Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

世界を支配する秩序感

2008-04-22 | アウトドーア・環境
いよいよ山場のようだ。夕食後無性に眠くなり、三日目は22時どころか20時過ぎにはベットに入った。日本時間で徹夜明けの時刻である。ちょうど身体はそのような疲れで、夏時間で外は暗くなりかけている。寝ずにはいられない。

そして目が覚めたのは、未明の四日目の二時半であった。流石に前日の二度寝の後のように、目覚めた時に一体何処で寝ているのか分からず戸惑うことはなくなるだろうが、朝になって上手く起きれるかどうか、さてどうなるだろう。

身体の状況としては、前日と比べても日本時間ならば本来すっきりと目が覚めてしまうのではなく、やはり身体がだく、眠い感じがある。そして、脈がどうしても高めのようである。軽く頭痛があり、腹具合も収まりがもう一つ良くない。反面、滞日中は、特に多かった旅行前に比べるまでも無く、普段以上にアルコール量も少なく健康的だったのは事実である。

こうなると煎茶の出番である。夜中でも薄めにいれて一服とする。つい先日までの日本時間との差異は、その現実での差は実感出来るが、例えばネットの動きなどに見られる副次的な時間、謂わばヴァーチァルな時差はなかなか把握し難い。同時にそこでの生活感も少しづつ身体から抜けて来ているような感じがする。

湘南で、嘗て隣町に住んでいて尚且つエッフェル塔の下にも住んでいたエンジニーアが、「あそこはゆっくり時間が流れる」とこちらの時間を称していた。今こうして数多くの電話をこなして、片付けをしていると思いの外はかどる。体が軽く疲れ難い。一つには慣れた生活に戻ったせいもあるが、机の高さやモニターなどが気持ち良い高さにおかれて、電話一つが掛け易い環境にあるからだ。これはなにも特定の事務用品や事務所によらず、ドイツの生活は全てが秩序立っていて合理的に出来ているからである。

部屋を見回しても、良い物を安く売っていた頃のIKEAのソファーが快適におかれて、その高さや硬さが良いばかりか、お茶室効果までを出している。それに引き換え近代日本でのバランスは電線が這う家並みや乗用車のみならず全てが滑稽なアンバランスで見苦しい。

それは、裕福層がEクラスメルセデスの3.5Lの黒塗りの車を走らせようともそのステータスに匹敵する美しいシルエットを提供しないことにも典型的にも表れる。折角のハイヒールを履いていても室内に上がれば台無しである。

合理的な生活は、時間を長く感じさせるのみならず、美学の基礎でもあるようだ。なるほど、プファルツの町に車を乗り入れるとそこを歩く農民達の姿はどうしようもなく野暮ったい。それでも、東京銀座よりは遥かに全てが洗練されていて美しい。迎えに来た東ドイツ人が図らずしも語った。「あまり大きな都市には住む気はしない」と。それが意味するものは、ライフスタイルというよりもやはり「あるべき世界観」であるように思われる。秩序が支配する人間的な世界なのである。

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