Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

印象の批判と表現の欠如

2006-03-11 | 文学・思想
「水の精が遣って来て、自分の存在を感ずる事が出来たのだろうか」とレンツは言って、更に続ける。「シンプルでピュアな自然と言うのは、様々な要素が組み合わさった も の なのだ。だから人が精神的により綿密に生きるほど、その根源的な知覚はそれだけ貧弱なものとなる。人を特別に高度な も の とは思わない。すれば自主独立性には欠けるが、その時こそ素晴らしい恍惚感へと至るのである。そうして、すべての岩石や金属や水や植物のあらゆる形態に感応して、自然のあらゆる生物は、花のように満ち欠けする月と共に受け入れられる。」。

ゲオルク・ビュヒナーの遺作「レンツ」からの一節の引用である。同じ遺作の「ヴォイツェック」の舞台であるダルムシュタットを昨日訪れた。気温が上がり、方々に残る雪は少しずつ降る雨に融かされていた。地元で起こった殺人事件「シュナイダー事件」の現場や郊外の様子を眺めると、地元出身の作者がここの土地の気風に大きく感応しているのが想像出来る。町を取り巻く森の独特の地形や数多い池などは、その気風と相俟って決して無視出来ない心理要素である事が判る。

殺人者シュナイダーが血を拭い、殺人者ヴォイツェックがその凶器のナイフを追うように入水して行った。池畔の木の枝は抵抗するかのように激しく絡み付き、水面上に立つ葦は堅く密集している。池の水は、血の様に粘り付くように体を包み込む。池の水面に拡がる円形の渦は静まり、水面上は静まり返り、ただ呟きが聞こえる。

そうして改めて、アルバン・ベルクのオペラ「ヴォツェック」初演当時の作曲家自身の解説を読み返すと面白い。特に終幕の一幕第二場で使った三つのアコードの六つの音のインヴェンションから終幕のニ短調への推移についても、「印象主義」の言葉を用いて説明している。フランスとドイツに於けるそこへ至る道程を示唆しながら、自己の作曲の厳格な方法を自負して、印象主義(Impressionismus)への「一般的な印象」を強く批判している。まさに、この用語自体が表現主義(Expressionismus)の反対語であって、文学・舞台・音楽・造形・建築など其々の分野で充分に定義されているが、どうもそれらの特に表現主義の捉え方が、現在へも伏流のように連なる大きな問題である事を図らずもこの作曲家は八十年ほど前に示している。

それは具体的に言えばソニーミュージックが指揮者のエサ・ぺッカサロネンらと計画した作曲家リゲッティー全集が作曲家の怒りを買ってシリーズ半ば頓挫した事など、所謂ポストモダーン風潮の捕らえ方にも大きな影を落としているのではないだろうか。ザルツブルク音楽祭での氏のオペラ上演後のレセプションでのこの作曲家の立腹は、近くで見ていて大変なものであった。要するに、素直な感受性を阻害するものこそが近代であって、ここに立ちはだかっている。決して、それは商業主義の罪状だけではないので、解決が容易ではない事が怒りに油を注ぐのだろう。



参照:
趣味や自尊心を穿つ [ 生活・暦 ] / 2006-02-26
固定観念を越えた感応 [ 文化一般 ] / 2006-02-10
本当に一番大切なもの? [ 文学・思想 ] / 2006-02-04
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小市民の鈍い感受性 [文化一般] / 2005-07-10
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