Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

暖冬の末に灯火親しむ

2007-02-18 | アウトドーア・環境
教養を論議した友人のドイツ語教師に、最近会得した速読の成果を話した。するとどうもこれは、心理的に甚大な影響を与えたようだ。ご本人は、速読など出来ないと言うが、流石に母国語教師なので目の走らせ方は大変早い。早くなければ、下手な文章などを採点は出来ないであろう。

つまり、その出来ないと言う意味は、「内容を読み取るのに時間を掛けなければいけない」と同義なのである。これこそが本題であるのだが、例えばトーマス・マンの作品をその記載内容を理解して読み取って行くにはネットで瞬時に得られるような数多な知識だけでなく、そこから本歌取りをするぐらいの読み取りが必要になる。そうした事を考えていた。

昨日の記事を書いてトーマス・マン作「魔の山」に再び関心が向いたので、橇馬車の登場しそうな情景を読んでみる。すると驚いた事に、「強靭で灰汁の強い宣教」並びに「ここにいたか、売国奴よ!」と題して過日綴ったマンハイム探索記がそのままこのマンの大作の中で、各々の世界観を展開する二人の登場人物が決闘する場面を直接導いていた。

つまり、ユダヤ人からの改宗者であるナフタこと元イエズス会の社会革命家が、セッテムブリーニこと啓蒙思想のヒューマニストと決闘する場面である。この神経衰弱の無政府主義者は滔々と自由について語り出す。自由のための戦い、それを跳ね返すエヴェレストのような氷の衣、そして自由への渇望は自由を束縛する。ルターの流れを受けた過激派ザンドが暗殺を実行して首を撥ねられ昇天する自由主義学生運動の顛末をフィードバックさせる事で議論の発火点とする。

欧州のロマン主義は、その個人主義を以って反古典主義や反アカデミズムとなり、自由主義思想となる。そして、その自由主義思想は、啓蒙思想以上に遥かにロマンティックであり、ロマンを以って独立した個人集団はお互いに避けようのない抵抗に直面して、結局好戦的な態度となり、人間的なリベラリズムを蝕する。

モーゼの第一冊を奪い取った平和主義の無神論は、近代科学をドグマとして、ただ一つの形而上的な認知をここに、つまり一元的な世界感の中に位置付けられて、ただその発展の中に存在する。そして、厳寒の雪上の決闘でセッテムブリーニが天に向けて発砲をするのを見て、ナフタは自らの頭を撃ち抜く。

この作品を暗いと評した上の友人は、「ファウスト博士」の物語すらも鬱陶しくて暗いとする。昨日のFAZ文化欄のトップ記事は、60年前に出版されたトーマス・マンの「ファウスト博士」に破局の将来を見ると言うものである。主人公であるアードリアンは、丁度百年前の1907年には二十二歳で、イタリア旅行中に悪魔との契約を交わす。ヴィーンの美術学校を落された男アドルフは、そのころ絵葉書を描いて生業としていた。

ミレニアムの時を過ごして、既に2007年2月である。我々は、2015年から2050年の間に予想される破局を前に、その原因となる20世紀の後半に責任を持っていると思い起こさせる。我々は加害者なのか、被害者なのかと問いかけている。暖冬の夜、決して過去に将来を見るのが鬱陶しいのではない。2030年まで生きているとすると、その急展開を体験する事になると言うのが鬱陶しいのである。



参照:
でも、それ折らないでよ [ 文学・思想 ] / 2007-01-26
川下へと語り継ぐ文芸 [ 文学・思想 ] / 2007-01-21
明けぬ思惟のエロス [ 文学・思想 ] / 2007-01-01
ザーレ河の狭間を辿る [ 文学・思想 ] / 2006-12-25
自由システム構築の弁証 [ 雑感 ] / 2006-12-16
ファウスト博士の錬金術 [ 音 ] / 2006-12-11
世にも豊穣な持続と減衰 [ 音 ] / 2006-12-09
在京ポーランド系ユダヤ [ 雑感 ] / 2006-10-08
否定の中で-モーゼとアロン(1) [ 文学・思想 ] / 2005-05-02

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