日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

春が来る その日差しの中で赤紙が貼れるか!

2011-04-03 10:18:34 | 建築・風景

桜がほころび、レンギョウも鮮やかな黄色に染まり始めた。
昨4月1日から小田急線のダイヤがほぼ正常に戻り、暖房がなくてもさほど寒くなくなった。春が来たのだ。自然は惨いが温かい空気と光も注いでくれる。
でも車内の電灯はつかないので、建物で覆われている駅のホームにはいると、車内が暗くなって読んでいた本の文字が見えなくなる。計画停電だとハッと思うが、照度の変化に目がついていかないことに驚く。太陽の明かりがあまりにも凄いのだ。

電車をプラットホームで待っていた。音もなく滑り込んできた車内が真っ暗で、ドアが開いたら闇の世界から来た亡霊が蠢いていた。一瞬遅れて明かりがつき現実が戻った。一旦眼に焼きついた事象はなかなか消えてくれない。あの津波のように・・・亡くなった方を悼んで瞑目はするが、その僕に何が出来るのだろう!

震災の直後から、行政からの委託によって建築家が傷んだ家屋などに赤、黄色、緑の紙を貼っている。危険度の判定作業だ。緑は問題がなく黄色は修繕して使い続けることは可能、赤は危険で修理もなかなかも難しいという専門家としての判断をするのだ。しかし!僕は赤紙が貼れない。

3月30日にJIA(建築家協会)に於いて第2回目の災害についての会合を行った。今回は建築学会関東支部建築歴史意匠委員会の主査の山崎さんや、家政大学の大橋さんなど建築史の研究者を招き、JIAと建築学会が連携して専門家として被災地の建築についての対処の検討をするものであった。
被災現地を考えると述べることに勇気がいるのだが、文化的な価値があるとしてリストアップ(データ化)されている建築の被災状況の調査の必要なことと、其れを何とか工夫して存続させる事の大切なことの確認や、データ化の課題について、そして各組織の役割についての意見交換でもあった。
心に留まったのが、調査した建築家が言う、まあ当然なのだがリスト化されてはいないが、傷んだ素晴らしい建築が沢山あることだ。価値がないとしてあっけなく壊されてしまう。
そうだと思いながら僕は「価値」とはナンだと自問していた。

第一回目の会合で小西宇都宮大学名誉教授の報告、能登地震のときの輪島に住む赤紙(赤紙?僕のオヤジが戦地に引っ張られたのも赤紙だった・僕は子供だったがその後の母の生き方が頭をよぎる)を貼られた居住者から、この住宅は価値がないのかもしれないが先祖から譲り受けて住んでいるので壊したくない、何とか住み続けたいので助けて欲しいといわれた。一緒に訪ねた地元の建築家と走り回って機械をさがしてきて傾いた家をなんとか垂直に戻したという報告をずっと考えていたのだ。建築ってそうなのだ。

何かやらなくてはいけない。そういう思いのある建築家は沢山いる。そして赤紙を貼る。必要な‘仕事`だとも思うが、家の中を見ないで瓦が落ちていたら赤紙を貼る。そんなことは僕には出来ない。赤紙に、大丈夫だから連絡をしてみてくれと名刺を貼って歩いた建築家がいるという報告もされた。瓦礫といって欲しくないという家をなくした人々の言葉を僕は自分に刻み付けたい。

大リーグがはじまり、西岡はエラーもしたがヒットが打てた。イチローはヒットを打ち盗塁もした。7回になって球場で皆で唄う二つの歌を聴いた。ここに日常がある。鎌田慧の原発に関する著作が本屋にも版元にも貸し出されていて図書館にもない。TVでシンディ・ローパの被災者を想う心の籠もった歌を聴いた。ああここにも人の生き方を問う日常があると思った。