プレスカフェの前の小樽運河の向かい側に、鉄筋コンクリートによる柱と梁の間にスチールサッシュの組み込まれた「北海製罐小樽工場」が建っている。
外壁改修工事のために足場がかかってシートで覆われているが(2011.7.6現在)、この工場は1931年(昭和6年)に建てられ、1990年に小樽市の「都市景観賞」を受賞した文化財でもあるのだ。なんせ80年を経て現役で稼働しているということがすごい。
プレスカフェのターマスからも、何となくノスタルジックになるんだよね!と聞いていたのだが、工場の入り口にある1911年製の振り子のついたタイムレコーダーと連動して、朝8時と正午、4時半に屋上にある赤いサイレンから始業、終業を知らせる「ポー」というサイレンが鳴り、その音が小樽の名物になっているのだと聞くと、妙に`ほろり`とさせられるのだ。
昨年moroさんに、来年は工場を見学したいね!と話をしていたら、大学院研究生だという肩書で見学許可を得てくれた。建物目いっぱいに機械が稼働していてスペースも少ないし、企業秘のところもあってなかなか見学は難しいようだ。
工場の裏側に、事務棟があってそれもまた1931年に建った建物、入り口の扉(これぞドアでなく扉だ)の太い真鍮の押し棒と、鋲を打って縁取りされた下部にはめ込まれた真鍮版が拭き込まれ、鏡のように周辺が映しこまれている様を見て度肝を抜かれた。
案内をしてくださる業務係りの方に、応接室に通される。工場内の建築部分といっても、柱と梁しかないのにと怪訝な面持ちだが、まずこの事務棟の鉄のサッシュや古色のある階段に惹かれている様に、案内してくれる方の好奇心が湧いてくるのが伺えて、僕たちが面白くなってくる。
建物もそうだけど、製缶のシステムや、稼働する機械の様にも興味があるのだと言った。
実際どんな工場に行っても好奇心が刺激される。たとえばタイル工場とか石の加工工場とか、空調機の製作工場、キュービクル(ビルに設置する変電施設)の検査など、かつて現役バリバリの時は、よく出かけたものだ。どこに行っても物をつくる面白さがある。工場内がピチピチしているのだ。
一枚の印刷された平板から、次々と立体化されてつくりだされる缶詰の缶に魅了される。面白がっているmoroさんと僕に、案内人も笑顔になる。驚いたのは、創業時のネームが打たれた機械が現役として稼働していることだ。溜息が出てきた。
6階建のこの工場は、機械の関係で上階に行くほど階高が高くなるという不思議な構成になっている。当時は東洋一の製缶工場といわれたというが、敷地内に三つの工場があって、今でも日本の缶詰製缶工場としての大きなシェアを占めているという。
事務所棟の側面に、開かずの扉がある。かつて天皇陛下が視察に来られ、この扉から応接室にお入りになったのだという。工場の入り口の脇に「昭和11年昭和10月9日、行幸記念碑」と刻まれた石碑が誇らしげに建っている。右書きだ。
ターマスに行ってきたよと言ったら、心底うらやましそうな顔をされた。それもまた嬉し!外壁が淡いピンクになりそうと言ったらピンクになるのかと困ったような顔になった。
この本工場に1967年に増築された印刷工場が連なっていて、小樽港につながる小樽運河を挟んで第三倉庫がある。建築家の僕たちの心が騒がせられる倉庫は、なんと本工場の3年前に建てられて、これも小樽市景観賞を得た文化財なのだ。
いただいたパンフレットにはこう書かれている。
「北海製罐工場は、大正10年(1921年)の創業以来、小樽の街と共に歩み、育まれてきました。小樽工場は北海製罐の原点です」
工場と倉庫という建物が、企業の誇りであり、小樽の歴史を刻んでいることに、この一文を書きながら僕は言い知れぬ感銘を受けている。
<写真 左 第三倉庫 右 事務所棟入り口の扉>