日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

「海市」-上海紀聞-と「温泉芸者」

2010-09-11 15:02:38 | 写真

中川道夫さんの「海市」と平地勲さんの「温泉芸者」に惹かれる。

アサヒカメラ9月号には、`日本と韓国の負の遺産の歴史の中で、韓国各地に生み落とされた日本家屋たち`と撮影者徐英一さんのいう写真や、山内道雄さんの`息苦しくなる密度のモノクロ写真、旧日本軍の軍港都市`と解説された`基隆`などが掲載されており、その組み合わせに編集者の思惑が読みとれ興味が尽きない。
だが、「海市」と「温泉芸者」は出色だと思った。
急がないと次号が出てしまうので、急いで書き留めておきたい。

「温泉芸者」を見て、一瞬、現在(いま)でも?と思ったが、やはり三十数年前になる1970年代、昭和といったほうが味わいが蘇る昭和40年代後半の写真だった。このところ昔を思い起こすことがよくあってよろしくないと思うのだが、大学を出て2年目、箱根の強羅で建てたホテルの現場が眼に浮かんでしまう。

野帳場といわれた工事現場の仮説の宿舎の出来る前、近くの温泉旅館を仮宿とした。そこに芸者ではないが3人の若い仲居さんがいて、仲良くなった。今考えると彼女たちへの思いは素朴なものだったが、渋谷の街路で肩を組んで歩いている可愛い仲居と宿の調理人に出会って、お互いばつの悪い思いをしたなんてことも在った。
其の時代、建築会社では一年に一度、熱海や袋田の温泉などに社員旅行をし、宴会では芸者を上げたものだ。胸をときめかせた其のときの若き僕のこころの揺らぎが平地さんの「温泉芸者」に込められている。
ホテルはコンクリート打ち放しの柱と梁でできているモダニズム建築だったが、その背景には平地さんの撮った温泉芸者の世界があったことを思うと、なんとなく感慨深いものがある。

さて旧知である中川さんの「海市」の副題は「上海紀聞」。今号(9月号)の撮影ノートには大きく中川さんのメッセージが掲載されているが「海市」というタイトルについては一言も述べていない。しかし上海を海市と名付ける「言葉」の感性にはいつもながら魅せられる。
上海紀聞は、1988年に美術出版社から発行された出色の写文集のタイトル、装丁も見事だが、「人はいま <闇>や<異界>に憧れ始めた。上海、シャンハイ、Shanghai・・このことばが人を魅了する」と書く其の文章の切れ味にも心奪われたものだ。

この「海市」は、岩波書店からこの2月に出版された「上海双世紀」に繋がる写真だが、最近撮った現在の上海の様だけで構成されている。
撮影ノートではこう記す。撮影をしながら「万博を待たずして上海人が既に<宴のあと>を予感しているような気分が伝わってもくる」。
<宴のあと>という一言に僕は共感する。

何の変哲もない街に変わった一角の写真があるが、旧フランス租界の高級な洋館も洗濯物だらけになっていて、中国は懐が深いと感じると中川さんは書く。中国人は、自分たちの時間軸を「したたかに」認識しているというが、それが実は僕には中川さんの感性そのものでもあると思うのだ。

中川さんは上海を撮り続けるだろう。