日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

東大で何が起きているか!

2005-10-29 11:49:41 | 建築・風景

登録文化財が、安田講堂を第一号として数棟の東大本郷キャンパスの建築でスタートしたことは良く知られているが、まさしく本郷キャンパスは近代建築の宝庫と言ってもいい。
明治の初期、建築学科の前身、造形学科の教師だったコンドルによって東京大学計画が立案され、それを背景として次々と校舎が創られていった。しかし大正12年(1924)に起きた関東大震災で焼却し、現在のキャンパスの骨格は、後に東大総長をも務め、建築学科を率いた内田祥三博士による全体計画と、博士の設計したゴシック的な建築群によって構成されている。
構内の道路や広場、緑地が適切に計画され、時にはドライエリアを造って建物を半階ほど土中にもぐらせて建築の高さの調和をとり、70年を経た現在スクラッチタイルによる外壁と育った樹木とがうまく溶け込み、古さを感じさせない此処にしかない風景を形作っている。

僕はこのキャンパスが好きだ。
シンポジウム等の打ち合わせのため建築学科を訪ねたりするときには、時間があればぶらぶらと散策する。時折このキャンパスの面白さを味わうために、建築家や親しいグループに声をかけ、見学ツアーを組み、歩いたりもする。

このキャンパスは、第二次世界大戦の影響もほとんど受けず、50年代からの高度成長期の施設の需要に応えるために、丹下健三や大谷幸夫などが広場や道路に増築する試みがなされた。内田博士の設計した施設群との調和を取るために、軸線を守りながらモダニズム全盛の中様々な工夫がなされて、左程違和感のないキャンパスが継承されていった。特に中心部に建てられた建築は、打ち放しのコンクリートによる造形やタイルの色彩や質感と、内田博士の建築との調和に苦心惨憺した有様も感じられ、今見るとその工夫が偲ばれ何処か微笑ましくさえ思えてくる。時との戦いは大変だ。

10月15日JIA建築家写真倶楽部の面々と、この本郷キャンパスを歩き撮影をした。この企画を担当し、事前に調査をした建築家Aさんの思惑はなかなか興味深い。
農学部正門の右手に嘗て東大教授だった建築家香山壽夫によって建てられた弥生講堂の前で集合、スクラッチタイルの建築との対比を見た後、本郷地区の正門を入る。コンドル像に敬意を評した後、工学部一号館、2号館あたりを散策しながら医学部を抜け、弥生門の前に建つ立原道造記念館を覗くというコースである。
 
工学部一号館は、内田祥三の建築に後に弥生講堂を設計した香山壽夫が1996年に増改修し、その卓越した造形感覚によって日の字型の光庭を製図室にしたり、北側の増築によって外壁をそのまま内部として見せるなど、魅力的な空間構成を構築した。この新旧を対峙させる手法は話題となり、歴史的建築の再生手法の成功例として多くの建築家の支持を受けることになる。僕も此処に来るたびに心が騒ぎ、この撮影会でも参加した日大建築写真研究会の学生にこの空間の魅力のポイントなど能書きを言ったものだが、しかし・・・・

<東大で何が起きているか!>
8号館に来ておやおやと思った。耐震補強改修にかこつけて創られたモノトーンの鋼製ファサード。やりたかったんじゃないの!というのが僕たちの感想。
そして工学部2号館に来て愕然とした。
この再生?を担当した建築家は「東京大学キャンパス案内」(東京大学出版会発行)でこう言っている。
『2号館は震災前に設計された数少ない校舎の一つで、震災後の震災後の一時期、大学本部が置かれるなど、大学の重要な記憶をとどめるとともに、キャンパスの顔ともいうべき大講堂前広場を八十年にわたって守り続けてきた。内田祥三自身にとっても、構内で始めて手がけたこの作品が震災の被害を受けなかったため、その後の復興計画を任されることになった記念すべき建築である』
2号館は内田の原点である、と言うこの建築家が保存再生をし、『足下の歴史的環境を守りながら(中略)新旧のデザインがそれぞれの場で交錯し、応答を重ねるようデザインし、無造作な改変を受けていた部分を徹底的に裸形に戻し、明るく清透な旧状を回復した』と述べている。
 
僕は建築を擬人化して苦しんでいるとか、喜んでいるとは言いたくないが、2号館(上記写真参照)を見てついつい押し潰されそうで、もがきながらも諦念せざるを得ず、粛然と建っているといいたくなった。設計者は高層の墨絵のようなモノクロームの建築を創ることによって地面(培ってきた広場)を確保して時空に開かれた場をつくった、という。だがこの手法で「内田建築を保存再生した」と言いきれるのだろうか。内田祥三が残した広場・道、そして欠かせない建築と風景。時に敬意を払うということと、創る難しさをここでも感じる。

ところで赤門と正門の間に建つ四角いカーテンウォール・ガラス多用の法学政治学系教育棟の「時への敬意」は!どこへ行ったのたのだろうか?言い方はよくないが現在(いま)の手法でただ建っているだけだ。この建築がシャープで存在感があるだけに気になってきた。こういう風に創りたかったのだろうが・・・或いは誰かが創らせたのだろうが・・・

大谷幸夫の呻吟した建築家魂は何処へいってしまったのか!

樹木をうまく取り込んでいて僕の好きな弥生講堂でさえ、同行した学生は違和感があるという。いまの建築にしか興味のなかった若い学生の言うことに、実は僕は驚いた。Aさんが僕たちに見せたかったのはこれだったのか!
つくづく思うのだが、評価を得た香山壽夫が設計した一連の建築が、東大本郷キャンパスを培ってきた『時の箍(たが)』を、はずしてしまったとは言えないか。2号館はさらに何をやってもいいという、何か歴史に対する免罪符(手法の前例として)を与えてしまうことにならないか。

時は思わぬ功罪をなす。踏みとどまって時間と建築の関わりを真摯に考えてみたいと、東大OBでもない僕でも、ついつい余計なことを言いたくなる。でもまあ現代では、東大キャンパスとはいえども、日本の都市の縮図であることには違いない、ということになるのか・・・・