日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

007「カジノロワイヤル」をシェイクする

2007-02-04 14:25:47 | 日々・音楽・BOOK

イアン・フレミングの『007』シリーズ第一作「カジノロワイヤル」は、1953年に書かれ、翻訳されて早川文庫で発表されたのが1963年、2000年には60刷にもなった。
若き日、親友U君と新作が発表される度に変わりばんこに買っては回し読みしたことを思い出した。フレミングが亡くなったとき、僕たちはもう二度と新しいボンドを読めないのだとがっくりきたことをつい先日のように思い起こす。それから既に40年以上になってしまった。
映画を観たら、原作を改めて読んでみたくなった。改訂版を買い求め、読みながらいろいろと考えているうちに映画の公開が終わってしまった。サイクルが早い。

「ゴードンのジンを三に、ウオッカを一、キナ・リレのベルモットを二分の一の割合で。氷みたいに冷たくなるまでよくシエークしてレモンの皮を薄く切ったやつをいれる」

このドライ・マティーニを気にいったCIAのレイターは「モロトフ・カクテルと呼んだらどうだろう」とボンドに言う。でも名付けられたのは、原作ではボンドガール、ヴェスパーの「ザ・ヴェスパー・マティーニ」。
普通はステェアするマティーニをシェイクするところがボンドスタイルなのだ。このカクテルが映画『カジノロワイヤル』でも狂言回しのように使われる。

若き僕たちは、ボンドにあこがれた。いや、というよりも、ボンドカー・ベントレー(映画ではアストンマーチン)、バハマとかモンテカルロというまだ見ぬ地名や美女に出会うシチュエーション、それに大人の世界を垣間見たカクテルに胸を躍らせたのだった。
僕は、シェーカーやベルモットやビター、松脂の香りのするジン、それも奮発してゴードンなどを買い込み、ステェアしないで氷を入れカチャカチャとシェイクしたりして飲んだものだ。様々なカクテルのレシピも手に入れて得意になった。
つい最近弟と酒の話になったとき、僕は当時自宅にガールフレンドを連れてきて自慢げに飲ませたりしたという。記憶にないそんな出来事やすっかり忘れていたその女性の名を言われて驚いた。さすがにちょっと恥ずかしくなったが・・・

今度の映画では、シェイクだろうとステェアだろうとそんなことどうでもよいと呷るように飲むドライ・マティーニに、追い詰められて余裕のなくなったボンドの心理状態が表現され、思わずにやりとさせられた。このおしゃれは原作を読んでいないと何のことやらわからないだろう。
折角そういう挿話をはさみこみながらも、ちょっぴり残念なのはこの映画が、このふっくらした大人の面白さの表現に成功したとはいえないからだ。

原作は極めてシンプルだ。映画では時代を反映して『テロ組織』に資金供給するとされるが、原作では(旧)『ソ連』と繋がりのあると設定したル・シッフルが資金に枯渇しカジノのバカラでそれを取り戻そうとしている。イギリスの諜報機関Mの率いるM16は、女好きだが賭博も好きなボンドをその対応員として指名し、同僚としてえもいわれぬ美人のヴェスパーと組ませる。
胸が締め付けられるようなカジノでのバカラの戦い、CIAのレイターの助力を得てル・シッフルを破滅させるが、逆襲されてベントレーは鋲をまかれてパンクし破壊される。捉えられて拷問されたりするが、まあ最後はうまくいくのだ。

ヴェスパーと寝たいと(生々しく)言っていたボンドだが、なんと二人はプラトニック的な純愛関係に陥る。二人は結婚したいと悩むもののハッピーエンドにはならない。ショックを受けたボンドは女は道具だ、非情な007になると宣言して話しは終わる。

「カジノロワイヤル」に限らずボンドはスーパマンではなくなんとなく愚痴っぽい悩み多い男として描かれる。元々ボンドは悩み多い男だ。サンダーボール作戦では仕事が与えられなくて酒におぼれるし、ゴールドフィンガーではストレスでハードスモカーになってしまう。
これがボンドを登場させ連続ものにしようと考えたフレミングのボンド感である。

この映画では荒唐無稽で御伽噺に陥っていたシリーズを、原作の原点に戻ってシリアスに捕らえなおそうという取り組み方をしたという。しかし原点に返るといっても映画ではそうとは行かず、やはり今の時代のスピード感溢れるアクションをこなす強靭な男として描かれた。

忘れてならないのは、ヴェスパーのエヴァ・グリーン(フアンには申し訳ないが)ではなく、敵役ル・シッフルのマッツ・ミケルセンだ。なんたって血の涙を流すのだから。
そして言うまでもないのだが、六代目ジェームス・ボンドのダニエル・クレイグには溜息が出てしまう。格好良いのだ。
だから魅力的な新しいボンド映画が生まれた。

息詰まるアクションもそうだが、舞台になったヴェネチアの趣のある建築が海に崩れ落ちる有様に建築家として見ていて唖然とした。そして何より憧れのあのアストンマーチン(DB5は、最新のDBSになったが)の動く姿を見て陶然とする。でもなんとあっという間に壊されて姿を消してしまう。もったいない。もったいないがそこに夢が残る。

さて「ああ面白かった!」と余韻に浸りながら夜の街に出たもののなんとなく物足りなさも感じる。もともとこの本はフレミングが、エンターティメントとして書いたものだから、シリアスなんてないのだ。
荒唐無稽ではなくなったかもしれないが、最近よく観る良質なアクション映画になってしまった。「夢」。それも大人の夢が見たい。人間ボンドの酒を愛し女を愛し、車を愛し、街を、建築を音楽を愛し、そしてそれを楽しむふっくらした(使う言葉が二度目だ)大人の魅力を見たいものだ。それが僕の憧れるスーパーマンだから。