Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

天使が下りてくる

2020-09-21 | 文化一般
腹の具合が悪い。一週間ぐらいになるかもしれない。大腸カタルとかそれに近い感じだ。腹もゴロゴロして落ち着かない。腸が機能していないから胃がゴロゴロするのか、胃が機能していないのかはよく分からないが、とても具合が悪い。

バムベルクからの中継を少し観た。人気ピアニストアンデルスキーがモーツァルトを弾いて同地の交響楽団が合わせるというものだ。チェコの指揮者フルサのモーツァルトはフルート奏者パユに合わせるリハーサルで聴いていたので知っていたが、その時散々打合せしておきながら前々上手くいかなかった。楽団が違ったからだろうが、何かこの人は協奏曲を合わせるのに精力を使い過ぎのようだ。ピアニストのモーツァルトファンタジーに合せて熱心に音楽を作っていた。

一流楽団の一流指揮者は適当に合わせる術を持っているのだが、この指揮者はそのようにしない。テムポを適当に合わせて行くだけではない。その直後に初めて観聴きするトリアノフというロシアのピアニストに合わせるベルリナーフィルハーモニカーを流した。ピアニストの方はアメリカで演奏してりうのを聴いているのでどのような演奏をするか分かっているのだが、ザルツブルク音楽祭での批評の様に可成り違うところで音楽をしていて、本当に上手に適当に指揮者のキリル・ペトレンコが合わせていた。

昨年はランランにも合わせていたぐらいだから、そのやり方は分かっている。以前に客演指揮の時代に合わせていたのはフォークトという人で、これもおかしなテムポを取っていたのだが、流石に今度のトリアノフは更に遠くまで行っていた。本来ならばルツェルンで聴いていたのだった。それ以前にニューヨークフィルと合わせるのを五月に聴いていたのだが縁が無かった。三楽章が始まるなりのワイドな弾き振りは皆の笑いを誘った。恐らく今後もあまり縁がなさそうなピアニストかも知れない。上のポーランド人と同じように演奏するプログラムにもよるかもしれない。

同じ協奏曲でも土曜日に中継のあった三日目の「ある天使の想い出に」の協奏曲を演奏したペーターツィムマーマンとの演奏は格別だった。器楽奏者であそこまで歌と同じように寄り添う指揮をする共演者はあまりいない。キリル・ペトレンコがこのヴァイオリニストを珍重しているのが当然と思わせる。こうしたソロの器楽奏者は本当に得難い。それでいてこの曲を弾きこんでいるようでよく入っている。流石に最終日は、楽団にも小さな傷はあったが、更に良かった。三日分の素材で商品化できるものが出来るだろう。

ベルリナーフィルハーモニカー財団の損失の大まかな内訳が出ている。どうも一番大きいのはフィルハーモニーの賃貸料が入らない事のようだ。大ホールで一晩四万一千ユーロ、室内楽ホールで六千ユーロで、年間370件の賃貸があるところがごっそり落ちて、四百五十万ユーロの減収となっている。

また、アメリカツアーや各地フェスティヴァルでの出演が無くなったことでの減収。それらを合わせて60%の予算を売り上げているというが、そこに穴が空いたことになる。新聞はデジタルコンサートホールやベルリナーフィルハーモニカーメディアを挙げているがそのようなものは大赤字かである。だから少しでも売り上げをと思って25日にディスク等が発売されるという事なのだろう。

因みに穴が空いた分は連邦共和国からも補填されるという事で、当然のことながらTVや国内ツアーなどでその意義を国内でも知らしめなければいけない。

しかし、ここに来て、危険だと思うような人々はもうコンサートホールには当分戻ってこないことを考えれば、何もかもを半減しなければいけなくなっている。要するに予算も半減で、当然のことながらベルリナーフィルハーモニカーの給与も時短から当面は上げられない。それどころか、音楽業界の全てにおいてギャラが今後半分になって行く可能性がある。ムターが高額をとってもそれだけの聴衆を集めないとなればその経済的価値が無いという判断が下される。彼女の演奏会に自らの安全を冒してまで出かける馬鹿はもういない。



参照:
理不尽そのものの主張 2020-07-27 | マスメディア批評
無料前座演奏会の光景 2019-08-28 | 音


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 音楽会マスク着用様々 | トップ | ヴァークナーも誇りに »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿