日々・from an architect

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中央郵便局庁舎を残したい 郵政民営化の中で

2006-06-09 18:45:19 | 建築・風景

「東京中央郵便局庁舎」と「大阪中央郵便局庁舎」の保存要望書を、虎ノ門にある日本郵政株式会社に三団体で5月26日に持参し提出した。三団体とは、(社)日本建築学会、(社)日本建築家協会(JIA)、それにDOCOMOMO Japanで、僕はそれぞれに関わっているので、一緒に持参しようと学会事務局やJIAと日程の調整をした。

昨年の7月には、建築学会とDOCOMOMOから、またJIAからは12月に郵政民営化を推進している総務大臣と郵政公社総裁に提出したが、今回の提出は、民営化実施についての実務的な検討を進めるために政府が今年の1月に日本郵政株式会社を設立、様々な検討を行っているからだ。
代表は西川善文氏。三井住友銀行・特別顧問全国銀行協会長もされた方だ。この新しい組織は、郵便局、郵便事業、郵便貯金、簡易保険の各社を持つ持株会社で、それぞれの部署で、郵政関係者だけでなく、広く人材、つまり有識者を集めてその分野での検討をしてるという。

東京中央郵便局はつい最近足場がはずされたが、外壁タイル剥落などの補修のための工事が行われた。この工事のための委員会が招集され、建築歴史学者などが名を連ねてその詳細検討がされたようだ。しかしその様子は公表されず、誰がどのような発言されたのかはわからない。結果としては委員長のリードによって多数の意見に集約されていくが、委員会としての結論のみが場合によっては伝えられることが多く、予定調和的な免罪符にされるような危惧を感じてしまう。また何故この時期にという何か割り切れないものも感じる。

東京中央郵便局は1931年、大阪は8年後の1939年に竣工、郵政を率いた建築家「吉田鉄郎」の代表作、というだけでなく、日本のオフィス建築推移を考える上で欠かせない建築である。いずれもDOCOMOMO100選に選定している。

郵政の前身は明治4年(1871年)後に逓信省になる東京、大阪間で近代郵便制度を起こしたのがはじまりで、郵便事業だけでなく電信事業も担っており、DOCOMOMO100選でも、1921年の岩本録の京都西陣電話局を初め、吉田鉄郎と共に郵政を率いた山田守の熊本逓信病院(1956年)、国方秀男の日比谷電電ビル(1958年)、また吉田鉄郎の後継者といわれた小坂秀雄の外務省庁舎も選定した。つまり郵政の建築陣は優れた建築を世に送り出すことによって日本の建築界に刺激を与え続け、都市の構築に大きな役割を果たしてきたといえる。それこそ正しく建築文化を社会に伝えてきたのだ。

その軌跡を表す建築の存続が危ぶまれてる。というよりかなり危うい。政府は東京と大阪の中央郵便局を高層化して収益を上げるのだと公表している。それも民意を受けてというのだ。公的拝金主義といいたくなる。民意とは何か?それをしゃかりきに持ち上げる有識者(自称?)もいる。

JIAでは僕が保存問題委員長を担った時代、まだ郵政省の時代でもあったが、野田聖子郵政大臣宛にこの東京中央郵便局を、重要文化財或いは国の有形文化財つまり登録文化財に登録するよう要望書を提出した。まだ今日のように改築して高層化すると表明されてはいなかったが、どうも様子がおかしいという風説!が巷に流れていたからだ。

それもそうだったが、この建築の3年後に建てられた「明治生命本館」が重要文化財指定を得たことにもよる。明治生命本館の建築としての価値は揺るがないが、日本建築の歴史を考えたとき、岡田信一郎の明治生命本館とは違うモダニズムの源流を語る上ではむしろ重要な建築であり、ブルーノ・タウトが絶賛したように、とても魅力的な建築だということを広く社会に伝えたかったからだ。
DOCOMOMOに関わっている僕のそれが使命でもあるような気がしている。それより何より僕はこの建築が好きなのだ。

東京中郵の存続を考えるとき幾つかの選択肢がある。
現実的なのは、今丸の内で行われている前面の部分を残して背後を超高層化する案。その場合もオリジナルを改修して残す方法と、どう考えても納得できないのだが、取り壊してレプリカで似非(えせ)再現。
これが可能なら支持したいのだが、全てを残して改修し、容積を他地域に飛ばす案。東京駅は千代田区から中央区の八重洲に飛ばしたし、検討の余地がありそうだ。最悪は誰が何を言おうと意に介さず全てを解体して超高層化してしまうという考え。

要望書を持参したのは、学会から建築歴史意匠委員会委員長の吉田鋼市委員長、JIAから野中茂保存問題委員会委員、DOCOMOMO事務局長の藤岡洋保教授、それに僕だがさて肩書きは!
持参したDOCOMOMO100選展図録やリーフレットを興味深く見ながら、対応してくれた持ち株会社の部長など3名の方々からは様々な質問もされた。藤岡教授がこの二つの建築の歴史的経緯や果たして来た役割を(聞いている僕たちでも心を打たれたが)懇切丁寧に説明をされた。
検討会議の場に我々の意を伝えることを約束をしてくれた。僕たちの想いを真摯に受け止めてもらえたと思う、ことにする。郵政の建築家も当然建築家として同じ想いだと僕は信じているから。

この中郵に関しては昨年の9月8日のブログにも「大阪中央郵便局の品格」と題して書いた。国家の品格よりも早いのだぜ!とちょっと言葉が悪いが言いたい。品格があるのだ。この二つの建築には。
でもこの建築の魅力を、つまりモダニズム建築のすばらしさを市民に伝えるのはなかなか難しいと皆嘆く。しかし僕はそうは思わない。かつてテレビ神奈川と30分の番組を作ったときにこの建築を前にしてスタッフや女性キャスターは、何故?普通の建築じゃあない!と戸惑っていたが、説明を重ね、ネ、良いでしょう、と言っているうちに丸の内では一番いい建築だと言い出した。
それよりこの価値を壊したがる政治家、官僚に伝えることの難しさをどうも感じてしまうのだ。

<写真撮影、2003年1月24日。日本工業倶楽部会館より望む。丸ビルが建ち上がっているが、その後東京中央郵便局の左奥の東京ビルが改築され超高層になった。左手前の東京駅駅舎も3階建てに復元される>