Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

二大国民政党制の終焉?

2009-09-28 | 雑感
ドイツの総選挙は予想以上に自由党が躍進した。それゆえに今回投票締め切り直後の抜き打ち調査結果でもめることなくキリスト教民主同盟と社会同盟が自由党と連立する事で過半数を獲得して、政権交代が実現した。何よりも大連立が解消されて議会制民主主義の枠組みが護られたことを喜びたい。

因みに予想通り社会民主党は転落して、その支持層の多くが棄権に廻ったようで、過去最低に迫る投票率72%の低さであった。同様に注目したいのはバイエルンの政党キリスト教社会同盟が六パーセントと弱小政党となり、自由党の半数以下の支持しか得られなかったことから、新政権内では社会主義的政策は後退して自由主義的政策が強調されるに違いない。

その反面、左翼党が躍進して堂々第四の政党となり、同じく伸張した緑の党と共に合わせて社会民主党の議席数に迫る勢いである。そのような情勢においても厚顔のSPDシュタインマイヤー党首は最大野党党首としての意欲を示しているが、今後党内が一枚岩で推移するとは思われない。過激さを増すであろう国会論議の中で左右から板挟みとなれば、いよいよ左派党との合弁への動きや切り崩しなども激しさを増すのだろう。

いづれにしても第一党のキリスト教民主同盟も過去最悪の議席数に迫っていることから、これが二大政党制の終焉なのか、それとも大連立の余波なのかはなんとも言えないが、支持率一桁の少数政党はバイエルンの地方政党だけとなり支持率二桁の三中政党と支持率二十パーセント台の二大中政党の多政党時代へと踏み出した。


追伸:当独日協会の名誉会長ユットナー教授は返り咲きを果したようである。



参照:
WAHL2009 (ARD)
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愛しい即物としての「生」

2009-09-28 | 文化一般
スパイヤーでのライヴのあと打上げの席に参じた。そこで、はじめて机を囲む面々と自己紹介やらしていて、カールツルーヘからのお客さんと作曲家ヴォルフガンク・リームの話などが出たのだが、当夜のプログラムにあった中島宏行のプロジェクト「生」に関連して自殺の話も出た。

その女性はハンブルクの貴族の娘さんのようだが東ドイツ出身なので本日開票される選挙における左翼党のポピュリズムに怒っていた、そして日本での自殺の多さが話題となった。これに関しては、ここでも繰り返し書いているように個人的に大変興味ある話題なのである。

さて中島氏の芸術を振り返る。「生」と題されたこのプロジェクトでは百枚の「生」の字が生にて次から次へと書かれていくのである。つまりその数は、日本で一日に自ら命を絶つ人の数に相当すると言うのである。それを五秒間に一つづつの早さで書き上げていく。その数は、世界中で子供が死んでいく早さなのである。

これをして私は「分かり易い」と表現した。何が分かり易いのか?

中島氏は、並べられた紙に左から右、右から左へと、思い思いにひとつとして同じではない文字を描いていく。そこには強くふてぶてしいものもあれば、細く神経質なものもある。ある時は霞み滲んで、ある時は血潮のように広がる。

それを発止発止と、または静かな祈りの如く書いていくのがパフォーマンスとなっている。そのライヴこそが「生」であるのだ。こうした判じ物は説明するにも一分ぐらいの時間を要する。しかし、そうして次から次へとかいていく流れは分かり易いのである。そして、各々が気に入った字を購入して持ち帰ればユニセフに寄付されるとなれば尚更分かり易いのである。

そこには、対象となるものが存在して、その意志が具体的な形で存在している。それは、既に紹介したジョイントライヴであったトム・バウマンの動的でありながら、否定の否定であるどうしても珍奇となり易い抽象とは相反するパフォーマンスなのである。謂わば、スパイヤードームの石を積み重ねたような実存がそこにある。

打上げの場において、こうしたパフォーマンスを受け入れる余地が何処にあるかという宇陀話となると、どうしてもカトリック社会における普遍的な包容と、プロテスタント社会におけるアンガージュマンへと集約されて来る。

中島氏は、万以上の数の「生」を大きな空間へと展示したいと語ったが、丸い穹窿にそれを放つのは容易ではないなどと考えて、安楽死を肯定するカルヴァン派の教会ならずスイスの木造の平屋根の教会などにそれが展示される様子を空想してみたりする。このプロジェクトの分かり易さは、そうした肯定的な意味でのザッハリッヒカイトでもあるのだろう。要するにバウマン氏のそれのような性的な肉体感を必要としない実存なのである。



参照:
NAKAJIMA HIROYUKI (HP)
プロジェクト 『生』/Speyer (中嶋宏行/おぼえがき)
Tom Baumann (HP)
皿まで食えないほどの毒 2009-09-26 | 生活
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