日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

マイ セカンドハウス 東海大学病院

2011-05-08 13:10:21 | 日々・音楽・BOOK

伊勢原の東海大学病院が、マイ セカンドハウスだというと、妻君は露骨に嫌な顔をする。最もだと思いながらも、このところこの病院とすっかり馴染みになったのだと妙な感慨を覚えるのだ。

毎年5月に「総合検診(人間ドック)」を受ける。昔は`自動化検診`と言っていたと思うが、40歳になったときに身体を大切にしようよ!と言うことになって、妻君が予約をしてくれたのが始まりだった。僕は30回を越え、妻君も二十数回を経て面談のお医者に驚かれたりする。
流れ作業的に大勢の受診者を裁くシステムも変わったが、診療項目も変わった。CTやMRIを使って行う肺癌の検査や脳ドックなどのオプションも取り入れられるようになった。
電子カルテが実用化され僕のデータが蓄積されていることもありがたいといえばありがたいが、そのデジタル化された検索システムのスピードにも驚く。昔の、いやつい最近までのレントゲン撮影はフイルムだった。

検診センターは別棟で30年前と変わらないが、病院建築で名を馳せた建築家小川健比子流(!)の本棟は、小川の象徴、外壁の廻りに張り巡らしたスロープの角が丸みを帯びている印象的な建築だった。現在は使われなくなって 前面に新棟が建てられた。(東海大学医学部の校舎となった)

新棟の一階の初診受付や会計のある吹き抜けのある大ホールはトップライトからの光が注がれ、明るい清潔空間になった。無論EVもあるがエスカレータが各階へのメイン通路である。計画停電時には自家発があるので診療には支障がないというが、EVもエスカレータも止めるという。
整形の先生に膝に注射をしてもらうために、僕は月に一度の常勤(?)をしていて、その度に杖を突き、夫婦で支えあっている人たちを見ているので気になるのだ。大学病院だから非常用EVがあるのはわかってはいるとはいえ・・・

手術室の新設など大阪で病院の大改修に携わったり、設計をしたことがあるので、建築はともかく、難しい設備の変遷もある程度はわかっている。この大学病院の30年の変遷も普段は気にしないもののいささか興味深い。建築家の性(さが)と言うものだろうか。

でもそんなことはとりあえずどうでもいい。
人の病の話を聞くなんて馬鹿馬鹿しいことだと思うが、吉行淳之介は冒頭に`病気の愉しみ`なんていうエッセイを収録した「吉行淳之介養生訓」なんていう題名のエッセイ集を本にして、持病を作品にしてしまうのだから、それはそれはたいしたものだ。それがまたなんとも面白いのだから困ってしまう。
恐れ多くも、では吾もと!

「総合検診」を受けると、何箇所かの精密検査の指摘がされる。CTやMRIを撮ったりして医療機器からのゴットンゴットンという音や最先端技術を味わうことになるが、治療する指摘もなく、次は半年後に検査しましょうなんてことになる。

膝は嘗ての永年のテニスでやられた軟骨の劣化、筋力を鍛えて骨を支えろ!と言われているが膝の訓練ってのはどうも楽しくない。注射を打つのはいわば潤滑油の注入で痛みは抑えるが直りはしない。月一の注入のペースと薬で今のところいい調子だ。加齢症なのだ。
高血圧の緩やかな薬は、住まいの近くの診療所からもらうが、治療という気はしない。直らないからだ。抑えている。膝と同じく僕の中に同居している。

両手の指6本がバネ指になってずい分経つ。先生は治療のための注射はしたくないという。ステロイドがからだ。
手術をしましょうかね、と仲良くなったスキンヘッドの先生がいう。手術はねえ!と粘っていたがそろそろ`ヤバイ`。一遍にとは行かないのでこれまた通い詰めなくてはいけない。
先生とこんな話をしていると、何となく医療文化論を語り合っているような気がしてくる。

伊勢原駅行きのバスを待っていたらドクターヘリが飛んできた。白地に赤やブルーのラインに大学名が描かれている小型のヘリだ。サイレンを消した救急車が走る。この地域の拠点病院なのだと合点する。

僕はこの一文をTVドラマ「女刑事・左近山響子」をチラチラみながら書いている。
京都の小さな飲み屋「れんこん屋」で見かけた菊川怜が左近山響子をやっているからだ。
画面に東海大学病院が出てきた。Oh!マイ セカンドハウスである。

面白くもない、 僕のささやかな日常生活の一段面である。

<写真 吾が日常生活の一断面?>