日々・from an architect

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都市と写真の狭間で 飯田鉄さん論考第2項

2014-07-05 14:20:32 | 写真

JIAでの飯田鉄さんの講話は、「建築ならびに都市の景観写真略史」と題した世界の写真史の紹介・論考から始まった。

配布された資料の冒頭に1453年のレオン・バティスタ・アルベルティが「幾何学遠近法」を書き表すという一行がある。よく言われることだが、人の目から見る光景は正しく遠近法なのだが、単純に見上げて撮る建築の写真は間違いなく歪むものの、歪んで見えない人の目の不思議さを、改めて考えたりする。
ここからスタートする飯田さんの取りまとめた資料に、写真の実態を伝えたいという飯田さんの試みが現れている。

世界で最古とされる1826年のニエプスが南仏の自邸の窓から撮影した「窓からの眺め」を、写真を写しながら紹介。そしてタルボット、ダゲール、デラモッテ、マルヴィルなどと続き、1900年に小川一真が伊東忠太らに従って北京紫禁城を撮影して東京帝大に収蔵と紹介。F・R・ライトが活躍を始めると建築家に触れる。
1914年に第一次大戦勃発、1925年にライカがⅠ型を発表し、ル・コルビュジエがパリ万博で「エスプリ・ヌーボー館設計」と続く。

アッジェ、マン・レイ、アボットという聞くことの多い写真家の名前が続き、1938年(昭和13年)、僕の生まれる2年前に、ウオ-カー・エヴァンスがニューヨークの近代美術館で初個展開催するが、その後その7年前にエヴァンスは、アッジェやアウグスター・サンダー等の写真を論考と記す。
写真が作品として認識されたという言い方をしてもいいのだろうか!
飯田鉄の論考は、戦前戦後の都市を主要なテーマとして撮影した写真家として、主として桑原甲子雄を取り上げ、聞いている僕は飯田の撮る写真との写真家としての共通認識と、先達への敬意を感じ取った。

その後の僕と飯田とのやり取りでは、デジタル化の課題など多少マニアックな論考になった。
ともあれ三十数名が参加したこの会合は僕自身もそうだったが、おそらく来場された方々も写真を撮るという行為の原点を感じ取っていただけたと思う。

ところで帰り際に、親しい建築家から、飯田さんは都市景観が大きく変わった昨今の都市を写真家としてどう観ているのだろうか?と問いかけられたことが気になって、翌朝飯田さんに電話した。

電話先の飯田さんのメッセージは、11年前(2003年)に発行した「街区の眺め」を取り上げながら、一見ノスタルジックだと思う人がいるかもしれないが、撮った写真はその「まち」(都市)の最新の状況を捉えていてそのスタンスはいつになっても変わらない。そしてこう付け加えた。
「撮るということは、まちに、種を埋め込む行為である」。

そうだ!と聞いていて溜息がでた。そこにあるものを撮るのが写真だ。
それが未来に示唆を与える!