日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

風の音が聞こえる「前川國男のクラブハウス」

2007-07-20 19:20:38 | 建築・風景

「白の家」へ向かう途中の大通りを曲がって右を見た途端、おやっと思った。もしかしたら前川國男の設計したクラブハウスがここに在るのではないか。1954年に建った木造2階建ての旧NHK富士見が丘クラブハウスだ。覗いてみると広大な敷地の中に樹々がたち、あるはずの運動場やクラブハウスはさえぎられて見えないが、誰でも入ってゆけそうだ。

ほぼ1時間半後、白の家の余韻に浸りながら恐る恐る敷地に入ってみた。右手が木造の住宅街になっていて塀も無く開放的だ。樹の茂みの先に写真で見ていたクラブハウスが現れた。ホッとした。NHKが運動場を手放すと聞いていて、このクラブハウスが取り壊されてしまったのではないかと気になっていたからだ。

運動場とクラブハウスの間には背の高いフェンスが設けられていて、野球の試合をやっている。スコアボードを見ると杉並、世田谷と書いてあり、どうやら区の対抗試合らしい。声が飛び交い楽しそうだ。外階段は上がれないように板で塞がれている。気になりながらエントランスホールに入り、天井までガラスになっていて、中の様子が一目でわかる事務所に近寄って声を掛けた。
「僕は建築家で・・・」。おばちゃん(失礼)が出てきてくれたが、書類をめくっていた30代とおぼしき男性は含み笑いをして下を向いた。どうやらこの建築のことを知っているようだ。

「この建築を設計したのは前川國男という有名な建築家で・・・上野の東京文化会館とか都の美術館などを設計したんですよ。その人の若いときの代表作で・・」。ニコニコしながら聞いていた優しくて人のよさそうなおばちゃんは、そうなの、と相槌を打ってくれる。そしてびっくりしたような顔をして「初めて聞いた」とうれしいことを言う。僕の能書きを聞いてくれるし、わかってくれる。素敵な人だ。話が弾みだした。

階段の鎖の鍵を開けてくれたおばちゃんと一緒に2階へ上る。
あれっ!と思った。どこかで見たような階段の手すりだ。「この階段はね、前川國男の先生のレーモンドというアメリカの建築家のつくった軽井沢の聖ポール教会の階段とそっくりだ。きっと尊敬する先生のデザインを映したのだと思う。いやいやこの建築は面白いね!」
息が合い仲良くなったおばちゃんは、うなずきながら「この建物にいるとクーラーがなくても涼しくてとっても気持ち良くてね、友達からあんたいいとこにきたねって、うらやましがられるのですよ」おばちゃんはこの4月にここへ来たのだそうだ。「そうだよね、この風はね、運動場の廻りの樹々を通って来るから涼しいのだよね。風の音が聞こえるでしょ。部屋の四方が床から天井までガラスになっていて開放感もあるしね」

この運動場やクラブハウスは、NHKから杉並区が暫定的に譲り受けたのだそうだ。3年間ぐらいらしいという。
「ねえ、ここは素晴らしい!と使っている事務所の人たちが、区の人が来たときみんなで言い続けていると、よしそれでは区民のものにしようといってくれるかもしれない。そうすると貴女もづっといられるじゃない」そうだね、と頷いたおばちゃんが、だんだん可愛くなってきた。

でも油断できない。この近くの三井の持っていた運動場を開発してマンションにするとき、その敷地の樹林の一部を杉並区が譲り受けたが、建っていた久米権九郎の初期の傑作、大正ロマンに満ちた三井高井戸運動場クラブハウスの存続を、杉並区は一顧だにしなかった。つい先ごろそんなことがあったばかりだからだ。この前川國男のクラブハウスについては、建築界をはじめとして皆で残して使いたいと声を上げなくてはいけない。

大勢の人が上がると危険だといわれていて2階を閉鎖している。「みんなにね、2階も使わせてあげたいわね」とおばちゃんが言う。「木造だから補強すれば大丈夫。ソンナニ難しくないですよ。ところで今日はね、この近くの素晴らしい建築の見学に来たのだけど、これから何人か見せてと来るかもしれない。よろしくね」って、つい手を出して握手したくなったが、それはちょっとまずいと思って深々と頭を下げた。

「クラブハウスがまだ在りましたよ」と京都工業繊維大学の松隈洋さんに電話した。彼もホッとしたようだ。
階段の話しをすると「いやそうなんですよ、レーモンドは俺のつくった階段の手すりをパクッタ奴がいると、自著に書いちゃった。実際はね、担当した田中さんが好きでやったのだという。でも前川は自分の弟子じゃない、俺のデザインが素晴らしいからだろうって笑って自慢すればいいのにね、と僕は恐い顔と、恐いエピソードを持つレーモンドの風貌を思い起こしながら述べると、電話先の松隈さんも声を上げて笑った。
とはいえそのレーモンドだって、軽井沢の「夏の家」でコルビジュエの作品をパクリ、コルの逆鱗に触れたじゃないか。しかし、後年コルビュジエは、いやあのレーモンドの創った作品は素晴らしいと前言を翻したのだ。
建築ってなんとも楽しい。