日差しが秋色になってきたが東京は猛暑だ。
夏の休みを取ったが、テレビでも新聞でもオリンピック一色。そのどれもが面白く、勝っても負けても戦った後のテレビの前での選手のコメントが興味深い。
`超気持ちいい`とアテネで叫んだあの北島でさえ、この舞台に立てないと思ったこともあったと言うのを聞いて、戦う選手の人生を考えてしまう。皆の支えが在ってと言う北島も大人になったのだと思う。
こういう、人の述べるコメントを深読みし、ぶつぶつとつぶやいている僕を見て、妻君や夏休みでうちに来た娘が笑っている。
今年の8月15日も暑かった。お墓まいりに行ったのに、8月15日には気が向かなかった。
15日の朝、オリンピックを見ようと思ってテレビのスイッチを入れたら、小泉元首相の靖国参拝が映し出されてドキッとした。安部元首相の姿も写しだされる。ノー天気なと言いたくなるのは、どうしても参議院選挙のときの年金問題をすぐに解決すると絶叫した姿が浮かび上がるからだ。
終戦記念日なのだと思った。
二人の元首相は無言だが、戦犯合祀についての考えを聞いたことがない。語りえないのは、戦争をつくりそれを率いた側の論理が、いまの社会には受け入れられ難いからだ。
でも二人だけではない。多くの国会議員が終戦記念日に靖国神社に行く。そちら側にいることを表明し、それがステータスだと思っているのだろうか。
赤紙で召集された僕の父は、終戦の2ヶ月前フィリピンで戦死した。歳を取るとともに、伴侶を亡くして62年間を生きた母の気持ちに思いやることがあるが、その父に会ってみたいなどと、理に合わないことを考えることもある。でも僕は、僕の人生を歩んでいる。
娘の持つ好奇心を見て僕の血を引いているのだと思うことがある。その僕は父の血を引いているのだ。
終戦記念日だから思うのでもない。法事で親戚に会うと、それぞれが違う価値観を持っているだろうし、問題を抱えているとしても、お互いに血への共通認識を持っていると感じる。
年月は人の思い(重いでもある)を浄化するが、同時にまた今でも秘めている厳しい事実への思いもわかるようになる。
爆心地から200mの場所にあった工場の、鉄骨の下敷きになって救い出された叔母。昨年長崎の原爆資料館を案内してもらったとき、ふと漏らした言葉で初めてその事実を僕は知ったのだ。
先週の従姉妹の連れ合いの葬儀で、その従姉妹もその伴侶を求め得なかった叔母の生きかたに触れた。
戦争の悲惨を秘めている人々を沢山生み出すのが戦争だ。それぞれの8月15日がある。
ただ事実だけを受け止めて生きてきた母に、合祀と言ったって理解できなかっただろうとも思う。
でもふと思い起こすことがあるのだ。一昔のことになるが母と靖国神社を訪れたことがある。母は何も言わずただ眼を赤くしていた。
<写真 暑い日々 咲き乱れた`さるすべり`の花>
今年のオリンピックを楽しみながら、なにやら時代、つまり社会が変わりつつあるという思いをひしひしと感じています。こういうことは、プレス・CAFEでマンデリンを味わいながら、しみじみと語り合いましょう。