日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

棟方志功の絵手紙

2006-03-19 12:51:40 | 日々・音楽・BOOK

Y子さんと居酒屋へ。それというのも伊丹由宇さんの「東京居酒屋はしご酒」を読んだからだ。
電話のときにY子さんに面白いよといったら数日して「読んだ、面白かった」と電話があった。感動した!とは言わなかったがKOIZUMI調だ。
`今夜の一軒が見つかる・源泉166軒`と副題にある光文社新書の伊丹由宇文体は飄逸で、今夜も「ああ今日はいい酒だった」と満月に微笑みかけるような店で飲みたいものだとある。
166軒のうちで僕の行ったことのある店は2軒しかない。居酒屋人間の僕としては何たることかと思ったが、同じ居酒屋女のY子さんにしても2軒だそうだ。
話がはずんで「居酒屋巡り」をやろうということになった。まずは僕の好きな神田の`みますや`から。

みますやの項、こう書いてある。
「創業明治38(1905)年という老舗中の老舗である。長い年月の間には、色んな人達が、この店で数え切れないほどの人生の憂さを、悲しみを、辛さを、悔しさを晴らしてきたのだろう」。由宇さんはこの日に「歯を食い縛らなければ耐えられないような出来事があった」そうで、いつになく神妙だ。でも「心の鬱屈を隠し、馬鹿話に興じると、酒なくて何の己が人生、とおもう」となり、「冬来たりなば春唐辛子、朝飯に鮭(サーモン)がついて、早起きは三文の得。どうだ、ジョーク(19歳)やハタチで言えるジョークじゃねぞってんだ」となる。「杯を重ねるに連れ、昼間の屈辱感などチッポケなものに思えてきた」

うーん!これぞ哲学と思うが、愛妻に言ったら多分`あんたに耐えられない出来事なんぞ起こるの?`と言われそうだ。まあね、僕はノー天気だからなあ!
「あすよりの 後の(のちの)よすがはいざ知らず
今日の一日(ひとひ)は 酔いにけらしも」(良寛)の一句も記されている。

さてね。Y子さんとは何を話したか。いやあ、名物どじょうの丸煮をつつきながらの話に、気がついたら終電間近だった。旅話から小三治師匠話へと飛び回り、志功話で盛り上がったことは覚えている。棟方志功の手紙があるというのだ。

「民藝」10月号(第634号)に、「今ヨリ ナキニ」柳宗悦直筆原稿による「心偈」新考察、を書き、`小池邦夫絵手紙美術館`発行の月報「おしのび通信」に、手紙から読む棟方志功、を彼女は書いた。そのY子さんがその小池邦夫先生と共編で「棟方志功の絵手紙」と言う本を出版した。

年賀状に「ライフワークが見つかった」と書いてきたが、僕は若いのにライフワークとはね!と走り書きを送ったものだが、この絵手紙本を一読し、これはライフワークに値する、もしかしたら語りつくされてきた志功研究が一変するのではないかと思った。
Y子さんとは誰あろう、棟方板画館学芸員でもあり、館の展示作品解説を書いている志功のお孫さん石井頼子さんなのです。

小池先生は「志功さんについては書きたいことが一杯あって・・・」と書き出されているが、僕だって実は書きたいし、書いておかなくてはいけないことが結構あるのだ。若き日手を上げて、鎌倉山の棟方邸の工事をやったときに取り壊した、こじんまりした旧宅の`はばかり`の漆喰壁に書きなぐってあった勢いに満ちた壁絵を、今だったらなんとしても残したのにとか。`みますや`で、歯軋りが出そうなそんな繰言をつらつらと述べたんだっけ。あんまりいい酒ではないなあ。

「棟方志功は手紙魔である」と頼子さんは書き始める。
「どうしていますか、今こんな作品を作っています。会いたい思いで一杯です」と、背中を丸め、机へへばりつくようにして書く。しかし家のもの達は皆、悪化する一方の棟方の眼を気づかっていた。特に祖母チヤはこうと決めたらてこでも動かない性分で、「パパの眼は仕事をするためだけの眼なんだから、本を読んだり、ましてや手紙なんか書いたりしてはいけません!」と言うのが持論で、かくして、夫婦喧嘩は手紙から始まる。

僕は志功先生にも気に入られたが、何よりチヤ夫人に可愛がられた。だからこの経緯は手に取るようにわかり、チヤ夫人と先生、お二人のなんともいいようのないやりとりが、目の前に彷彿と浮かび上がってくるのだ。

さて頼子さんは、たやすいとおもった絵の入った手紙を見つけることは困難を極めた、という。
棟方にとって手紙はあくまで通信手段。専門であるところの絵画とは一線を画するものだった、と書き記している。

この本は志功の絵手紙を全てカラーで収録していて、そのどれもが志功作品なのだ。書き連ねられた文字も紐解いていくとこれは!と溜息が出るが、なにより絵と筆による取り合わせに絶句する。
手紙ではあっても志功の倭絵なのだ。
とはいえやはり文字にも眼がいく。文字も絵なのだ。シロタ・ベアテ・ゴードンさんへの英文字の手紙があり、英語かと思ったらローマ字による日本語で、僕でも読める。62KEIと書いて、文字の下に、漢字で六十二景と振り仮名のように書いてある。WAIFUの下にはCHIYAKOとある。チヤ夫人は自分ではチヤコと言っていたのだ。なんとも微笑ましい。

頼子さんは小論考をこう締めくくる。
棟方志功は「手紙魔」である。と、最初に書いた言葉は撤回しよう。棟方志功は「絵描き」であると同時に、見事な「手紙書き」だった。

次の「居酒屋巡り」は、Y子さんの気に入っている新宿のお店に行くことになっている。
話題は絵手紙だろうなあ。
由宇さんは言う。そろそろ腹がヘリコプター。今夜も小さなトキメキを胸に居酒屋へ出かけよう。
         <棟方志功の絵手紙 二玄社刊 2625円>