日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

写真展「東京―街の余白」から・写真家村井修を考える

2007-07-09 13:56:03 | 写真

写真家村井修を探りたいと思った。
村井修さんを考えることによって、写真の世界と同時に建築の側面を捉える(試みとしかいいようがないのだが)ことが出来るのではないかと思うからだ。
でも困るのは、僕は「建築写真家・村井修」と書き始めたいのだが、村井さんは「僕は建築写真家ではないよ、写真家が建築を撮っているのだ」という。となると1983年の「写真都市」や1989年の写真集「石の記録」などを視なくてはいけない。でもまず忘れ得ない2002年に神楽坂の`アユミギャラリー`で開催された「東京―街の余白」という個展を思い起こすことからこのエッセイを書き始めようと思う。

何故僕が村井さんに魅かれるかというと、JIAの中に建築家写真倶楽部という部会をつくったとき、村井さんがその設立の会とその年の忘年会に出席してくださり、その風貌どおりの穏やかな口ぶりながら、村井さんの写真に対する激しい想いに触れたからだ。写真倶楽部の顧問格としてメンバーになってくださった林昌二さんが、親しい村井修さんを誘ってくださったのだ。

アユミギャラリーは、木造2階建ての洋館の一階の部屋をそのままギャラリーにした趣のある会場で、写真展も時折開催される。
僕が思いがけなかったのは、展示されている写真に建築の姿がなかったことだ。
その大半がネオンや都市の中のショウウインドウなどをカラーで撮った写真で、思わず立ち尽くしてしまった。少し前にJIAのホールで、村井さんの撮ったシドニーのオペラハウスの写真展示を観ていたからでもある。そのときの写真は、ウオッンの設計したオペラハウスの建築そのものに対するオマージュに満ち、同時に建築を解き明かそうとする想いに溢れていると感じたので。ちなみにこの建築は、世界遺産になった。


展示された写真「東京―街の余白」をしばらく観ていると、不思議な想いにとらわれていく。
写し撮られた写真には都市の不条理のようなものがないのだ。そしてそれは必ずしも今の都市の姿を短絡的に容認しているからではなく、その不条理を内在しながらも、それ事態を容認する、つまり都市を慈しむように視ているそのユニークな視点の面白さを感じた。
僕たちを刺激する都市を視る写真は、概して都市の暗部に目を向け、たとえコンポラとしてありのままを撮るとしても、カメラを向ける対象は `面白いところ` は視ても決して都市の美しさに目は向けない。村井さんの眼はそれを視ながらもその美しさを写し撮っているのだ。
何故なのだろう。
しかも思いがけないことに、大型カメラだけではなく、ライカ使いだというのだ。

でもこれだけで村井さんが視えたとは思えなかった。僕は村井さんがなんと言おうと、村井さんは傑出した建築写真家だと思うからだ。DOCOMOMOにかかわりながらモダニズム建築を検証していくときに、どこからともなく村井写真が起ち現れるからだ。

林昌二さんのつくった、三愛ドリームセンターの写真を見たときには参った。DOCOMOMO100選展では使わなかったが、竣工直後の夜の各階に人の姿が表れる大型カメラで撮られた写真は正しくプロのものだし、村井さんではないと捉えきれないこの建築の姿だと思った。林さんの想い、この建築は透けて見えること、何もないほうがいい、というそのコンセプトを見事に捉えている。しかし「これは建築写真」なのだ、と言っていいのだろうか。

僕も写真を撮る。この写真は当たり前なのだが僕には撮れないと思った。技術的な問題もあるが、写真家としてのポジションを持たないと撮るチャンスを得られない。そして撮りきる。でも無論それだけではない。しかし村井さんは「撮れといわれたから撮っているだけ」だなんて平気で言う。
建築家写真倶楽部では、村井さんを招いて公開の写真論考を行おうと思っている。その不思議さを少しでも紐解きたいので。

実はこのエッセイを書き始めたのは丁度1年前である。ここで筆(キーボード)が止まってしまったのだ。後に(昨2006年の10月) JIAのアーキテクツガーデンのプログラムとして村井さんを招いて公開の写真論考を行った。林昌二さんにも登場していただいて、ぼくが聞き手のような役割を担って建築写真をテーマとした鼎談を行ったのだ。
そしてそのときスクリーンに映し出された、林さんのつくったパレスサイドビルや住友3Mビル、さらに新宿の住友(三角)ビルのモノクロの写真に衝撃を受けることになる。仕事での撮影の終わったあと撮ったというその写真は、建築を撮りながら都市を見事に捉えているとおもった。無論それが写真家村井修の都市感なのだ。
1年前に,アユミギャラリーでの写真展で都市の美しさを捉えたと書いたのは、果たして間違っていなかったのだろうか。困ったことに今こんなことを考えている。

さらに昨年の12月、竹中工務店本社の一階にあるギャラリー(GALLERY エークワット)で開催された「村井修展」で村井修さんの全貌を見たと思った。しかしこうやって書いていくと、到底写真家村井修を捉えたとは思えなくなってくる。
鼎談のスタートは、村井さんの一面を撮り得たと思ってチラシに使った僕の撮ったにこやかに笑っている村井さんの顔写真を、「これは僕の顔ではない」という恐い村井さんの一言から始まった。そんなことを思い出してしまった。(だからそのチラシを掲載できない)村井さんが恐いのではなく写真は恐いのだ。