前稿は、現在(いま)の僕の立つ位置を記録しておくための起稿。起稿を`記憶`と書き直したほうがいいような気もしている。後日、僕自身の軌跡を振り返るときの為に!
夏休みの一時、下記を再考・思い起こしたりしている。
先月(7月)の中旬、二人の建築家にヒヤリングする為に長野県の松本市と飯田市に出かけた。その様相は7月17日の項に記載したが、訪ねたのは、松本に在住の川上恵一と、飯田に拠点を持つ松下重雄である。川上恵一は一回り若いが僕の言わば建築仲間、盟友の一人でもある。打ち合わせに出かけている川上を待って、事務所の一室で所員の入れてくれた珈琲を味わいながら書棚から建築の本を引っ張り出してページをめくったりする。気になっていた「擬様風」建築(オフィス)のさまは変わらず、此の不思議な建築は故あって川上が継承することになったという。僕と川上の干支は龍。ふと思い起こし、架空の龍、妙に嬉しくもなったものだ。
飯田を訪れるのは初めて。天竜川の左右に聳える山並みに、小学生時代を過ごした熊本県の天草郡下田村(当時:現在は天草市下田)を想い起こした。山地に囲まれた下田の集落を流れるのは下津深江川。飯田と違うのはその集落が小さくて深江川は海に流れ、僕たちは潮の満干に魅せられたこと。でもいまは過疎になり小、中学校はなくなり、子供達はかつての隣村の学校に通うことになっって久しい。
ともあれ松下はオフィスをその大きな街の中心地に構築。この地の風土の捉え方に、建築家の存在とその建築の存在する意義を再確認することにもなった。ふと思い立って盆前に天草の下田に居る小学生時代の盟友の携帯に電話をしたら,本渡の病院での定例検査中、久し振りにお互いの近況を取り交わしたことを敢えてこの項に書き留めて置くことにする。
・・・写真:数日前の我が家の一室から見る丹沢連峰の夕焼け:文中敬称略・本稿と7月17日の稿を合わせてお読み戴きたいものです・・・
ー文中敬称略:一部改定(20170823)ー