「日本人よ、恥を知れ」と三島は最後の切腹をしたが、その意味がよく分かる。谷本歩実の金メダルへの勝負が、流れていたEUROスポーツのTV中継画面に嵌め込まれて、その鮮やかな一本が何度も角度を変えて示されると、益々そのような気持ちとなる。それほどに素人が見ても見事な柔道である。
柔道がJUDOとなって、全く似ても似つかないレスリングになったとの意見がネットでも多い。真偽は知らない。しかし、その昔嘉納治五郎筋が、オリンピックルールに対抗して着物の色などが議論されていた事を思い出す。一体あれは何だったのか?私は想像する、柔道の真髄を十分に説明出来ない、つまり自らがそれを十分に自覚していなかったから枝葉末節に拘ったのではないかと。
本当の柔道に拘って、それを示すことは、メダルなどよりも価値があるとする意見に共感する。似非民族主義者に、似非平和主義者に、似非現実主義者に、似非世界主義者に、信念の爪の垢でも飲ませたい。
欲しがりません、勝つまでは。そこまでして、金が欲しいか?浅ましい輩よ!
他者の心情に勝手に共感するなどはどうでもよい女々しいことなのである。頭を柔軟にして、己のアイデンティティーを高みから観察しろ。そしてそれに対峙して、それに拘れ。そしてとことん戦うのである。さもなくば、答えろ、お前は何故に存在しているのか。
嘘をつくな、恥を知れ!思いっきり軽蔑しろ、そのような輩を!
参照:
未来の無い真ん中の帝国 [ マスメディア批評 ] / 2008-08-09
擦れ違う視線の笑い [ 文化一般 ] / 2008-08-05
脱構造の日の丸の紅色 [ マスメディア批評 ] / 2007-12-12
正義 (雨をかわす踊り)
日本選手はなぜ中国国旗を握って振ったのか
谷本の優勝には日章旗だけが振られた (ステージ風発)
柔道がJUDOとなって、全く似ても似つかないレスリングになったとの意見がネットでも多い。真偽は知らない。しかし、その昔嘉納治五郎筋が、オリンピックルールに対抗して着物の色などが議論されていた事を思い出す。一体あれは何だったのか?私は想像する、柔道の真髄を十分に説明出来ない、つまり自らがそれを十分に自覚していなかったから枝葉末節に拘ったのではないかと。
本当の柔道に拘って、それを示すことは、メダルなどよりも価値があるとする意見に共感する。似非民族主義者に、似非平和主義者に、似非現実主義者に、似非世界主義者に、信念の爪の垢でも飲ませたい。
欲しがりません、勝つまでは。そこまでして、金が欲しいか?浅ましい輩よ!
他者の心情に勝手に共感するなどはどうでもよい女々しいことなのである。頭を柔軟にして、己のアイデンティティーを高みから観察しろ。そしてそれに対峙して、それに拘れ。そしてとことん戦うのである。さもなくば、答えろ、お前は何故に存在しているのか。
嘘をつくな、恥を知れ!思いっきり軽蔑しろ、そのような輩を!
参照:
未来の無い真ん中の帝国 [ マスメディア批評 ] / 2008-08-09
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脱構造の日の丸の紅色 [ マスメディア批評 ] / 2007-12-12
正義 (雨をかわす踊り)
日本選手はなぜ中国国旗を握って振ったのか
谷本の優勝には日章旗だけが振られた (ステージ風発)
JUDOになったとは、そういえば、柔道って、試合場は緑の畳に赤い畳で囲まれているものだと思ってましたが、赤畳がなくなったのも、驚きました。カラー柔道着もそうですね。
しかし、ブラジルでは柔道はJiujitsuになり、アメリカに異種格闘技ブームを黒船のように上陸させました。ロスにJiujitsuの道場があります。以前、私の知人の働いていた寿司屋にホイス・グレイシーが来て握手したと言ってました。
「どうして電話してこなかったんだ!」
と文句を言いました。
それでも速報として流されるだけ魅せる柔道だったのですね。
柔術ということばも最近はよく聞くようになりました。その実態は何か訊ねて見なければ分かりませんが、当方でも古武道の道場に誘われて行けずにいるのは何度か書いています。
オリンピックにおける柔道とは違うそれらは日本外での方が人気があるように思いますが、どうなのでしょう?日本人は全て精神を金にして売り渡してしまってますからね。情けないことです。
点数稼ぎで勝つ柔道など既に柔道ではありません。
そう思っていただけに清清しい一本勝ちでした。
>金が欲しいか?浅ましい輩よ!
この場合はメダルではなくてその後の生活の「金」でしょうね。社会主義の国では金メダルを取れば一生安泰とも聞きますから。
だから、経済的な基礎が必要になります。その視点では改めて考えてみたいと思いますが、柔道の場合はなにか本質的な問題が表れてきているような気がします。
こう言うところに、どういう姿勢や見解なのか、実は誰も分かっていないというような、信念のも何も無い無様な姿が曝け出されているのです。如何にまともな議論が存在しないかです。情けないことです。