日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

モダニズムから70年代へ PD点描(1)

2006-09-18 18:12:07 | 建築・風景

パネルディスカッション(PD)が終わった途端、東海大学院生の深川絵里子さんが「どうしよう」と泣きそうな顔をして僕のところに来た。僕は内心ニヤリとし「困ったね。でもね、テープを聴きなおしてごらん」と答えた。
DOCOMOMOの選定を60年代から70年代へ踏み込むときの課題を探るPD。課題は浮かび上がったがその答えが見えたとは言い難い。深川さんはこのPDの記録者として、建築学会の機関紙「雑誌」に報告を書くのだ。

この報告書は2006年度建築学会大会の記録として日本の近代建築史の一角に刻み込まれる。彼女にとっては貴重な体験、良い試練だしそして実績にもなるのだ。若き深川さんの考えたことにも興味が湧く。報告書とはいえ自分の建築感なしには書けないからだ。
9月9日に神奈川大学で行った、この建築歴史意匠委員会PDには、ビッグネームがそろった。

パネリスト(主題解説と建築学会ではいう)として鈴木博之東大教授、藤岡洋保東工大教授、それに若い倉片俊輔(明星大学非常勤講師)さんという組み合わせの歴史の研究者、建築家の黒川紀章さん、学会PDには`まとめ`を述べるという仕組みがあり、その任は初田亨工学院大教授、司会は松隈洋京都工繊大助教授、司会の相談役的な副司会には、理科大の山名善之助教授という贅沢さ。黒川さんを除いて皆DOCOMOMOのメンバーだ。

僕は主催した学会DOCOMOMO対応WG主査として趣旨説明の後、討論にも参加したけど、僕だけがビッグではないなあ。
司会の松隈さんが、黒川さんを紹介するときに、唯一実作を社会に問い続けている建築家と紹介し、僕だってつくり続けているよと言いたくなったが、まあそうかとも思った。困るのだろうね。僕を紹介するのは。(苦笑)

DOCOMOMO対応WGと、DOCOMOMO Japanでは選定建築物を毎年10乃至20程度増やしていくことにした。2005年度はDOCOMOMO本部からの要請もあった5件の体育施設を含めて15件を選定して、現在115選になった。さらに選定範囲を60年代から70年代へ広げたときの課題を見出し討論したいというのがこのPDの目論見なのだが、事はそう簡単ではない。
選定基準、僕はクライテリアという言葉を使ったが、DOCOMOMO選定のためだけではなく,MOMOつまりモダニズム自体の定義を改めて考えることにもなるからだ。

僕が述べたかったのはこんなことだ。

モダニズム建築のクライテリア、社会改革を目指し、装飾を廃して抽象化し、工業化の波(大量生産)に乗り、機能を優先したという。それが世界に受け入れられグローバル化を促し、インターナショナルスタイルと言う言葉も普遍化されていく。社会が建築を生み出すが、建築も社会を変えていく。

しかし・・・建築はそもそも抽象ではないのだろうか。装飾。僕は装飾と抽象化については趣旨説明のとき述べなかった。明確に述べるほど僕の中で整理されていないので。
しかしモダニズムに身をゆだねた建築家は、抽象とはいえ装飾に取り組まなかっただろうかと、モダニズム建築を視るにつけ考え込んでしまう。例えば、武基雄さんの長崎市水族館のコンクリートによる格子は抽象装飾とはいえないか。

松隈さんがよく言うのだが、生活空間をデザインすることにトライしたのがモダニスト。結果として社会改革につながったかもしれないが、モダニズム(MOMO・モダンムーブメント)のクライテリアとしてそれを明文化しなくて良いのか。
インターナショナルスタイル(国際様式)もキイワードの一つだ。しかし選定した建築の探訪を行うと、魅力を感じるどの建築も、その環境を汲み取り、その場所にしかないものに建築家が取り組んだことがわかる。どこでも同じとは言い切れない。いやありえない。むしろ様式建築こそ場所性無視だ。
ところが困ったことに新幹線のように日本中に同じもの、つまり同じ駅舎を構築し時代の旗印とすることを善しとした事例があったりする。

70年代。
モダニズムへの懐疑とはナンだったのか。建築は自由であってよい。確かに。
しかし工業化に拍車がかかりモダニズム亜流の建築で都市が覆われていく。建築家がそれを促したと言っていいのか?
ではポストモダンとはなにだったのか。モダニズムの源流はどうなったのか?日本で生み出したメタボリズムという建築思潮もある。70年代に時代は変わったのだ。確かに。しかし・・・

山名さんに言わせると、ヨーロッパにはポストモダンはない。話題になったのはベンチュリーくらいかなあという。ポストモダンが建築のテーマになったのは、アメリカと日本だけではないだろうか。パリに留学しパリ大学で教え、フランス人のオクサンを娶った山名さんの言うことだから間違いない。だが、グローバル化の時代に果たしてそう割り切れるのか。
アメリカと日本。建築が社会動向と無縁でないことがここからもうかがえる。
改めてDOCOMOMOがヨーロッパから発信されたことを考える。

もう一つ言っておかなくてはいけない。黒川紀章さんの72年に創った中銀カプセルタワーの存続問題が起こり、DOCOMOMOのDOCO、コンサベーション(保存)の視点からも70年代を考えたくなったのだ。どういう答えがなされるのか。

いつものことだが、話していくうちに思考がどんどん先に行ってとりとめがなくなる。
どうしても藤岡さんのように明快にならない。さてさて僕の述べたことは伝わっているのだろうか。

<写真 旧長崎市水族館>



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3 コメント

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ヨーロッパのモダニズムの後 (xwing)
2006-09-18 23:30:49
 モダニズムはヨーロッパからですが、モダニズム後のポストは、ヨーロッパではミニマル的なものが主流となって行ったような気がするのですが…。あるいは、イタリアなど独自の文化を持つ国であるとか。

 更にレム・コールハース、セシル・バルモンドのような関係も有る。ザハのデコンも土地を大切にしている。現在のヨーロッパのモダニズムの後(ポスト)はアプローチが多様で、一方向からでは捉えられませんね。
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表現者の業(ごう) (penkou)
2006-09-19 19:08:08
xwingさん

ポストモダンを考える時に、どうもヒストリズムに引っ張られると本質を見誤ってしまう。確かに多様ですねえ(慨嘆)

TAROさんの表現者の業(業)論考もお読みください。考えてしまいますよ!



PDに参加しながら時の存在、評価され価値の決まっていく経緯、其れもまた時代が移ると変わっていくことを感じ、難しいものだなと思いました。しかし其れはとりもなおさず、僕達が歴史の中に存在している証だとも思うのです。

ところで10月のスケジュールなどどうしましょうかね。僕のほうでやっておくことは?折角だから1年生とも話をすると言うのはどうでしょうかね!
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御配慮有難うございます。 (xwing)
2006-09-20 08:37:20
師匠と行く「三岸好太郎美術館モダニズム建築ツアー」は宣伝しているのですが(えらい人数になりそうな。汗っ!)。その他、建築同好会主催の懇談会が月曜放課後と考えております。メールの方で詳しくお話ししたいと思います。師匠はすぐ世界大会でしょうか?

建築野朗I君のコメントに逆に教えられました。
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