、ガンツホルンの古い苗がボロボロとなると新たな苗をその切り取った株に這わせて植えることで、古い地下茎を利用して早く有利に葡萄の木の新陳代謝を計っている。

また興味深かったのは9月15日に全ての葡萄の糖比重を計り、既に先代からのノートが積み上げられているという事で、それが貴重な資料となっているのは間違いない。葡萄の病気の話しが話題となったのだが、何よりもその葡萄の摘み取り前の様子が髣髴とされた。

日曜日は前日の百人を越える参加者より大分少なく十分に話を伺えた。2009年の葡萄の成長は、現時点まで完璧なまでに推移しているので、余計に農家はそれを皮算用しないと言うのである。すると何か起きると思うのは、「誕生日を前には祝わない」とする心理と同じなのであろう。

特別に貰ってきた化学的数値を見ると、流石に葡萄の糖比重は押さえてあって、ガンツホルンでは92エクスレにしか至っていない。十月末の収穫と言うが、酸、残糖が8.3G、8.8Gと思わせないほどの辛口なのである。流石に貝殻石灰土壌のゾンネンシャインの方は僅か150Mしか離れていないに拘らず高い比重95エクスレから各々7.6G、8.5Gと、高いアルコール濃度に醸造されているが、飲み口はその石灰分によって酸が丸くなっていて極辛には仕上がっていない。

どちらが好みかと言われれば、やはり雑食砂岩のストレートさが活きたガンツホルンと必ず答えるだろう。ここのワインも新しいものや古いものを色々と飲ませて貰ったが、これほど素性がハッキリしているリースリングも少なく、頭が下がった。

土壌や手入れに関しては、農業局から講師を招いて当日セミナーが開かれていて余所の醸造所で顔見知りの女性達にご挨拶をしたが、ビオデュナミーがテーマになっていた。なるほどレープホルツの葡萄はそのレヴェルには至っておらず寧ろ貧弱気味であった。伝統的な方法とそうでない方法の利点欠点を述べていたように、この醸造所の葡萄もまだまだよくなる伸び代は十分に窺いしれた。
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過激性を売りたいメディア

2009-09-15 | マスメディア批評
連立国民政党幹部のTV討論会を嬉しそうに伝えるメディアも存在するようだ。昨日の最大の政治的話題は、昼のラジオニュースで伝えられたSPD首相候補シュタインマイヤーの「アフガニスタンからの連邦国防軍撤退構想」でしかなかった筈だ。それをなぜに特に日本の大衆ジャーナリズムはこのような余分な外報に拘るのか?

まるでそれは、「軍事撤退構想」によって独自の可能性を模索して下野する準備を進める社会主義者の意向を無視して、二大国民政党制度に固執する主義者でなければ、今だに婆さん首相アンジーの「性を売りたい」セックスジャーナリズムでしかないだろう。

しかしそのような人種を相手にしているのはドイツの政治家も同じである。つまり、今や社会主義者の母屋を脅かしている左派党のラフォンテーヌやギジーなどがそれにあたる。彼らの主張は、なるほど「持たない者」の利益を考えた立場での主張である事には違いないが、まともな政治構想となっていないのは、まさに中立非武装を唱えていた日本社会党と変わらない。

さらにそうしたアナウンスが少なからぬ支持を得るのは所謂ポピュリズムに陥っている社会構造の問題であり、セックス資本主義に優るとも劣らない現代の危機となっている。

リーマン兄弟社のお蔭で、幾ら近視眼の欲惚け人民にも新自由主義と称するその主張の本質が知れ渡った。ラジオニュース解説は言う、今回の選挙に欠けているのはキルヒホッフ教授の過激な税改革の主張であると。

同じ番組で緑の党のキューナス女史が「あんな討論会は途中で止めてしまうべきで、私は職業上の理由だけで最後まで観た」と発言するが、FAZが見出しに「国民政党に将来性を見ない者は、それを観なかった」と書く。もしかすると、キリスト教民主同盟が票を固められず、自由党がその分を獲得出来ないかもしれない。また一方、社会民主党の下野を見越して、浮動票は緑の党へ流れる可能性すらある。そうなると囁かれるようにまたもや大連立となれば今度こそ社会民主党の終焉であり、二大政党制どころかドイツ連邦共和国の政治文化の弱体化を意味する。



参照:
キルヒホッフ税制の法則 2006-12-24 | マスメディア批評
芸能人の高額報酬を叱責 2007-12-28 | マスメディア批評
三十五年前からの使者 2005-09-11 | 歴史・時事
淘汰されるグロバル社会 2008-09-07 | 歴史・時事
ケーラー連邦大統領の目 2008-01-02 | マスメディア批評
脱資本主義へのモラール 2006-05-16 | マスメディア批評
ニューオリンズを聞いたボブ 2005-09-06 | 歴史・時事
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足の指の具合に合わせて

2009-09-14 | 生活
ワインを取りに行く前に内履きを物色した。靴街道になっている南プファルツには観光客を当てにして大きな靴マーケット群がある。そこの一つで買った内履きが二つとも壊れて塵を落とすようになったので、使用を諦めて購入を決めた。

日曜日は13時過ぎからしか開いていないのだが、既に店の前では待ち人がいた。三十分近く森を歩いてからショッピングを開始した。指が出ているサンダルタイプの主に夏用と、スリッパタイプの冬用を二種類購入した。やはりこの時期でも使い分けた方が良いと思ったからだ。

素材はべろが革で、底はゴムである。足の当たる所はスリッパには薄いフェルトが貼ってある。靴下を履いて選んでいるので肌触りは判らなかったが両方ともなかなか良さそうである。

様々な大きさや種類を試して選んだのは、サンダルはヴェトナム製、スリッパはポルトガル製となっている。価格は前者の方が高く49ユーロに値引きされていて、後者も40ユーロする。

決して安くはないのだが、これまで同じ所で買って使っていたものも五年から十年ほど保つので、今回のものも二種類を上手く使い分ければ十年近くは保つだろうか。

足が汗ばんだらサンダルに履き替え、指が冷たくなったらスリッパに履き替えるのである。兎に角、快適なだけでなく、まともに歩けて塵が落ちないのが嬉しい。
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グランクリュ解禁の秋の旅

2009-09-13 | 
出かけるという前の晩、腹具合が悪くなった。なぜか判らないが、当日の朝も腸がもう一つで機能していないようだった。試飲に行くのに心配であったが、なんとか乗り切った。むしろ前日から節制していたお蔭でかなり良い体調で戻ってきた。

ヴィースバーデンに12時20分につくために一時間前に出る。土曜日朝の文化ラジオ番組では昨日話題にしたスタジオでの録音をしているエフゲニー・キーシンのピアノを担当している調律師がゲスト出演していて裏話が紹介されている。

ラインヘッセンの葡萄耕地を車窓に眺めながら順調に進むがマインツへと向う乗り換えの場所が工事中で、パトカーを抜かした拍子に降り損なって仕舞い、結局ナーへ川を渡りビンゲンまで出てしまった。ラインガウのリューデスハイムが対岸になるそこからヴィースバーデンへと行くにはインゲルハイムを越えてライン河と平行してアウトバーンを遡る。目的地には予定より十分遅れて到着した。

そこでお客さんをピックアップして、最高級リースリング6本を手渡し、間違えてワイン街道からフランクフルトまで持ち帰っていたワイン6本を回収する。

その後、三件の醸造所を廻り、はじめてドイツにおける最も古い地所の一つシュタインベルクを二十分ほど散策する。印象は良く、手入れされているよい場所とそれほどでもないところがあり場所によって造るワインを変えているのが分かる。2009年ワイン街道ミッテルハールトの葡萄の実りの素晴らしさと比べると、その粒が半分程で貧弱で白黴まで生えているので驚く。如何に河沿いの葡萄産地とバイオデュナミのそれが異なるかが実感出来た。2009年の出来の相違は比較にならないような気がする。

そこで腹を空かし再び地所バイケンのレストランへと直行する。ここは今日お客さんに大変気に入って頂いた「銭洗い観音」ならず「背に(銭)腹はかえられないバイケンさん」の聖地である。今日のお勧めは牛肉の足の赤ワインソース煮込みである。クロスターエアバッハのシュペートブルグンダーが美味い。昨日話題となったイコライザーの話とチャイコフスキー愛好とワインなどの素材の料理の話が話題となる。

テラスで憩うていたが流石に暗くなってくるとセーターを羽織っていても寒くなる。一日中天気も良く長袖で快適に過ごせた。高速道路脇の木々も色が変わってきていて今年の秋の推移の早さが分かる。

結局21時過ぎにガイセンハイムの駅までお客さんを送り、オストリッヒの船着場で四半時待って、対岸のインゲルハイムに渡る。短い船旅であるがいつものように離れる対岸のラインガウの夜景が懐かしく素晴らしい。

ワイン街道に戻ってくると世界最大のワイン祭りが開かれていて車通りが絶えない。夜中中運転されるマンハイムからの路面電車は満員の若者を吐き出す。銀行に寄って受け取ったワイン代金を自動支払い機に投入して帰路に着く。

帰宅して直ぐにワインを整理する。明日は間違ったワインをダイデスハイムの醸造所に返して、また南ワイン街道へと向うのである。
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休肝日に音盤を物色する

2009-09-12 | 生活
明日は試飲のため車に乗るので今日は休肝日である。日曜日までに注文すれば送料只であり、九月の末までに第三四半期メディア購入における自動車クラブの割引*が切れるので使わねば損とネット物色する。もちろん懐具合との相談であるが、幾ら入金があってもそれほど支出は出来ない。

ECMレコードの40周年記念とかで安売りが出ているが、それほど安くなっていない。もちろん安売りであるから興味ある録音もない事はない。ヒリヤードアンサンブルのものなどにも食指は動くが、アイヒャー氏がイコライザーを動かしたものはジャズなら兎も角クラシックではあまり良くない。ヒリヤードの録音などもヴァージンレコードのものの方で馴染みがある。それでも安ければ買うのだが、まだまだ安売りにしては割高である。

ヤナーツェックのピアノ曲集をアンドレアス・シフが弾いたものなど、一度生でマルティン・シュタットフェルトがこれらの曲をなかなか上手に弾いていたので褒めたことがあり、ネットで試し聞きしてみると、これがまたなんか後ろでおかしな事になっている録音なのだ。

キースジャレットのクラシック曲の録音も嘗てショスタコヴィッチを通常価格で購入して十分に分かっているので、もう要らない。アルヴォ・ペルトも同じように嘗て購入して分かっている。

なにも急ぐものでもなく、一体なにかを買うのかどうか結局は分からないのである。



*自動車クラブの割引はもうないようだ。今注文する必要はこれでなくなった。
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すかっとする後味の良さ

2009-09-11 | 雑感
九月の最初の日カルテラーゼーのワインを開けた。カァルラドと呼ばれるスキアヴァ種の葡萄から出来た当地の南チロル特産赤ワインである。我々旅行者にとってはスキーや山登りののあとのディナーに欠かせない。

五月に此方のワイン試飲会に招かれたそこの名門マニンコールのオーナーから買ったものである。他の赤ワインなどと比べて切れるような短い後味が批判されていたが、余韻を楽しむような良い赤ワインは世界中でも限られている。要するに高級ワインの世界なのである。それをこのトロリンガーの親戚であるチロルの赤ワインを評するときに基準として挙げるのは誤りというよりも、ワインスノブというものではないかと思うのである。

こうしたワインは、たとえ推薦されているようにボルドータイプのバカラのグラスで飲もうが、そのアーモンド状の苦味を楽しめば十分で、きっりっとした快適な飲み口さえあれば良いのである。

実際はなかなか楽しめその清潔度も問題がなかったのだが、若干酔い心地に難があったようにも思われる。高級リースリングを飲みつけている身体には僅かばかりの不純が気になるのである。

ネットでH2Bロケットの打上げライヴをみた。こうした日本のものははじめてみるが、ヒューストンのアポロの打上げ中継を知る者にとっては感慨深い。よくも液体燃料ロケットエンジンをあそこまで開発できたものだと思う。フィンの形状等で苦労していたのは大分昔話となっている。また、中継の音響はそのロケットエンジンの音を伝え、その重量に対する初速には驚かされた。
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潮時待ち中の不幸な事故

2009-09-10 | 歴史・時事
アフガニスタンでの誤爆が問題になっているようだ。コソヴォにおいて経験している事なので、ドイツの世論は大きく動かないだろうと予想する。左派党だけが国会での議論を目論んでいる。当然のことではあるが、その指揮系統や判断に誤りがあったとすれば処罰されるものなのだが、それ以上に議論を呼ぶとは思わない。今回の軍事行動がより安全な方へと骨折りをしての危険な行動であったと言う状況説明の通りならば気の毒というほかなく、清潔な軍事行動とは机上の空論でしかない事を端的に示している。

そもそもアフガニスタンにおけるタリバンとの戦い自体が厄介なもので、ソヴィエトであろうが、合衆国であろうが、NATOの指揮で動こうが、国連の指揮系統で行動しようがあまり結果は変わらないのだろう。パキスタン方面へと核兵器へと触手が延びない事と、アルカイダ等のテロリスト組織の巣窟からの世界テロ作戦の新たな展開を阻止する軍事行動が「国際貢献」と呼ばれるものである。

ドイツ連邦共和国国防軍は自衛のための軍隊でしかないが、同じ敗戦国である日本の自衛隊とは異なり、分断国の国土防衛の見地から且つてからより具体的な軍事行動が課されていて今だに徴兵制度まで存在している。しかし基本的には自衛隊でしかなく、コソヴォやソマリア、アフガニスタンでの軍事行動は「国際貢献」以外の何ものでもない。さらにアフガニスタンでは、東部と南部の危険な地域へは駐屯せずに北部で活動をしている。連邦共和国の姿勢は民間の援助としての警察指導にも重きが置かれていたのだが、そのような状況ではなくなって来ている事は再三ラジオの討論会等でも盛んに報道されていた。だから今回の「軍事事故」は特別な政治課題とはならないのである。

もちろん総選挙を間近にしての世論調査では左派党は支持を全国平均で11%と、緑の党並みに支持を伸ばしており、既に終った州選挙でフランスとの国境にある西ドイツのザール州までが左派党との連立政府が模索されるような政治状況となっている。要するに伝統的な国民政党社会民主党(支持率23%に至らない)は、旧東ドイツ統一党の共産党の流れ汲み自らの左派セクトの一部と合弁した左派党によって駆逐されている。

対イラク政策で反合衆国を貫いた元シュレーダー首相がインタヴューの度に、アフガニスタンからの撤退時期を早めに設定してそれを要請している。今では2020年の要求が2015年になっていると言う。これに対して、次期首相候補でもある大連立政権の社会民主党シュタインマイヤー外相は、「タリバンに耐久の計画を与えるだけだ」と一蹴している。しかし、軍事力を含む「国際貢献」が必要悪の国防軍の最も有効な利用法であることは世論の認識であって、今後も自国から犠牲者が出る事は避け難く、増強を認めず適当に撤退したいと誰もが考えて、その潮時を待っているに過ぎない。だから、選挙の争点とはならないのである。



参照:
ドイツ軍が (たるブログ)
ご無沙汰しております。 (買ったら全部聴け)
「革命」は似合わない言葉 2009-09-01 | マスメディア批評
自嘲自虐的アリバイ映画 2008-09-12 | マスメディア批評
軽蔑される浅ましい輩 2008-08-13 | マスメディア批評
安全保障に反する支援 2008-02-10 | マスメディア批評
暖冬の末に灯火親しむ 2007-02-18 | アウトドーア・環境
更に振り返って見ると 2005-10-09 | 歴史・時事
終わり無き近代主義 2005-09-03 | マスメディア批評
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カクテルが美味い食事前

2009-09-09 | 生活
陽射しも強く、暖かくなったので森を歩きに行った。一キロの下りから、一キロ谷から谷へと平地を歩いて、二キロの登りで高度差二百五十メートルほどを登り、二キロ下りてくるコースを通った。

少しばかり蒸していても、林を抜ける夕方の長い日差しは夏のように強くはない。一気に登りを終えると脈拍数は軽く毎分130を越えていたが、汗の掻き方は薄っすらといった感じである。

特に急ぐ事もなく日陰に停めてあった車まで降りてくると一時間を越えていた。結構一気に歩いたつもりであるが、それほどスピードは出ていなかったようだ。

ここ暫らく涼しかったので気持ち良く汗を掻く事がなく、運動量が落ちて今一つであったが、久しぶりに身体を動かして満足した。
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価値のある家庭電化製品

2009-09-08 | テクニック
ソニーの商品を修理に出す準備をした。どの商品も、ロンドンや日本での購入商品であったので、確かな故障箇所を示すために参考になる取扱説明書をダウンロードした。

正常に作動しているドイツで購入した商品も取り扱い証明書に英語と世界の各国語しかついていない商品も多い。家庭電化やモニターなどでは国に応じた商品開発などあまりしていないと言うことで、所詮そのような規模の企業であるはずなのだが、なぜか一時期急成長して巨大企業化していた。

故障箇所や不具合を間違いのないように簡潔に纏めて修理依頼を出したのだが、携帯ラジオ、アナログVIDEO、デジタルカメラとも同じ修理会社の担当であった。そのようなサーヴィス網を見ると数十年前のソニーが一般家庭にも普及した頃の日本の状況を思い出す。各地区に可也無理矢理増やされたようなフランチャイズのような修理サーヴィス網の事である。しかしそれよりは、アウトバーンの輸送の軽便さを利用して、合理的にピックアップされて一極に集中されるようだ。

そして今回もなぜか二つの商品とも駆動系のメカニックな部分の故障と磨耗が不具合の原因となっていて、これまた嘗てのステレオカセットレコーダーのスイッチが頻繁に折れたことを思い出した。全くソニー商品というのはドイツ商品と正反対にメカニック部分が弱いようだ。おそらく商品開発時の安全係数を低くしているのだろう。それでも保障期間が過ぎてから壊れるようになっているのは見事である。

どの商品もオリジナルの箱がないので、適当な箱を探して梱包した。その箱がまたソニーのモニターの箱なので、その近々壊れるかも知れない液晶モニターの修理が必要な時はまた別の電化製品の箱を利用する事になるのだろうか?しかし、そのモニターが壊れても修理には出さないだろう。周りを見ると修理に出す必要のあるもしくはその価値のある電化商品は益々少なくなって来ている。ここに電化製品市場の崩壊を見るようだ。



参照:
ライク・ノー・アザー 2006-04-05 | マスメディア批評
技術信仰における逃げ場 2007-11-06 | 雑感
失明しそうになる液晶モニター 2009-05-25 | 雑感
具象された肉体無き偶像 2007-04-04 | マスメディア批評
求められる明快な宇宙観 2006-05-25 | マスメディア批評
理のある変換とその転送 2006-04-20 | テクニック
印象の批判と表現の欠如 2006-03-11 | 文学・思想
複製消費文化の興亡 2005-12-28 | 文化一般
石林の抽象への不安 2005-10-25 | 文化一般
工業化された時間のデザイン 2005-04-02 | 文化一般
殆ど保障されている収穫 2009-09-06 | 暦
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玉も、胃腸もごろごろ

2009-09-07 | ワイン
怒涛の如くのグランクリュ試飲であった。試したワインの種類は、三件の醸造所で全部で25種類ぐらいである。グランクリュ以外のものが10種類混じっているのでグランクリュは15種類となる。その中で、解禁されたばかりの2008年ものは12種類あり、あとは2002年、2003年から3種類である。

2008年産は酸が強く、その独特の酸は胃液に混じって戻ってくるかのような独特の風合いがある。これが繊細さが失われないように上手に醸造されているかどうかが判断のしどころである。その酸が少し嫌味な感じで出ていたグランクリュとして、フォン・ブールのルッパーツブルクのライタープファードやバッサーマン・ヨルダンのペッヒシュタイン、ビュッルクリン・ヴォルフのガイスボェールなどが挙がる。

因みに2008年産のバッサーマン・ヨルダン醸造所のカルクオーフェンが発売されていないのはその品質に至らなかったとされていて、昨年の冬の土壌改良作業が思い起される。それはビュッルクリン・ヴォルフのそれも例年の火打石の趣よりも白胡椒風のスパイシーさに当たるのにも表れているかも知れない。また、2008年6月にはルッパーツベルクの地所は雹にやられたのを思い起させる。

そのような酸事情から例年ならばごつさが目だってあまり繊細さの感じられない2008年産イエズイーテンガルテンに薬草風のスパイシーさが感じられて良いアクセントとなっている。その中でフォン・ブール醸造所のそれはなかなかお買い得の商品となっていた。なるほどグランクリュの地所はバイオデュナーミで栽培されているからの熟成であると言われれば認めない訳にもいかない。もう一息他の地所もバイオ農業からもう一歩進めて手を掛けてほしいものである。

しかしなんと言ってもビュッルクリン・ヴォルフの2003年産のイエズイーテンガルテンには驚かされた。これと同年のペッヒシュタインと一騎打ちとなったが、難しい暑い年における酸の新鮮さで前者に軍配が挙がり、後者の熟成感の出ている繊細な趣には欠けるものの、ごつさはなく尚且つ清潔さに満ち溢れているのには驚かされた。スキヤキなどにも負けないアルコール13%のリースリングである。

そうなればフォン・ブールの隣り合わせの地所キルヘンシュトックは流石に見事な出来上がりで、何よりも赤いバラの香水香が素晴らしく、2008年の酸の特性を綺麗に包みこんでいる。やはりこの王者の地所の特産品の出来は違う。

甘口は今回試飲しなかったバッサーマン・ヨルダン醸造所の既に売り切れた2008年産ホーヘンモルゲンの素晴らしいバランスの美しさには至らないまでもビュッルクリン・ヴォルフのフォルスターアウスレーゼは、手軽な甘口として2008年9月30日に収穫されたキルヘンシュトックとイエズイーテンガルテンから葡萄の良さが出ていた。兎に角、上質の甘口は喉を水の如く流れ、引っかかりや後味のイガイガ感が皆無なのが肝要である。その意味からフォン・ブール醸造所はまだまだこれからである。

試飲は、強い酸が胃腸をごろごろさせたが、またもやそこで可也勉強させて貰った。今回の収穫は、最後の瓶であった2001年産ペッヒシュタインを入手出来、それを2008年3月と時間を開けて再び試せる機会を確保出来た事た。また、上の2008年産イェズイテンガルテンを安く購入したのでこれも二年後ほど先の年末年始に楽しめる。



参照:
旨くない途轍もない将来性 2009-09-03 | 暦
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殆ど保障されている収穫

2009-09-06 | 
衣替えである。それを意識する年もあればあまり意識しない年もある。気候だけでなく生活態度にもよるのだろう。今年の夏から冬へは意識する。

夏の間、比較的ラフな格好をし続けていた反動が強いのだろう。そして今年の秋は例年になく肌寒い。晩夏は長いと言われていたが、八月中旬になってもあまり急に天気が崩れず、日が強く、朝晩の冷え込みが特徴であろう。可也温度は下がっているが山沿いで雪が降るほどに悪天候の様子もなく、素晴らしい秋を迎えている。

つまり例年のような蒸し暑さがないので、九月も過ごしやすく、記念すべき偉大なワインの年度となりそうである。陽射しのなかを散歩すると、余所の川に近いような地域では腐りもあると言うのが全く嘘のように完璧な実りである。こんな完璧な年はない。夏の陽射しも十分にありながらも余分に茂るほどのものではなく、切り落とし等も最小限度に済んだようで、今年ほど楽な年も少なかろう。全く腐りの様相もなく暑い陽射しの中を乾いた風が吹きぬける。

先ず最初の摘み取りまではなにも起きるはずもなく、ライン平野に抜ける風が昨夜のお湿りをもう乾かしている。毎年その気候によって長所も短所もその栽培地域に見られるのだが、2009年に関してはミッテルハールトはその乾いた気候と十分な陽射しで他の追従を許さない感じである。見るからに量も今までになく多く、質もその酸と健康な熟成によって既に保障されている。

最後の写真を撮ろうとすると、異音を発し始めていたサイバーショットの蛇腹が開かなくなった。帰ってきて早速分解したが、更に手を掛けると壊れそうなので、修理に出す事にした。実はSONY商品だけでこれを入れて三製品修理が必要で永く使っていないものがある。それを纏めて修理するのである。


写真:零れ落ちそうなイエズイーテンガルテンの葡萄



参照:
しぼむ葡萄 (モーゼルだより)
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秋のはじめの想いの数々

2009-09-05 | 
肌寒くなって、いよいよ長袖が恋しくなってきた。完全に秋真っ只中である。

八月の最終日曜日、5.6KMのコースを歩いた。始めて逆時計周りに辿った。朝はとても涼しく重い靴で思わず走り出してしまった。一キロほど走ったので、普段とは異なる無駄な脂肪が動き、蹴りで脹脛や太ももに堪えた。先ずはそれが限度であったが、何時か機会があればもう一キロ走ってみたい。脈拍150越えの苦しさ以上に、まともな靴を履かなければ身体を痛めそうである。まだまだ、余裕が無く神経が苦しい側にいるので、もう少し肉体を客観的に観察して動かせると面白いだろう。一キロほどを走っても歩くのとさほど時間は変わらないので、車まで帰ってくると結局一時間近く掛かってしまった。

グランクリュワインが解放になる前の週、2006年産のロバート・ヴァイルのグレーフェンベルクを開けた。瓶詰め後二年しかたっていないので、通常は後三年ほど待つリースリングであるが、あまり多くを期待出来る年度ではないので実力を試すために開けてみたのだ。

試飲した時にも感じたアルコールというか熟成度の強さからあまり鮮やかさもない。先日試したシュロース・ヨハニスベルクの格落ち商品との一騎打ちとなった。結果は、流石にエルステス・ゲヴェックスとしているだけあって、酸が十分には効かなくともそれだけの繊細さを出していて、あまり期待出来ないながらもまだ色々な成分が吹き出してくる潜在力は持っていた。

味の傾向は、どうしてもスレート臭さが出てくるのだが、下位のシャルタワインなどと比べると薄っすらと綺麗に出ていて、土壌の品の高さを感じさせる。梨のような筋の良さは、栗のようなヨハニスベルクの土壌よりも分厚くならないのが利点だろう。その二つの土壌の特徴をまったくそのスレート基盤と雑食砂岩基盤の組成を無視して喩えれば、ダイデスハイムの地所ホーヘンモルゲンとルッパーツベルクの地所ガイスビュールの差ほど異なる。好悪ではなくてその好みは別れるだろう。

もちろんシュロース・ヨハニスベルク醸造所のアルコール15%の商品はおそらく過熟成してしまった失敗作ではあろうが、醸造所として一流のローバート・ヴァイルではあの商品では販売できないだろう。しかし、2006年産の難しさは、なるほどグレーフェンベルクの斜面の上方でなんとか酸の効いた葡萄が出来たとオーナーが胸を撫で下ろしたぐらい、典型的な温暖化気候の中でのリースリングであった。

さてその価格30ユーロは高過ぎる。しかし、飲めないようなリースリングに20ユーロ払う事を考えれば、決して捨てるようなものでは無いのである。十分にそれだけの繊細さが分かり、尚且つ2006年産の難しさも分かるのだ。もちろん授業料としてそれが高いと思う人が普通であろうから、その価格で幾らでも他に旨いワインは飲めるので、人には薦められないグランクリュであった。



参照:
旨くない途轍もない将来性 2009-09-03 | 暦
Fシティーの垢抜け方 2009-08-11 | ワイン
腐れ葡萄にその苦心を窺う 2009-07-30 | ワイン
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認知年齢の大差は何処に

2009-09-04 | 生活
月曜日の午後面白い情報をラジオで聞いた。高齢化社会における健康を考えるハイデルベルク大学のマルシリウス研究会のお話である。脳医学から社会学まで広い専門分野渡る共同研究グループである。

お客さんとしてマイクロフォンの前に座っていたのは脳生物学教授ヨハネス・シュレーダー博士であった。氏の研究分野は脳におけるドーパミンの分解などのようだが、その研究から得られた「結論」が面白い。一部その意外性に驚かされた。

教授によると、「認知年齢」は幾つかの要素によって個人差が出るというのだ。その認知年齢の意味が良く分からなかったのだが、どうもドーパミンやその誘導体、認知症に関わるそれであると分かってきた。要するに老齢化して行く過程で、如何に若さを保つかというアンチエージングの考え方の一つであるようだ。

先ず老齢化が何処で始まるかという見解では、個人差があるが四十歳台であり、現在では若年老人を六十歳としているが、それはいづれ六十五歳ほどに引き上げられるかも知れないとしている。老人性遠視などの始まる四十歳代からその個人差が出てくると言うのである。

これは皆うすうす感じている様々な状況が思い起せるが、教授は次ぎの様に断言する。遺伝子的な体質や個人的な危険への対処、仕事や生活態度などを除いた要因として意外な条件が浮かび上がる。

一つ目に教育程度だと言うのである。これは認知という言葉を考えれば納得できるものであり、それが教養を表わすのか高等教育における理解度を表わすのかは判らなかったが、所謂知性的かどうかという事になるのであろう。当然の事ながら単純な話よりも難しい話しに関心が持てるかどうかでもあり、具象よりは活字、大衆文化よりは高度な芸術に関心が向くかどうかの相違であろう。少なくとも同じ放送局SWRの第四波よりは第三波を聞いているリスナーの方が遥かに知性的なことには間違いなく、大衆紙と高級紙の読者層の違いでもある。

二つ目に挙がったのはこれまた関心事である中高年の運動である。これはある程度の年齢から身体を動かせるようにしておくのと、そうでないときの相違を語っている。プロのスポーツ選手のような動体視力や瞬発力を要求されたり身体の特定の部所に負荷を掛け続けていると磨耗疲労したりする事と、これは矛盾している。しかし、そこへと至る筋力の強化や基礎的な条件を整えるのがある年齢を越えると難しくなってくるのは承知している。それはここでも取り上げている肥満やまたは気力の喪失更には疾病というそれ以前の問題が係わっているからである。肉体の劣化はある種の「それ以前に出来ていた感覚との差異」という精神と肉体の乖離として「統合失調」を推し進める。この問題は所謂中高年の自殺とか鬱とも結びついているに違いなく、その傾向や観察は実際に現われて来るあらゆる形の表現として認知出来る ― たとえば三島由紀夫の晩年の作品や桂枝雀の新作落語に観察しても面白い。

三つ目が最も意外で考えもしなかったのが、子供の時の栄養状況だと言うのである。これは脳のホルモン機構に与える発達に大きく影響しているのだろうか。胎児教育ではないが、そこまで遡るべきかと思うのだがどうだろう。

これらの医学的な研究と平行して、このグループによる講演として火曜日の夜大学の旧講堂で行なわれたのが、元国務大臣であるウルスラ・レーア博士教授女史の「人口構成の変化 ― 共同体、経済、商業における一つの課題」と題する講演である。そこで話題となったのは、高年齢の就業者の増加とその質の巨大な差異、共同体におけるあり方等々のようである。高齢化した先進工業国はこの問題に真剣に取り組まずにはいられないのである。



参照:
Arbeitsvorhaben Prof. Dr. Johannes Schröder (Marsilius Kolleg)
本当に、加齢によって体力は低下するのか? (月山で2時間もたない男とはつきあうな!)
奈良帯解・円照寺 夏の日ざかりの庭で (庭は夏の日ざかり)
夢たまご1 2 0001 (YOUTUBE)
夢たまご2 2 0001 (YOUTUBE)
記憶にも存在しない未知 2007-05-27 | 文化一般
大脳辺縁系に伝わる記憶 2009-01-06 | 文化一般
感受性に依存する認知 2009-01-03 | 文化一般
隠されている解放への障壁 2009-07-20 | アウトドーア・環境
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旨くない途轍もない将来性

2009-09-03 | 
解禁の日バッサーマン・ヨルダン醸造所で2008年産グランクリュリースリングを試飲した。ものすごい酸の量感に圧倒された。グローセス・ゲヴェックスとして生産されるようになってからはじめての本格的な酸濃度であろう。

最初に試したペッヒシュタインは現時点では例年並に閉じているのだが、その酸が殆ど胃酸のような臭みすら持っていて、まるでクリストマン醸造所のそれを思い出させるほどの酢酸のような酸である。この時点で、このワインを購入するのは年季の入った顧客で殆どが予約している客であろう。もし、地所ペッヒシュタインやこの醸造所に馴染みがなくて現時点でこれを選べる専門家がいたら私は弟子入りしたい。それほど、全く旨くないワインなのである。

それは同様に例年は万人向きのフルボディーのリースリングが出来上がるホーヘンモルゲンでも良く事情は似ていて、その力は様々なベクトルとなっていてそのなかでも当たりの強い「酸にあたる」人が普通であろう。既に樽試飲したビュッルクリン・ヴォルフのそれも2008年産は決して万人向きのリースリングではなくてイガイガしていて通向きのそれだった。

最後に試したイーェーズイテンガルテンは通常ならば果実の熟成度が高いため、糖が高めでアルコールも高めと、大柄なリースリングなのだが、現時点では土壌に起因するスパイシーさが特徴となって捉え所を与えている。しかしその取っ掛かりは万人に受け入れれれるというものではない。要するにマニアックなのである。

押しなべて云えば、予想通り2008年産のグランクリュは特別興味あるワインで、下位のクラスでの限界を遥かに上へと拡げている。要するにその酸とスパイシーさや果実の熟成度が凝縮していてその葡萄に痛みがない限り、何年先に賞賛が聞かれるか分からない代物である。少なくとも大物のグランクリュでは2007年産とは異なり二年以内に楽しめるものは殆どないであろう。また、2004年産のようにその酸が乳化してクリーミーな趣となって、ある程度で飲まないと重くなってしまうものも出てきそうである。それとは逆に、2001年産のように五年以上経ってはじめてその真価が現われ出し、その後まだどのように進展するか分からない途轍もないリースリングも出てきそうである。


写真:フォン・バッサーマン醸造所の期待に膨らむペッヒシュタインの2009年産葡萄



参照:
VDPエアステ・ラーゲ試飲会 in ヴィースバーデンl (モーゼル便り)
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石壁よりも堅い「友愛」哲学

2009-09-02 | 文化一般
合衆国で問題となっているとされる鳩山氏の原稿「私の政治哲学」を読んだ。その主旨は良く理解出来た。先日FAZ紙において、鳩山氏の紹介に密教的と書いてあったので気になっていたのだが合点が行った。

其処には元女優の奥さんがそのような書籍を出版しているのと本人自身も密教的となっていたのだ。はじめはシュタイナー信奉者かと思ったが、この小論文を読んで行くうちに推論できた。

その題名の「友愛」の意味のみならず、内容のお手本となる人物リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーについてはあまり知らなかったが、WIKI情報によるとフリーメーソンの会員とあって、なるほどと思ったのだ。

そう云えば鳩山家がその秘密結社の会員であるとかはネットの情報にある。そのようにこの小論文を読み解けば、更に良く理解出来るだろう。そのタイトルの友愛こそが博愛でなくて、謂わばカレルギーが採用したEU歌「歓喜に寄せて」のそれであり、モーツァルト「魔笛」に描かれているそれであろう。それはパシフィズムでもある。

秘密結社ゆえに会員である事を否定も肯定もしないであろうが、これはこれで日本国の首相の信条や人柄が世界的に分かり易くする。少なくとも弟氏の「日本人は情念・怨念を伝統とする」云々とひねた言い方をする政治家よりも遥かに理解され易い。

そのように考えれば、カトリック教徒であった前任者も、あのように主張の「ぶれる」分かり難い人物像であったにも拘らず、右翼の石原慎太郎や安倍元首相の体系化され得ないそれよりも、もしかするとカリスマの小泉の普遍化され得ないそれ以上にその政策は欧米で詳しく紹介されたような趣がある。

要するに、公人としての政治家と云えども、たとえそれが個人的な信条や思想や宗教観であろうともその人物像や意思判断を理解するうえで十分過ぎる手掛かりとなるのである。その点、福田子元首相の「私はあなたと違います」では、その人物の世界観を示すほどの発言となっていない事になる。

読み違いかも知れないが、日章旗切り刻み批判で鳩山氏が民主党旗を指して「神聖」とかなんとかの発言を読んでおかしな事を言う人だなと思っていたが、これで合点が行った。

真偽の程は判らないが、どのようなグループに属していようが、その人物の政治判断は必ずしも一義的ではなく、それは東ドイツ市民であり尚且つ根っからのプロテスタント信者であるメルケル首相にも当てはまる事なのである。

少なくとも先進工業国のリーダたる政治家は、確固たる世界観を持ってこそ、はじめて現実の世界像を修正しながら頭に描くことが出来るのである。



参照:
私の政治哲学~祖父に学んだ「友愛」の旗印(1)/鳩山由紀夫(民主党代表)
私の政治哲学~祖父に学んだ「友愛」の旗印(2)/鳩山由紀夫(民主党代表)
20世紀の過ちを21世紀で繰り返さないために (蓬莱の島通信ブログ別館)
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