正月の休みを終えた次の日曜日。
一向にこの一文が進まないのは、例えば暮れの30日に観に行った映画「ミッション・インポッシブル」を思い出したりしているからだ。
アクションは相変わらず凄くて、どうやって撮影をしたのだろうなどと思ったりしたが、時折後ろの席から笑声が聞こえてきたりするなど思わずにやりとさせられるユーモアもあって、大人のアクション映画になった。
最後に4人の仲間がお茶(オチャケか!)を飲みながら、得も言われぬ表情でさりげなく信頼を確認する様に思いがけずぐっと来たことなどを思い描いたりしている。
トムクルーズはいい男になったね、というと妻君と娘は老けたね!なんていう。女どもは相変わらず厳しいのである。でも彼女たちは、シリーズ三作の中で最高という評価を与えたのだ。
「深夜プラス1」を思い出している。
ギャビン・ライアル(イギリスの作家)が1965年に書いたハード・ボイルドの傑作、ジャック・ヒギンズの「鷲が舞い降りた」とともに僕がこの分野に繋がる探偵小説やスパイものにのめりこむ切っ掛けになった著作の一つである。
新宿ゴールデン街に開いた店の名を「深夜+1」にして日本冒険小説協会をつくった内藤陳の訃報が暮れの12月31日の朝刊にあった。あの長い顎の渋い風貌を偲ぶ。
ふと思うのは、`ミッション・インポッシブル`に`深夜プラス1`に通じる、もしかしたらジャンルも好みも違うが、チャンドラーの「長いお別れ」でつぶやくフィリップ・マーロウの「強くなくてはいけていけない、優しくなければ生きている資格がない」という一言に通じるものが見出せたからかもしれない。
評論家北上次郎は「冒険小説の時代」(集英社文庫)で、`男たちの原風景`と題した一文を書いたが、この系列の小説に「ハードボイルド」という`男としての原風景`が漂っていることに僕は惹かれているのだ。そしてチャンドラーに必ずしものめりこめない僕とは言え、どこかにマーロウの!この一言は僕の`生きていく指針`だと格好良く言ってみたくなる。僕は強くはないが、かなり本気ではある。
さて舞台はイギリスではなくアメリカなのだが、スイス生まれの写真家ロバート・フランクの撮った「アメリカンズ」が浮かんでくる。
1950年代のアメリカのニューヨークという都市と人を撮りアメリカ人に大きな衝撃を与えるが、暴くといいたくもなる其の写真群に僕が震えるのは、人の生きていくことへの、そして人の生活がつくった都市を慈しむように撮る其の視線だ。
思い立って新春のひと時もやもやと書き連ねてきたことが、全て重ね合わさって見えてきた。
<写真 なぜか「深夜プラス1」が見つからないが、一頃のめり込み再読したい本が沢山ある。ロス・マクドナルドのリュー・アーチャー。ジョン,D、マクドナルドのトラビス・マッギー・シリーズ。ハモンド・イネスにデズモンド・バグリー、無論ギャビン・ライアルもジャック・ヒギンズも。考えていると堪らなくなってくる!>