日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

消えない澱・旅先で! ´ゆず´の「この空を見ていますか」

2009-06-06 12:36:41 | 日々・音楽・BOOK

岩沢厚治と組んだ音楽グループ`ゆず`の北川悠仁が、アフリカ難民キャンパスを訪れた。TV局の企画なのだろうが、ペアではなく一人で訪ねたのだから、問題意識を持って出かけたのだと思う。NHK・BS2をみながら、そこで生まれた唄にうたれた。「この空を見ていますか」。(5月30日、pm9:00-)

民俗闘争が起きていて、家の前で父が刺殺されたソマリアからの難民少女の「わからない」と口ごもる姿と、「夫を殺した国には帰らない」というこのこ(娘)の母親が言うそのコトバに、北川と同じように僕も声も出ない。ヒヤリングしていた北川に男が穏やかな口調で言った。お金を出す気持ちは無いのかと。
北川は無言で車に向う。そしてジープの前で肩を落としてしのび泣く。彼の人柄が伝わってくるシーンだ。

僕はこのTVの画面を見ながら、心からいつまでも消え去らない、二つの些細な出来事を思いだしていた。
パリ。モンマルトルのレストランに、花を買ってくれと少年が来た。僕は首を振り、写真を撮らせろとカメラを構えた。少年が手を出した。撮らせるから金を出せというのだ。僕は瞬間的にそっぽを向いてしまった。20年以上にもなる一瞬の出来事だった。

DOCOMOMOの総会に出るために訪れたイスタンブールのシナゴークの建つ街角で、目の悪い少女の手を引いた母親らしい女性に手を出された。お金を恵んで欲しいというのだ。そこでも僕はそっぽを向いてしまった。
後に、イスラムの人々は人が共存するために、些細なお金でも手渡してそういう人々を支えるのだと聞いた。手を出す少年の辛さと、手を出して断られても恨みを言わない女性の変わらない表情が、今の僕には辛い。消えない澱(おり)というものがある。
北川には唄がある。

北川から唄が生まれ、ゆずが唄う。「同じほし(地球)のどこかで『この空を見ていますか』。ふるさとの唄が聞こえます。ありがとうと君に届けたい・・・」

<パリを訪れたときの写真をめくると、あのときの少年の顔が浮かぶ>