日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

点描(1) 旧日向別邸へ行く Ⅱ 赤紫の絹の色

2007-06-04 11:07:44 | 建築・風景

旧日向別邸の存続に関わった僕は、様々な機会を得て小文を書いてきたが、「タウト寺子屋」という高崎のグループから依頼があって、その機関紙に「胸騒ぐ日向別邸」というエッセイを書いた。2004年3月のことだった。
読み返してみると、今でも日向邸と出会ったときの驚きと戸惑いがありありと思い起こされる。イメージは赤紫の絹の色だ。
記述が前項と重なるところもあるが、少し手をいれたこのエッセイをお読みいただきたい。

<胸騒ぐ日向別邸>
熱海駅からそう遠くない坂道を登っていくと、目の前に相模湾が広がり真正面に初島が浮かんでいる。これはすごい!とため息をつき石段を数段下りると、右手の梅の樹の背後に瀟洒な木造2階建て(地階1階)の住宅が見える。
この旧日向別邸は、実業家日向利兵衛が清水組(現清水建設)に建てさせた別邸で、資料によると設計は渡辺仁、竣工は昭和10年(1935年)2月となっている。天井に桐の底板を使った合天井が組まれているなどなかなか魅力的だ。お目当てのブルーノ・タウトが設計した部屋は離れとも言える地階に昭和11年にできた。

ドイツ人の建築家タウトは、ナチを逃れて世界各地を逃避行し、1933年来日した。そして来日2日目に桂離宮を見学し衝撃を受ける。濱嵜良実さんが著作の中で、このことを「タウトと桂離宮の運命的な出会い」と書いているのも頷ける出来事だった。「ニッポン(桂離宮掲載)」など2年半の日本滞在で多数の著作や講演によって日本の建築界に刺激を与え多大な貢献をした。

例えば郵政の建築を率いた建築家吉田鉄郎の設計した丸の内の「東京中央郵便局」は実はその存続が気になっているのだが、日本的な建築として絶賛し建築界に目を開かせたといわれており、見学会の折、一見何の変哲もないと思われるこの庁舎を、タウトが絶賛したと説明すると「なるほど素晴らしい!」と皆納得する。タウトの神通力は今に生きているのだ。

しかし日本での建築家としてのタウトはいささか不遇で実作は2件、現存しているのはこの旧日向別邸だけである。タウトが設計することになった経緯には、外務省の柳沢健と間接的に高崎の井上房一郎が関わっている。

急傾斜地のため人工地盤の庭を作ったその下に連続する3室の意匠の異なる不思議な空間が出来上がった。
真ん中の洋間の気になっていた赤い壁は、渋い赤紫の絹で出来ており、壇状になっている床ととともに濃密な!と言ってもいいような空気を漂わせている。
そこに在る椅子もタウトの設計したもので、当たり前のように置かれていてそれなくしてこの空間を語れないような気もする。奥の和室も山側は同じく傾斜地を利用した階段状になっており、脇息を置くと様になる「殿の座」のようなスペースがある。

それにしても手前のホールといわれる部屋にぶら下げられた鎖を連ねた夜店や漁船の灯りのような照明装置をどう考えればよいのだろうか。ここを訪れた建築家や歴史の研究者は、かなり戸惑ったのか誰もこれについて語っていない。
若き日タウトの作業に従った水原(みはら)徳言さんを群馬県の高崎に尋ねてお聞きしたら、夜店ですよとこともなげに述べた。ちなみに僕が「殿の座」と思った細工は、大阪の商店の帳場だという。

タウトは克明な日記を書いていてこの別邸の設計経緯にも触れているがこの照明や帳場についての記述はなく、「全体として、特に際立たせた箇所はひとつもなく、すべて優雅な趣味の人に向くような建築である」と満足し、なにやら自慢げだ。
うううーん!それはともかくタウトが日本の文化に触れ其の集大成として創ったのか、触発され自分の空間を作ったのか、郵政の若手を連れて設計を手伝った吉田鉄郎とのコラボレーションと考えてもいいのか、などなど興味は尽きない。

見学に同行した建築家や歴史研究者の中で、ぞっこんになって「良いなあ!良いなあ!」を連発した人と、「変だ」という人に評価が分かれた。こんな建築ってそうあるものではない。
長い間この建築を所有者していた日本カーバイト工業は、この空間を極めて大切なものとして扱い、余程の人でないとここへ通さなかったという。だからあの華奢な竹の手すりも傷一つなく残っていて感激する。

ドコモモ100選(現在は115選)にも選定されたこの建築は(吉田鉄郎設計の東京と大阪の二つの中央郵便局も選定された)、様々な経緯を経て東京在住の女性の寄付を得て熱海市が取得し、2006年7月、重要文化財の指定を受けることができた。その経緯については機会をつくって別項で伝えたい。

この別邸は人の心を惑わせるナウで(こういう言い方はナウでないか!)ホットな建築という気がして何度訪れても胸が騒ぐ。