新聞の広告は旅だらけだ。旅しかないのか?と思う。
となると僕も旅って何だろうと考えてみたくなる。
僕のこの1年の、旅や旅らしき出来事を振り返ってみた。そして困ったことに建築三昧だったことを確認するハメになった。これでは妻君も娘も僕と一緒に旅をしたくないというわけだ。
昨年の3月にDOCOMOMOメンバーを引き連れての韓国近代建築ツアー、4月の金沢工業大学でのJIA―KITアーカイヴスの委員会出席のための金沢での1泊旅。7月末から8月に懸けては3泊4日の四国行き。これも四国の建築をみるために出掛けたのだ。
「旅」。広辞苑にはこうある。「住む土地を離れて、一時他の土地に行くこと」そして、古くは必ずしも遠い土地に行くことに限らず、住居を離れること全てを「たび」と言ったとある。読んだ途端に「たび」と言うコトバが改めて面白く興味深い対象になった。「人生は旅だ」という言い方も無くはなしだし!
8月には新潟へ。僕の設計したビジネスホテルの定期調査と、不況のあおりを受けて閉館することになっての善後策の検討、これは仕事だから出張だ。
ちなみに広辞苑では「出張」とは、一節に「でばり(出張り)の音読で、戦場に出て陣を張ること。と冒頭にあり次の項に「用務のため、ふだんの勤め先以外のところにでむくこと」とある。仕事は「戦場」なのだ。
しかし僕はその後もう一泊して新潟の知人とまちを歩いて建築を見、夕方、版画家や美術評論家とも一緒になって酒を飲みながら「まち」やそこに建てる「建築家」、「絵描き」の世界を語り合った。出張を旅に変えた。
JIAの保存問題委員会の木曽福島で一泊した理論合宿。木曽のまちや建築を見学して語り合う旅だった。11月の3泊4日の北海道は学生の設計課題講評とはいえ旅。函館へ脚を伸ばしたから?
僕は教える立場とはいえ、若者から学ぶものもある。未知への好奇心があれば旅になる。
では11月30日のDOCOMOMOからの「弥生小学校保存要望書」を持って教育長や議長に提出した後記者会見を行った日帰りの函館行きは?沢山の人との出会いと発見があったから旅といってみたい。旅でないとしたらどういう言い方をすればいいのだろうか?そして今年に入った2月の札幌での建築家上遠野徹氏を「偲ぶ会」「偲び会」。
思い起こすとこの1年で3回も北海道を訪れた。北海道には僕にとって掛け替えの無い人たちがいるからだ。それにしても建築ばかりだ!
それでも懲りずに、今月の24日と25日にはシンポジウムで話すために四国に行く。愛媛県、宇和島の近くの鬼北町、地元出身の建築家中川軌太郎の担当したレーモンド事務所が設計した庁舎の存続をサポートしたいと思うからだ。
6月には家族とともに京都へ。建築は観ないぞ、ではなくて桂離宮を見学するのだ。妻君と娘が僕を桂へ招待してくれるのだ。WHY?と思うでしょ!
この一文を取りまとめていた8日、沖縄のJAZZピアニスト屋良文雄さんが亡くなった。
昨年は沖縄に行けなかった。那覇の「寓話」へ往けなかった。屋良さんのピアノが聴けなかった。僕の沖縄紀行アルバムには、屋良さんと僕が肩を組んでいる写真が貼ってある。オフィスの机の前にはピアノの前に腰掛けた屋良さんが微笑んでいる。四つ切の写真だ。屋良さんの右に少し離れてなぜかドラーマー津嘉山さんの奥さんが座っている。笑顔だ。僕はいま屋良さんにサインをもらったCD「シルクロードの詩」を目を瞑って聴いている。
そう、建築をみるだけが僕の旅ではないのだ。かけがえのない人との出会いがある。でもつらい別れもある。
「旅行かば」。旅に行けば何かが起こる。
過去形が多くなってしまうかもしれないが、10回ほど飛び飛びに旅を考えてみたい。「旅は人生」だからだ。いや「人生は旅だから」?
<写真 光る沖縄読谷の海 水平線が高くそこに光があたりえもいわれぬ美しさだった。思わず車を降りシャッターを切った。屋良さんはこの海のどこかにいて僕たちを微笑んでみているような気がする)