日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

「青蛙と月下美人」 滑稽俳句と誤読する狂歌の時代

2009-02-01 21:16:38 | 文化考

新聞に眼を通していて、芥川龍之介の一句に目が留まった。
「青蛙おのれもペンキぬりたてか」

青蛙の生々しい青色に、おい、ホントか?という驚きと、自然界の不思議さや、かなわねえなあ!とそれを感じる自分へのおかしさが読みとれて、うれしくなる。あの芥川龍之介の深刻な顔写真が眼前をよぎったりした。青蛙ってそうなのだとその姿の臨場感を感じとれる。

元NHKアナの八木健さんが「滑稽俳句を大繁盛させたい」と「俳句に滑稽がない、それが滑稽」と「滑稽俳句協会」つくってから半年を過ぎたそうだ。八木さんに言わせると、芭蕉の門人・許六はこういったそうだ。「滑稽のおかしみを宗とせざれば、はいかいにあらず」。

気になって「俳諧」を辞書で引くとなかなか微妙な答えがかえってきた。①おどけ。たわむれ。滑稽。②俳句(発句)。広義には俳文、俳論を含めた俳文学全般を指す。
滑稽ということになると「川柳」が気になってくる。辞書を引きなおす。「季節」に捉われない。
つまり季語がなくてもいい。それくらいは知っている。
多くは口語を用い、人情・風俗、人生の弱点や世態の欠陥をうかがい、機知、風刺が特色で、江戸末期には低俗に堕して「狂句と呼ばれた」とある。

十数年前の一夜を思い出した。
「月下美人」が咲くのでうちにこない、と誘われたのだ。
「月下美人」。これも調べた。メキシコの亜熱帯雨林が原産地で、1年に一回新月の夜にしか咲かない。咲けば芳香を放ち艶やかな美人(に見える?)。これは楽しみだ。
誘ってくれたのは棟方志功先生の長女`けよう`さんとご主人宇賀田さん。今では志功研究者として僕が頼りにするその長女頼子さん。日本民藝館の学芸員や、朝日新聞のデザイナー・絵描きの橋本さんもいる。

鉢に植えられた月下美人を皆で見据える。
まあ一杯と、青森の田酒が出てきた。ちびちびやりながら発句にトライした。連句とは行かないが思い思いに月下美人を詠んだ。皆呻吟しているが、思いがけず僕には次から次えと俳句らしきものが生まれる。
「月下美人待てど暮らせど月下美人」「月下美人一献傾ける輩見て」。
皆苦笑している。到底、俳句とは云えず川柳にもなっておらず、八木さんの唱える滑稽俳句的にもなっていない。狂句にもなっていない。でもそういうものしか出てこない。ではこれはなんだ?
けうさんも橋本さんも亡くなった。でもあの楽しかった一夜を「滑稽俳句」という一言で思い出したのだ。

さて、麻生総理が所信表明演説で文言を誤読した。ところが中川財務大臣が更に数多くの誤読をして、財務省から修正要請がなされるという異様事態が発生した。
オバマ大統領の20分に及ぶ就任演説は、大勢の人々に向って自分の所信を自分の言葉で投げかけた。僕が改めて言うこともでもないが、厳しい世界状況であっても希望が湧いてきた。

下を向いて書かれた文章を読み上げる。それを誤読する。誤読だけでなく意味を取り違える。改革だといいながら官僚の書いた文章をただ読むだけという政府と官僚の危うい関係を露呈した情けない人々の下で僕たちは生活をしなくてはいけないのだ。あああ!低俗に堕した狂句の世界だ。それを楽しもうかナ!
書きながらTVを見ていて、ブレア首相の名前を間違えた麻生総理の渋面が映し出された。さすがに笑えないのだろうが、笑わないだけでもホッとする。

明け方、楽しく可笑しかった宇賀田家を辞した。月下美人は咲かなかった。咲かなかったが今僕の眼前には、けようさんと橋本さんの笑顔が浮かんでいる。

<スケッチ 蛙 作:吾が娘  新聞記事・朝日1月31日>