日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

心地よい珈琲店

2006-03-10 16:32:15 | 日々・音楽・BOOK

背の高い生垣に埋まれ込むように置かれた小ぶりな看板に書かれたメニューと、小さな珈琲店蔦の文字に眼をやる。ここでお昼を食べようと、左手の蔦の絡まっている煉瓦で積まれた側壁塀に手を触れ、この建築が「蔦ハウス」と呼ばれるのはこの蔦なのかと一瞬考える。3月の陽は柔らかいがまだ芽を吹いていない。
扉を押してはいると「いらっしゃい」と声が掛かる。中年マスターの笑顔が眼に入る。ああ良いなあ!と途端にうれしくなった。

右手の外に膨らんだ席の、天井まで一杯に取られたガラスからは、芝の張ってある築山のように盛り上がった庭が見え光が降り注いでいる。左手に木の幅広いカウンターがあり、赤黒いローズウッドが背後から奥の狭いコーナーの壁にまで貼られていて粋だ。
珈琲とね、何か食べたいのだけど。コーヒーではなく「珈琲」と書きたくなる雰囲気。ライスはハヤシライスだけ、それにトーストなど、じゃあハヤシライスを。

さてどこに腰掛けようか、右手の広がった明るい席には4人が座れるすわり心地のよさそうな椅子とテーブルが二組あり、中年の女性二人が話しこんでいる。カウンターの手前には常連さんっぽいこれも中年男、ちょっとニヒルな感じでなかなか良い。さてね、此処で良い?と奥の壁にへばりつくように設けられた小さな丸いテーブルと木の椅子席へ眼をやる。お店の全貌(といっても狭いのだが)が見渡せる場所。

カウンターではマスターと格好の良い若い男性が役割分担をして、珈琲を入れたりトーストの準備をしている。時折カウンター席のお客さんと小声で会話をしている。微かに耳を澄まさないと聴き取れないような音量でショパンのプレリュードが流れている。まるで逢坂剛の書く探偵、現代調査研究所の岡坂紳策の行きつけの店のようだ。
ハヤシライスを持ってきたマスターに、此処は「山田守の自邸」だったんですよね、と聞かずもがなのことをいう。ええ、となぜかウインクされたような気がした。

建築家山田守は1894年(明治27年)に生まれ、1966年に没しているが、東大を出た後逓信省に入省し、郵政建築を率いていくことになる。吉田鉄郎とともに建築を通して日本社会に大きな貢献をした。1920年(大正9年)には堀口捨巳や石本喜久治らと分離派を結成、其れが日本のモダニズム建築のスタートとされる。
建築だけでなく御茶ノ水に掛かっている聖橋の設計でも知られ、賛否両論はあるものの京都タワーの設計者としても知られているのだ。
この住宅にも伺えるモダンなスタイルは、どこかに同年代の北欧の建築家アスプルンドを思い起こさせるものがあり、一昨年訪れた旧熊本逓信病院の半円によるファサードなど見ると、ついつい山田守は只者ではないという震撼たる想いにとらわれる。

この珈琲店は勿論住まいが店に改装されているし、庭に広げられた部分は増築されたものだろう。しかし!
珈琲を飲みながら置いてあるMOTOR MAGAZINEの2月号をひろげる。かっこいい車だと眼を奪われたのは、ブガッティ・ヴェイロン16,4.4WD、7993cc、なんと最高速407km。いや其れより驚いたのは価格が1億6300万円だそうだ。フジスピードウェイでのテストランの様子が書かれている。

此処は青山、骨董通りから一本渋谷よりの青山学院に面する通り。この優雅なモンスター情報を眺めるにはふさわしい場所だ。新しくはないが古くもない。なんとも心地良い空間。お客もなんとなくシックな中年が多い。マスターやカウンターのカッコいい若者のさりげないしぐさ。彼らを見て僕の好みを実感する。事務所に近かったら常連さんの一角に居座らせてもらうのに。
どうぞまたいらしてください、というマスターの笑顔がまた良い。

いやあ!となんとも良い気持ちで表に出て歩き出したら、室伏次郎さんと植田実さんにバッタリ。「おやkanematsuさん、青山まで?」と室伏さんも驚いている。「いやね、そこの山田守自邸のお店でね、飯を食ってね」「そうなの!植田さんとちょっと本の相談があってね」ではではと手をふって分かれる。
室伏さんの黒のハンチングと黒一色のスタイルはこのなんとなく晴れやかな街にマッチング。植田さんの茶のセーターと茶のオーバーオールとの好一対だ。

これから今井兼次の根津美術館、久しぶりに山下和正のフロム・ファーストビルを覗くつもり、おや、その先に例のプラダがあるなあ。何か華やかな気持ちになって足を踏み出した。