日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

「見上げた空の色」での宇江佐真理の生きること

2013-05-11 15:35:51 | 日々・音楽・BOOK
愛読している「髪結い伊三次」シリーズを書いている宇江佐真理は僕より9歳も若い函館人。この4月に発刊されたエッセイ集「見上げた空の色」(文芸春秋刊)を読み始めて、一瞬、何だ!ただのオバチャンじゃないかと思ったものだ。

「もの書き業は17年にもなるのに(2012年記述)人生で一番大事なものは小説を書くことだとは思っていない。それではお前の一番大事なものは何かと問われたら、日常生活と応える」。答えると書かないで応えるという文字を使うところに、含みを感じるが、宇江佐の愛する日常生活とは、
朝起きて、簡単な食事を摂り、三日に一度は部屋に掃除機をかけ、一週間に一度はトイレの掃除をして毎日洗濯をする。そして「小説の執筆は日常生活の付帯状況に過ぎない」とぶっきる。

建設業をやっている(大工さんというコトバもどこかにあった)夫に仕事も来ないなどと不景気のことしか書かない故郷函館は、それでも住めば都と思いを託す。だが、保存要望書を持って教育長や市議会議長と談判した函館の大切な建築、弥生小学校などには目も向けない。

ところがそういうそっけない記述を読み進めているうちに、五十三歳で死去した妹の壮絶な人生へ「棺に納められた妹は血の涙を流していた」とウッとつまって言葉が出ない一言を記す。そして淡々と、人は五十を過ぎたら無闇にがんばるべきでないと思う、と述べる。
五十歳、遥かに昔のこと、ふと体力の衰えを感じる己のことよりも、吾が娘の五十歳までの年月を考えるとドキッとし、僕の胸のどこかが喚き出す。

さらに「墓守娘の本音」と題したエッセイでは、八十三歳になる元気な母に、元気であるがためにいつまでも何時までも親の権利を主張してやまないと書き、生んでくれた人で育てた人だから大事にしなくてはいけないと思うが、「だが、もういやだ」、断じて実家の墓守はしない,母が亡くなって私がまだ生きていたら、実家の仏壇を処分して、敢えて親不孝の汚名を被る。それが春の私の覚悟だ、とする。
やはり宇江佐真理は己の人生に開き直っているのだ。だから僕の前に「髪結い伊三次」がいるのだ。

このエッセイ集からの引用になるが、どうしても書いておきたい「うた」がある。
「はるかなるおもい」の項の最後の一行。朝日歌壇に掲載された、須郷 柏(宮城県)氏のうた。

夫呼べば夫の声する娘を呼べば娘の声する閖上(ゆりあげ)の海。

建築ジャーナル誌に連載をしている「建築家模様」に登場していただいた建築家針生承一さんの設計をした火葬場のあるのが閖上なのだ。

<房総巡りを書き続けたいのですが、上記借用した本を図書館に返さなくてはいけないのでお先に記載しました>