日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

「人生の色気」に惹かれて

2013-04-21 22:30:13 | 日々・音楽・BOOK
「人生の色気」というタイトルに惹かれ、図書館のエッセイの棚からこの古井由吉の著作を取り出した。
エッセイとは言っても、新潮社の編集部が古井由吉から聞き書きをして編集し、古井の校正を経て2009年に発行されたものである。

聞き書きとはいえ、古井の論旨と文体が一体となったこの著作を読んでいて、芥川賞をはじめとした数多くの文学賞を受賞し、1997年の「白髪の唄」で毎日芸術賞を得た以降、文学賞を一切辞退しているというその気骨が、「人生の色気」に溢れている。

古井は受賞を辞退していることについて、こういういい方をしている。
「時と場合によってはひどいものを書く必要があるかもしれないし、過去の自分の作品を全否定するこものを書くことがあるかもしれない、とにかく荷物を軽くしておくと思った。」

この聞き書きは、1937年生まれの古井が生きてきた軌跡を捉えたことになり、3歳年下になる僕の軌跡との時代を共有することになって興味深いのだ。
しかしその時代を捉える眼、それと共に社会構造や、その中での人間の心の移り変わりへの洞察など、作家という人種は、ここまで世の動きに眼を配り、いやそれを捉え続ける好奇心に満ち溢れているものなのか、或いはそうでなくてはいけないのかと、いささかたじろいでしまうことにもなった。

文脈の中での一言なので、本全体をを読んでいただかないと誤解を招きそうで少し気になるが、本文のどの一言を書き記しても、作家の本髄を実証できる。例えばこういう一節がある。
たとえ30枚の短編であっても、途中で必ず行き詰まる・・・じっと待つ。とてもつらいですよ。頭には何も浮んでおらず、到底先には続けられそうな気にはなれい。ところがじっとしていると、次が浮んでくる・・・その繰り返しなのだ。

もう一つ面白い表現が在るので書いてみる。(一部略文)
政治家でも、男盛りの年頃でも未熟に見える、誰がボスでその上のボスは誰なのか、人の顔として思い浮かんでこない、阿倍晋三さんの顔が五十歳過ぎているとは昔の感覚ではありえない・・
テレビで田中角栄と大平正芳が映ったけれど迫力が違う。ちゃんと歳を重ねているのは、あの世代までではないか・・・僕の世代ではもう・・緊張の薄れた社会の特徴です。
共感し、それではさて僕自身は・・・などと考えさせられるのだが!