日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

愛しきもの(9) お多福の「乙御前」が重要文化財になった

2009-06-18 23:09:15 | 愛しいもの
             
文化庁文化財部が監修して第一法規から発行されている「月刊文化財」を、数年前から購読している。主に歴史的建造物の動向や、その価値判断や基準を学ぼうと思ったのだが、建造物の特集号はともかく、積読(つんどく)的とか読み飛ばしっぱなしという有様で、じゃまっけだねえと妻君から言われっぱなし。でも登録文化財特集号など、貴重な資料として役立ってもいる。
そうでなくても親しい建築史研究者のモダニズム建築の価値判断や、面識のある文化庁建造物担当者の報告など読み、門外漢とはいえ埋蔵文化財や織物論考などをついばむと、文化庁とはなんぞやという好奇心が刺激されて、結構楽しいのだ。

今月号(平成21年6月号・このところ平成といわれるとピンとこなくて困ってしまうこともあるのだが、文化庁は平成表記だ)は、美術工芸品の「新指定文化財」特集で、通常ならパラパラとめくって積読になってしまうのに、思わず精読してしまった。

一つは「与謝蕪村筆」の南画『紙本墨画淡彩夜色楼台図』が国宝に指定されたことだ。
この一幅には、京都という民家の密集した「都会」の雪の降る夜の景観が描かれている。江戸末期の街の様を「都会」と捉えたコトバに惹かれる。
筆勢は大胆で暗い夜空と山並みの麓に埋め尽くされている民家の屋根には雪が積もって明るい。

文化庁の評価は、「蕪村(1716-83)」の優れた詩人としての創造性と絵画における独自の創造性とが渾然一体となった稀有な作品だ」とべた褒めだ。べた褒めだから国宝になったのだが、この水墨画は、よく覚えてはいないのだが,NHKの日曜美術館や、芸術新潮などで観たことがあるのではないかと思う。目にした途端、これかあ!と思ったのだから。
評価としての「都会の風景」という一節を眼にした途端、そこに住む人々の生活まで思い浮かんできて溜息が出てくるのだ。

二つ目は、建造物担当田中禎彦さんの書いた、文化財を記録するという欄の「建築彩色を記録する」だ。模写の手順や機械を使った記録、光ファイバーの斜光ライトでは影ができて絵様が判然とするとあるし、オルソ画像という3Dレーザースキャナーという最新機器を使った手法が紹介される。田中さんとは知らぬ仲でもないので、こういうことに関わっているのだと感じ入った。

そして何より僕の好奇心が刺激されたのが、本阿弥光悦(1558-1637)作の赤楽茶碗「乙御前」が重要文化財になったことだ。この茶碗は、お茶を嗜む人だけでなく、陶器に関心があり、それだけでなく我が人生に日本文化考察が巣食っている人にとっては欠かせない茶碗なのだ。
思わず手に触れて撫でてみたくなる(下記「茶道具の世界」の記述)丸みを持った茶碗が、三井文庫が所有している黒楽の「雨雲」が重要文化財になっているのに、何故重文ではないのだろうとづっと気になっていたが、個人蔵とあるので、様々な思惑があるのだろうとも思っていた。もっとも光悦には「不二山」という国宝になった白楽茶碗がある。

銘の「乙御前」とは`お多福`のことだそうだ。
「伏せて高台を見れば小さな円盤状の高台よりもその周りが高く盛り上がり、まさに鼻が低いお多福の趣となっている」とある。なんともはや!この記述が公文書なのが楽しい。
しかし十五代楽吉左衛門が編集した「茶道具の世界」`楽茶碗`(淡交社刊)には、これほど豊かな表現にみちた茶碗は、他にはあるだろうか・・底部から突き上げるようにめり込んだ高台・・おしりの可愛らしさ、愛らしさ、そして力強さ、とあり、光悦茶碗中、随一の優作とある。

さてこの茶碗を見る機会はあるだろうか。それはいずれにと楽しみにしておくが、僕にもふっくらと胴のふくらんだ大好きな茶碗がある。
まだ銘はない。大嶺實清作の沖縄のざらっとした土の感触がえもいわれぬダイナミックな茶碗だ。乙御前がお多福なら、僕の茶碗は男茶碗だ。
さて僕は、これから静岡の名物`追分羊かん`をお菓子にして、この茶碗でお茶をいただくことにしよう。

<写真 大嶺實清作・愛しき茶碗>