日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

山本容子の女・女

2014-08-23 22:37:06 | 東北考
『「婦人公論」の表紙絵を描いて五年が経過したが・・六年目の今年は、特定の女性の肖像を、彼女たちの評伝からヒントを得て描きたい』。

これは、「ドアをあける女」と言うタイトルのティナ・モデェティという写真家を、銅版画と短いエッセイで組み合わせて見開きで構成した山本容子の文庫本(中公文庫)「女・女」と言うタイトルの、著作40篇(40人)の前書き的な書き出しの一編である。
そして最後の一編、ガートルード・スタインという詩人の「アメリカはわたしの国、でもパリはわたしの町」ではじまり、『「だけどそもそも問いはなんなのよ?」そして息をひきとったという。生への悦びが結果的に時代をつくったのだろうと感じる』。
という印象的なフレーズでこの著作は終わる。

さて、あとがきはと思ってページをめくると白紙、何も無い。その踏ん切りに山本容子という銅版画家の魅力的な容貌が浮かびあがってきた。
この文庫本は、新宿の西口広場での古書展で見つけて購入、それが僕自身の一側面を見つめなおす契機にもなったことに、ちょっととまどってもいる。

僕はこの一文を、例のNYヴィレッジ・ヴァンガードでの、ハンク・ジューンズ、ロン・カーター、トニー・ウイリアムスによるザ・グレイト・ジャズトリオのライブのCDをかけ、`猫`を描いた山本のエッチングを側に置き、気に入っていた`Switch`(March1994)山本容子特集を見開きながら書きはじめた。
そして親しい建築家室伏次郎が山本容子の自邸を設計したことに思いを馳せている。
建築ジャーナル誌に連載している「建築家模」で室伏次郎を書いたが、その室伏に住宅設計を依頼したことによっても、山本容子という版画家の真骨頂が浮かび上がる。

Switchのタイトルは「世界と遊ぶ方法」。
山本を捉えた写真は繰上和美である。板画家としての山本と女としての山本を捉えていて見事なものだ。
インタビューはスイッチ編集部、その捉え方も山本の答え方も魅力的だが、FROM EDITORSと小さく記載された冒頭の、マン・レイを引き出し、`山本容子は写真を撮られるという覚悟と意味をマン・レイに求めた_`という一文`がこのことを象徴している。

いまみてもカッコいいこのSwitchが廃刊になってしまったことを僕は惜しむ!