Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ヘーゲル的理性の策略?

2014-03-04 | 文化一般
週末に急展開を見たウクライナ紛争の影響を観察する。東京市場を見ているとあまりはっきりした動きは確認できなかったが、週明け欧州市場でのエネルギー関連など、パイプライン関連も気になっているのだ。

軍事行動などの状況にプーティン大統領のとても思慮深い判断が滲み出ていて、西側もその対応に大変苦慮している様子が伺える。その対応を見込んでの判断だったのだろうが、一方でロシア専門家からのこの決断への批判は厳しい。

最悪のシナリオは、ウクライナの東西分裂だと言われているが、それはコソヴォのような状況を考えるからである。既に流された血の量からすると、ウクライナはこれで西側の国として立ち行くための十分な犠牲を払ったわけであり、ロシア風の古い社会には後戻り出来ないのは間違いない。

ウルリッヒ・ベックのインタヴューではないが、こうした時にこそEUの全市民は、彼に言わせるとへーゲル的理性の策略によって、この事象をみて、その意味を考えればよいのだろう。それは最終的には、我々の今日の価値観や引いてはライフスタイルそのものでもあるということではないだろうか。

ここ暫く、ロシアの音楽に触れることが多くなってきている。一つには二十世紀後半のソヴィエトリアリズムに漸く歴史的な視座が確立されてきていることが大きいのかもしれい。特に、プロコフィエフの交響曲などに特に六番などに、ややもすれば陰鬱なロシア音楽に「理性の策略」をみるとしても可笑しくないであろう。まさしくここではショスターコーヴィッチがやったような肩すかしの「ナンチャッテ」が無いのである。

今回、この交響曲全集にめぐり合わせた小澤征爾指揮のベルリンのフィルハーモニカ―の演奏と録音は、恐らくカラヤンのオーケストラの小澤征爾の音楽の頂点に値する記録に違いない。ボストンの交響楽団では決して再現されなかったであろう対立や止揚はまさにこの管弦楽団の重層的な深みあってこその再現であり、ピアノの音響などのそれが1920年代の西欧の音楽の流れを汲むものであることが明確に表されており、プロコフィエフの西欧的な主張が明白なのである。手元にも記録としてLPがあるが、初演者のムラヴィンスキーはこの楽譜の再現にあのような方法しかなかったことがかえって伺えるのである。余談であるが、対抗盤としてある頓珍漢のプーティン支持者のロシア人指揮者の演奏実践と、このような理性の策略とは一切関係が無いことは間違い無いのである。考えるだけで無駄なのだ。まさにそれが文化芸術なのである。



参照:
ホモのチャイコフスキーは? 2013-12-24 | 文化一般
ポピュリズムのサボータージュ 2014-03-02 | 歴史・時事
外国人記者クラブ登録法 2012-07-20 | マスメディア批評
「つくる」に近い「うむ」の具象 2010-01-18 | 歴史・時事
メッカでのオペラプリマ 2012-06-11 | アウトドーア・環境

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