日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

アレクサンドリアの風

2011-02-05 12:16:39 | 写真

写真家中川道夫さんの撮った写真に、池澤夏樹氏が一文を寄せた「アレクサンドリアの風」(岩波書店2006年刊)という写真集がある。
初めてアレクサンドリアを訪れた1979年より2005年までの、人の生活している様と建築を撮った年代をごちゃ混ぜにして組んだ。それが中川さんが伝えたいこの町と人の姿なのだ。だが違和感がない。建て替えた建築が無いからだ。

唯一つ中川さんが気にするのは、この26年間で唯一新しく建てられた大きな建築、2002年に完成した「アレクサンドリア図書館」である。この建築がムバラク大統領によって建てられたからだ。反ムバラク派の人々によって壊されないかと気になるのだという。
デモが拡大しカイロの博物館に暴徒が入ったと報道されたからだ。写真集では石を積んだこの建築の裏面しか掲載されていないのは、石に各国の文字がランダムに刻まれていてそれを伝えたかったのだろう。図書館の前面は海に向って大きなガラスで開かれていて、なかなか魅力的な建築なのだという。

アレクサンドリアは首都カイロに次ぐエジプト第二の都市、カイロはピラミッドのある観光のメッカだが、ここは中東の大金持ちの避暑地でもあるという。
街を行き交うと、建物の間から海が覘かれて風が吹く。アレクサンドリアの風だ。いや中川さんに吹いてくる風なのかもしれない。

ナイル川の河口、地中海に面するこの町は、なんと2300年も前になる紀元前300年代にアレクサンダー大王によって築かれた。
ロレンス・ダレルの長編小説「アレクサンドリア四重奏」にぞっこんになってギリシャで暮らした池澤夏樹氏は、ギリシャ読みのアレクサンドロス大王と書くが、僕たちに馴染みのあるのはアレクサンダー大王、気になって珠玉のエッセイ塩野七生さんの「男の肖像」を紐解いたら、西洋史上ピカ一のこの男は、傑出した母親オリンピアにぞっこんのマザコンだったという。
イッソスの戦いの後エジプトに行き、ナイル川の河口にアレクサンドリアの町を建設する。そのアレクサンドリアでもカイロに続いてデモが起きた。今朝デモは終息に向うと報道されたが、果てもない2000年という時間が今に蘇り遠いオリエント文化の現実が迫ってくる。

1月27日、僕は赤坂ミッドタウンタワーの7階にある駿河銀行d-laboで中川さんの映し出されるアレクサンドリアの写真に魅せられながら、彼の見た「虚構と現実」、そして「アレクサンドリアの本当の守護神である涼しい北風」の話を聞いていた。その直後に反ムバラクデモが勃発し、その時間的な偶然に驚くことになる。

カイロとアレクサンドリアは砂漠で隔てられており、鉄道もあるが普通はバスで砂漠を走ってカイロからアレクサンドリアに向うのだという。二つの都市の内在する文化が違うという中川さんのコメントが興味深かったが、アレクサンドリアという町の名から浮かび上がり奇妙に心が揺さぶれるオリエントという言葉、日の出の地oriens(ラテン)に由来するのだ。

中平卓馬のアシスタント経て自己の写真を撮ることになった中川道夫は、中平のカリスマから逃れるために中東に向う。
中川さんと親しい僕は、中東というところが中川道夫だと思うが、どの国も紛争が起こっていて入国が難しく、アレクサンドリアへ立ち寄るというロシヤの貨客船に乗ってアレクサンドリアへ向ったのだった。
そして上海なのだが、中川道夫の写真を改めて考えてみたいと思う。

<写真  d-laboでの中川さんとアレクサンドリアの風>