「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」。
言うまでもなく、鴨長明のエッセイ「方丈記」の書き出しである。「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」とつなぎ、さらに「世中にある人と栖(すみか)と、かくのごとし」と連ね続ける。つまりこの世の中での人の生き様を、長明自身の期し越し方に託して書き連ねたエッセイだ。
ここまでは何故かそらんじている。よく憶えていないが高校生時代の古文の授業でその存在を知ったとしか思えない。とすると五十数年前、そして´人と栖のかくのごとし´には必ずしも納得し得ないものの、冒頭の歴史観に触発されたという記憶がある。
まだハードボイルドには目を向けなかったが、図書室にあったヴァン・ダインの探偵小説などを読みあさり、文学部長だった僕にそんな時間があったのかと思うと、どうもその記憶が怪しくなる。でも建築の保存に関わるときに時に感じるのは、「方丈記」の冒頭にある一節なのだ。
沖縄の「復帰」とは何かと思い、特集された岩波の月刊誌「世界」6月号を買った。
読み砕き、沖縄だけでなく原発問題にも触れたこの号の各所論は必読だと思ったが、新刊案内の2012年岩波文庫フェアが目に留まった。フェア種目3冊以上買うと、岩波文庫特製ブックカバー進呈とある。75点80冊というリストだ。大半を読んでいないが、読みたいものと読んだけれど読みつくしていないものが沢山ある。ブックカバーもほしい。カッコいいかもしれないじゃない?
リストを見てこう思った。読み込むためには鉛筆などでの書き込みが必要、図書館からの借本では駄目だ。3冊を買おう。薄くて安いものだ。つれづれなるままに・・の徒然草も気になるが分厚いのでやめた。選んだ3冊の一つが、新訂「方丈記」なのだ。初版(第1刷)が1989年、2012年3月5日になんと39刷、大福寺所蔵の「方丈記」巻子本一軸を底本として翻刻したものだ。校注者市古貞次である。
脚注を参照しながら読み進め、第二段になってだんだん嫌になってきた。
予(われ)者の心を知れりしより、四十余りの春秋を送れる間に、予の不思議を見る事、やや度々になりぬ、と始まる。脚注によると「不思議」とは「思いもよらぬこと、大火、大風、遷都、飢餓、地震」のことである。ことに遷都の後の庶民の悲惨な様は臨場感があって心が打ち震えるが、どうもマイナスイメージに媚びる所があってうんざりしたのだ。
しかし三段、終章と読み進めるうちに奇妙な感銘を受けることになる。
今から大よそ860年前に生を受け、58歳で亡くなった鴨長明は幼くして父を亡くし(母とも早く死別したのではないかといわれる)、音楽、和歌の道に優れていたが終生昇進がかなわず、妻を娶ったが捨てたらしく、50歳を過ぎて出家、そのすみかは折々に狭し、広さはわずかに方丈(約3メートル四方、つまり四畳半程度か!)と書き、鬱々とする様が伺われるが、阿弥陀の絵像を安置し、そばに普賢をかき、琴、琵琶を置くとあり、読み連ねていくうちにどこかに人の生きていく様の本髄に触れていくような気がしてくるのだ。
さて我がこと、「「ゆく河の流れは絶えずして・・・」ほか数行は口に出してもいえるのに、長くはない全文を読んだ記憶がないのは何故だろう。
ともうひとつ言いたくなった。「時を経た古典は面白い」。改めていうまでもないが、社会のなかでの人としての生き方に示唆を与えてくれるのだ。
さて他の二冊のことは読みこなしてから書いてみるにしよう。
電車等でブックカバーした本を読んでいる方を見掛けると読書好きで本を大事にされる方なのだろうと感じます。
私もエンピツやマーカー片手に本を読むのがいつの間にか癖になっています。
断熱関係の本を読むと徒然草の「家は夏を旨として・・」と言うのは真っ赤なウソ、人間は暑さより寒さに弱い、という記載が目立ちますね。笑
となると、やはり徒然草にもトライしなくてはいけなくなりすね(笑)
熱いのもまいりますが、確かに寒さは厳しい!
歳とともに(苦笑)