日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

歌舞伎座さよなら公演・夢幻の世界 歌舞伎十八番「助六由縁江戸桜」

2010-04-18 14:54:42 | 日々・音楽・BOOK

勘三郎が軽妙な語り口と仕草で詰め掛けた人々を沸かせている。
おやどこかで見た顔だなあ!と覗き込まれた團十郎は股を開いて踏ん張り、少しも表情を変えない。笑いを抑えているのだろうかと僕も顔を覗き込みたくなる。歌舞伎十八番『助六由縁江戸桜』を僕と妻君は楽しんでいるのだ。

勘三郎は股くぐりをやらされる通人里暁を演じている。幸四郎に言わせれば「演じている」のではなく「役を勤めている」ということになるのだろう(文藝春秋2002年11月号)。でも勤めを超えてしまって独自の世界を醸し出している。それがそれ、少しも嫌味がないのは永い修練と先代の面差しを受け継ぎ、中村座を率いる総領の風格と品格があるからだ。

続いて股くぐりをする白酒売新兵衛の菊五郎には、忍ちゃんがねえ!(ついでに)中村座もご贔屓に!拍手がおきた。和やかな笑いを取って花道を引くときにふと立ち止まって、客席から天井、舞台を見渡した。
いい芝居小屋ですねえ、と溜息をつく。そして瞬時間をおき、ちょっとためらって、でも3年後には新しくなるのでと僕たちをしんみりとさせる。そして上半身を微動だにさせずにつつつと消え去った。

玉三郎の三浦屋揚巻にはオーラがあり、くわんぺら門兵衛・片岡仁左衛門の軽やかさ、転じて左團次の重量感。口上は若きスター海老蔵。次代を見据えた多彩な顔見世だ。

「実録先代萩」の『子別れ』の一幕。芝翫・浅岡の貫禄、抑えて風情のある片倉小十郎の幸四郎。そして何より凄かったのは浄瑠璃三味線入魂鶴沢宏太郎の撥捌きだった。

これも残念なことに今年の2月で終刊となった季刊誌『銀花』の1998年第七十三号`紅霞喜色`号に、今年で百周年を迎える「歌舞伎座」を「わたしは歌舞伎座の猫」と一捻りしたタイトルの頁がある。
`團菊左`で杮落しをして明治二十二年に東京・銀座に開場した歌舞伎座の、黒紋付の新旧歌舞伎役者が勢ぞろいした「古式顔寄せ手打ち式」の様は、猫の一言に借りて、さながら夢のようでありました、とある。3階から撮った写真の天井の緑色の間接照明に対比して彩られた舞台は正しく、朱塗りの扉をギイと開くと心ときめく「夢幻の世界」。

ページをめくると「脂粉の香り漂う楽屋内芝居好きの職人たちが技を競う」、次「檜の匂いのする役者花道にて見得を切る」、写真はなんと玉三郎丈の花魁「揚巻」ではないか。次の頁、「機械油のにおいと黒衣と闇舞台裏には色がない」。
僕はこの歌舞伎座の全てを見学したことがある。天井が高いと役者が喜んだ楽屋、そして闇の廻り舞台下の奈落(言いえて妙だ)。猫が呟くのもわかる。そして「芝居小屋に住む猫は決して舞台を横切らない」
最後の一言「銀座四丁目にどっしりと腰を据えた不思議な空間」。猫にも想いがあるのだ。

ひとしきり僕たちが座っていた平土間(一階の舞台に近い右手の椅子席だけど)からこの芝居小屋を見渡して東銀座の雑踏に出た。見上げる提灯の文字は「御名残四月大歌舞伎」。

銀座ライオンで妻君と乾杯した。妻君は歌舞伎座の平土間は前の人の頭が邪魔でちょっと見に難いのよねというが、菅原栄蔵の設計したこのビヤホールと歌舞伎座が僕に取っての銀座の華だ。