日々・from an architect

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北海道紀行08(2) 二つの市庁舎・旭川と山形県の寒河江(その一)

2008-11-08 13:57:16 | 建築・風景

DOCOMOMOで選定した市庁舎は三つある。坂倉準三の岐阜県羽島、山形県の寒河江、それに北海道の旭川である。機会を得て続けて二つの市庁舎を観た。寒河江と旭川だ。
10月17日、仙台`メディアテーク`で行われたJIA東北大会で「よみがえるデザイン・サーヴェイ展」展示とシンポジウムを行った翌日寒河江を訪れた。仙台からJR仙山線に乗って山形駅に行き、そこから車で寒河江に足を伸ばした。仙山線車窓に迫る紅葉の始まりを身を乗り出して楽しむ。旭川にはその11日後、稚内に行く途中に立ち寄った。

寒河江市庁舎は建築家黒川紀章のいわばデビュー作である。1967年の竣工、若干33歳だった。
市民は外部の緩やかなスロープを登って2階の市民ホールに入る。その下に議場を設けた。これが黒川の考えた市民のための市庁舎なのだ。
黒川は4本のコンクリート壁によるコアシャフトによって建築の構造を支え、異形ともいえる大胆なカンティレバー(跳ねだし)をつくり出した。若き日の気負い。しかし時を経て、今では何がしかの微笑ましさをも感じ取れる。

庁舎の中央にある市民ホールに大きな吹き抜けがある。
はねだしの中の庁舎内のどこからも見える不思議な吹き抜け、そこに象徴的に吊るされた岡本太郎のガラス彫刻によるペンダントに天井のトップライトから光が注がれる。
33歳の黒川と55歳の岡本太郎とのコラボレーションだ。空間に刺激を与えたこの照明器具も、今では人々の心に溶け込んでいるようだ。
白い光の中の赤みのあるこの電球色が市役所を訪れた市民を和ませるだろう。出入り口のテンパーライト(強化ガラス)ドアの雲形の大きな取っ手も岡本太郎の造形だ。

黒川の建築人生へのスタートを、あの「爆発だ!」の岡本太郎が支えた。
市民はこの建築をどう受け止めたのか。慈恩寺のある歴史を内在したこの地にも新しい時代が訪れたことを感じ取ったに違いない。

一方の旭川市庁舎は、その9年前、1958年に建てられた59歳だった建築家佐藤武夫の設計した建築学会賞受賞など高い評価を得た建築である。
プレキャストコンクリートのフレームの中にその土地でつくられたレンガを組み込みこんだ。レンガとコンクリートの組み合わせは、北の大地に品格のある姿を生み出した。
この温かみを感じる円熟期のデザインは、大勢の市民に厳寒のこの地で生活する喜びを与えたに違いない。雪の上遠野邸を見たときにも感じたのだが、レンガの壁は雪によく似合う。自然のなかで人の生活を包み込む存在感がある。でも自然に阿(おも)ねてはいない。対峙しているのでもない。屹立している。上遠野邸も旭川市庁舎も。建築家の資質を僕も受け留めたい。
世は好景気に沸く高度成長期。佐藤武夫は浮かれず、人の生活を見据えたのだ。

建築を訪ねる。
建築を観て、描いていた僕の建築感や人生観が揺らぐ。建つ場の空気を読み取ることができるからだ。だから観に行かなくてはいけない。そして建築に出会うと黙っていられなくなる。意識はしていないのだけど、いつもそうなってしまう。
同時にもしかしたらと思う。僕と会った人の、僕の建築に対する想いを聞いて、建築に対する気持ちがほんの少し動くかもしれない。この建築はとてつもなく大切なのかもしれないと。

<写真 上段・旭川市庁舎 下段・寒河江市庁舎>