日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

加藤学園初等学校(2)オープンスクール雑考

2013-02-02 16:06:35 | 建築・風景
昇降口の屋根は片流れで、入り口の左につくられた池からの光の波紋が天井にゆらゆらと揺れている。子どもたちはこの揺らぎを見て天気の移ろいをいつの間にか会得していくのかもしれない。

昇降口の前には、6本の円形柱に支えられた、奥の床がスキップした温室のようなガラス屋根のある階段室らの光が降り注ぐ大きなホールがある。入学式も卒業式もここで行うのだ。
白い6本の柱は、6色の紙でくるまれているが、この色は6学級のシンボル色だそうだ。槇さんの思惑とは異なるかもしれないが、この校舎が先生と生徒によって、生き生きと使いこなされていることが実感できる。

ホールの左手の教室は理科室などの特別教室群、右手は真ん中に円柱のある18m角の表室群で、それを4クラスが使うというオープンシステムである。意外と広く、生徒の描いた絵や教育資料などが天井や梁からぶら下げられていて賑やかだが、どの教室も外からの光が取り込まれていて明るい。
階段の床には英文字が貼ってあるなど、英語教育を実践している様が伺える。
撮影をしながら校長先生とやり取りした。国際感覚を身につける教育がなされていて、例えば理科の授業を英語で行う試行(ではなく実践か!)もされていると聞きさすがに驚いた。

DOCOMOMO Koreaから招請されてモダニズム建築に関するシンポジウムで話をしたときに、PPも講演でも日本語でいいといわれたが、会場に配布された冊子(資料)では、日本語と共にハングルと英語で翻訳して記載されていた。
上海同済大学j准教授は英語で講演、聞いている学生は資料をめくるでもなく聞き入っている姿を見て、これはかなわん!と思ったことなどを話した。私も英語はどうも不得手で?という校長先生(ホントかな?)との共通認識を得たものだ。
こういう学校が沼津という地にあって、日本の教育の一翼を担っているのだ。

オープンスクールについてふと考えたことがある。
故あって、戦後僕の学んだ熊本県天草の下田北小学校は、1学年一学級だったが、数年前に訪れた時には過疎化が進んで、全校生徒三十数名になって複式学級を余儀なくされていた。
形の違うオープンスクールと言ってよいかもしれない。
また僕の写真の師、木戸征治さんが土佐清水市、清水小学校横道分校を6年も追いかけて撮った「ちんまい分校」(1983年・あかね書房刊)には数人の生徒しかいなかったが、先生と生徒、それに村民との豊かな交流が記録されていて心が打たれる。
子どもの教育についてさまざまな課題が取りざたされている昨今、この沼津の初等学校は、僕たちにある種の示唆を与えているような気がする。