日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

新春、晴天の日曜日に・グレゴリー・ペックを!

2018-01-15 15:13:09 | 建築・風景

TVでは、嘗て観たことのあるモノクロ(白黒)による「ナバロンの要塞」が放映されている。

懐かしき`グレゴリ-・ペック`が何とも格好よく、アンソニー・クインなど懐かしき名優等が登場する。バックの音楽はこれもまた懐かしきディミトリー・チオムキンの作。でも俳優の声が吹き替えで、グレゴリ-・ペックの生の声が聞けないのが残念でもあり興をそぐ。製作されたのは1961年、おそらく僕が学生時代に映画館で観たなんと56年も前の作品。それでも話しの進め方がモタモタしていないのにちょっと驚いた。

 それにしても、ここに登場する俳優の様は、グレゴリ-・ペックは無論のこと、今すぐそこにいるようで時を経ても、人の容貌とその味わいは、さして換わらないものだと得心する。いい(そして味わい深い)男は・・・と付記したくなったが、僕を含めて我ら庶民は如何なものか?

 と、ここまで書いてきて急いで出かけなくてはいけなくなった。運転免許証更新のための、なんと!「認知機能検査・高齢者講習」の受講である。さてさて、車の教習所から帰宅して、軽く一杯やりながら妻君の心尽くし(だよね!)の夕食を・・・

 ところでグレゴリ-・ペック。オードリー・ヘップバーンと競演した「ローマの休日」が深く僕の心に留まっているが、このナバロンの要塞のグレゴリ-・ペックもまた味わい深い。いい男はやはり時を越えていい男なのだ。では俺は!なんて、無粋なことをちょっぴり付け足したくなった!           

                                           <2018・1・14起稿>  写真:枯れ枝が魅力的な都庁の通り

 

 


新春の一齣:新宿

2018-01-13 14:47:59 | 建築・風景

 晴天が続く此の新春、新宿の事務所への初出は1月5日。郵便受けから賀状を取り、拝読する。自宅へ送って下さる方も沢山いて、そのどちらも嬉しいが、久しく逢っていない友人、知人からのを拝読してホッとし、こないとどうしているのだろうかとちょっぴりふあんになる。何はともあれ新しい年が始まった。今年もよろしくお願いします!


晩秋の北海道で(1)札幌市立大学での講義

2017-11-23 17:59:07 | 建築・風景

此の秋の訪札、例年の札幌市立大学の羽深久夫教授研究室の院生への講義・建築談話に併せて、午前中に組まれている羽深教授の学部生(2年生)への講義の時間も拝借して、学生と建築を語り合いたいと思い立った。 

教材として、例年使っている鎌倉の近代美術館で収録した故鈴木博之東大教授とやり取りした建築談話「日本のモダン建築100選:20世紀の文化遺産」をまず観てもらう。このDVDは2004年の収録、時を経たので大丈夫かと改めて検索してみたが、建築の抱える問題・僕達が常に考察しなくてはいけないテーマの原点が此処にあるような気がし、羽深教授の同意を得て今年もまた、と言うことになった。 

しかし学部生の反応はいまいち。取りあげた建築と登場いただいている建築家が(その時代を率いてきたとは言え故人)東京に在住、そしてその近郊に建てた建築、東孝光の自邸「塔の家」や銀座の「三愛ドリームセンター」などなど。そして旧吉田五十八邸。その全てに建てた建築家の想いと時代が内在しているのだが!とは言え、学部生は自身の持っている課題とはつながらないのかもしれない。しかし院生とのやり取りは、彼ら自身が取り組んでいる課題にも関わっているようで、彼らとのやり取りは興味深いものになった。院生の論文が纏まったら送付してくれることになった。 

 写真ー札幌市大の渡り廊下


軽井沢の KENSANSO を訪ねて!

2017-10-26 16:25:18 | 建築・風景

軽井沢、長倉・坂下の傾斜のある林間地に「KENSANSO」と名付けた山荘が建っている。

つい先週一泊した。訪れたのは数年ぶり、いや、7,8年ほど経っただろうか・・・この山荘の主は僕の従兄(現在は会長)の経営する五反田に本社があり、日本各地に支店や出張所を持つ中小企業。だがKENSANSOのKENは会長の名前の冒頭三文字を取り込んだもの、おしゃれなネーミングだと改めて思う。

想い起こすと嘗て(若き日・苦笑!)JIA(日本建築家協会)の大会が軽井沢近郊で行われ、ふと思いたって僕の設計によって建てた山荘が此の近くにあるよ!と親しい建築家に伝えたところ、それじゃぁ!と二十数名の同僚が此の山荘に集まった。室内を一通り観た後誰かが言いだして、肉や野菜やワインなどを買出しし、テラスの隅っこのブロックで作った炉で薪を炊いてバーベキュー!、それこそワイワイとしゃべくり回して楽しんだ。へ―!建築家ってこういう人種なのだと嬉しくなったことを思い起こす。その時の建築仲間たち、元気かな!などとふと思う。

 改めて「KENSANSO」の設計図を観ると、1983年7月とあるので、JIAメンバーが来てくれたのはその次の年か、或いはその翌年。この山荘を建てたことによって僕は建築家としてやっていけると内々確信をしたのではないかとふと思った。洋間の廻縁の繊細な納まり、引手や蝶番などの建具金物を観ながら、そうか、この金物類は、著名建築家に紹介して貰った赤坂にあった建築金物を扱う店で手に入れたのだなどと、瞬時に三十数年前の若き日の建築への、我がこだわりが思い起こされた。

久し振りに観た懐かしき我が建築、案内してくれた総務の部長や担当者と車の中での余話もまた面白いものだった。メンテナンスをするために、親しい友人から地元の建築会社を紹介してもらったが、なかなかの人、それもまたうれしい事だった。さて、仕事(メンテナンス)はこれからだ!とふと思う。

 


此の秋の一日:四国鬼北町への想いを・・・・・

2017-10-15 12:37:02 | 建築・風景

梅雨時のような小雨降る連休(土・日曜日)、庁舎の保存改修の委員を担った四国・愛媛県鬼北町に想いを寄せながらの2日間になった。 

僕と共に同じく委員を担ったA・レーモンドの設計による「鬼北町庁舎(旧広見町庁舎)」の保存改修に携わった愛媛・砥部町の建築家`和田耕一′から資料が送付された。此の庁舎の保存改修を公式文書として取りまとめることになったので、起稿した文書のチェックをするようにとのこと。資料をめくると、その公式文書の冒頭に僕の書いた`コラムが`撮った写真と共に記載されており、一瞬目を見開いた。ちょっと大袈裟だが、ホントに冒頭記載でいいのかと驚嘆したと言い換えてもいい。 

ともあれ、その経緯を振り返ってみると、此の庁舎との出会いと共に、数多くの「人」との巡りあいがあったこことに,改めて思いを馳せることになった。ことに此の庁舎の設計に関わることになったA・レーモンド事務所の中川洋総務部長との出会いは一本の電話。詳細はいずれ別枠でと思うものの、之が事の発端。町長や役場に在籍する副町長、そして上記した和田・各委員との会話・共感・共鳴。その経緯はいずれどこかで!                           

                                     <写真、中庭から観る庁舎。右手には、木造による増築棟 :文中敬称略>

 

 


夏の日に:その一時に、沖縄と築地

2017-07-31 13:01:47 | 建築・風景

今日は7月の末、友引でもある。明日から八月、葉月と言うそうな!晴天、猛暑。新宿中央公園の蝉、ここを先途と・・・鳴き喚く・・・

先週末、建築雑誌に連載している「建築家模様」の原稿UP。先々週、長野に赴いて二人の建築家にヒヤリング、建てた建築に身を浸して建築家冥利に尽きる!との一言を内に秘めた。一人を起稿してしまうと肩の力が抜けてさて次を、と思いながらもふと沖縄のこの夏の様を聞きたくなって電話した。ところが目指した建築家根路銘安史、不在。扨ても(さても)と新しい建築構築にトライする若き(と言ってもそれなりの歳ではある)建築家の仕業にふと敬意を表したくなった。

この一文を書き込んでいるPCの左手につつましく立てかけてある白木のフレームの中のカレンダー。聖クララ教会でのコンサートの写真、プレゼントしてくれた盟友新川清則の顔をふと想い起し1月・2月の写真を見遣る。右端には彼が、なんと僕は左端で13人の友人たちと共に微笑んでいる。背の高い根路銘は右奥で・・・更に、3,4月のには聖クララで挨拶を述べている僕の笑顔が・・・この写真はどうもパッとしないが、我が妻君の一言、これがあんたよ!とさらりと躱(かわ)されたこを思い出した。

馬鹿を言っているうちに昼がくる。午後からある新聞の記者が来所、築地市場問題に関してのヒヤリングとのこと。それはさておき、妻君が持ってきた`海苔弁当`が今日の昼飯、この一文を取りまとめてから味わうことにした。税込398円也!

<写真:新宿中央公園から見やる都庁庁舎>

 

 

 


信州:松本と飯田詣で得たもの:70年前の光景と!

2017-07-17 16:24:33 | 建築・風景

先週の週日、長野県松本市にオフィスを持つ川上恵一さんと、飯田市に拠点を築いた松下重雄さんと言う地方都市に根を下ろして建築と取り組んでいる二人の建築家に、建てた建築を案内してもらって写真を撮り、ヒヤリングをしてきた。

その折の様相は、`建築ジャーナル誌(月刊)`に連載し5年目に入っている「建築家模様」に記載させて戴く。おそらく、自ずと`建築と風土`という命題を考察する事になり、僕自身の軌跡を振り返ることになるだろう。 

JIA(日本建築家協会)での長いお付き合いになった川上さんは丁度一回り若いものの同じ辰年、改めてそんなことを確認することにもなってお互い、ホーと溜息をついた。

初めてお会いする松下さんは少し若いがほぼ同年齢、現役バリバリで建築家としての実務に全うすると言うそのパワーと建築家としてのスタンスに、`そうか!`と思わず瞑目することになった。 

松本市は山地を周辺に望むとしても信州平野といってもいい平坦地、ところが飯田は天竜川沿いの町並みの背後には、山脈が迫る盆地、そしてその傾斜地に点在する家屋、ふと小学生時代に故あって過ごした、両側に山地を望むその真ん中に、下津深江川が流れている熊本県天草の下田村(当時)を想い起こすことになった。 

異なるのは、バラックだった我が家からの、目の前の天草灘の先に長崎の野母半島を見遣る光景、そして満天の星と天の川!当時は街頭もなかったので浮かび上がるその見事な光景が、七十数年前から僕の頭にこびりついている。


神奈川県民ホールから大桟橋ふ頭へ

2017-04-21 22:24:07 | 建築・風景

横浜市県民ホールギャラリーで開催されている、墨神会水墨画全国公募展に、妻君と一緒に出かけた。娘が出展しているし、優秀賞を受賞したからでもある。その後、久し振りに横浜港・大桟橋ふ頭などを歩き廻わり、ふ頭のさまと横浜港の光景を楽しんだ。

そして横浜貿易会館の一角にあるレストランで、窓から開港広場を歩いていく人たちを見ながらの遅い昼食を味わう。週末とは言え、金曜日、ウイークデイなのに大勢の人々がのんびりと歩いている。食事に満喫し、ブラ歩きして関内駅に向かいながら、妻君と語り合って共感したのは、此処は、都心とは異なる港町の風情、味わい深い町並みだなあ!ということだった。

明日から僕は例年の仙台行き。森一郎東北大学教授と写真家小岩勉さんと共に、3,11の後の閖上の様を確認し、女川を訪ねる。

<写真:大桟橋埠頭の地階からの通路>

 

 


晴れ日和:車窓から見た人気(ひとけ)が感じ取れない建物の群れ

2017-03-29 17:17:40 | 建築・風景
日差しはそれなりに強い。とは言え、小田急線厚木駅のプラットホームから見る大山、その左手には真っ白な富士山の裾野の断片が光り輝いている。
その右手の背後に連なる山脈、おそらく蛭ケ岳などの丹沢山塊のチラホラと雪文様が宿る朝の光景が、昨日とは違って今朝はぼんやりとしている。

三月も末、晴天とは言えない茫漠とした空。
でもなぜか建物の影はしっかりとその地や隣接する建物に影を落とす。こういう光景も現れるのだと思いながら、がら空きの各駅停車新宿行きの座席に腰かけてニーチェの「愉しい学問」第3巻148番を開く。タイトルはこうだ。”宗教改革はどこで起こるか“
そしてこんな一文に思わずにやりとしてしまう。

‥…ドイツのキリスト教文化は、あたかも百重にも絢爛と花開こうとしていた。― わずかにあと一晩足りなかった。ちょうどその晩、嵐がやってきて、一切が終わってしまった…。

町田でロマンスカーに乗り換える。多摩川を通り過ぎると東京都。でも今朝の車窓から見る建物が埋れ込まれた初春の光景、人気(ひとけ)を感じ取れなくて異様な大平野を駆け抜けていくような錯覚(?)に襲われ、我、大丈夫かと思ったものだ。

新春の一齣:建築家・槇文彦の一文から!

2017-01-09 13:36:31 | 建築・風景
自宅のテーブルの上に、「モダニズムの建築と素材について」(第23回タジマ建築セミナー参考資料)と表記した建築家槇文彦さんの小冊子(10ページ)が置いてある。1999年8月26日経団連会館での講演会の資料で、「記憶の形象・都市と建築との間で」と題した槇さんの著書(1999年9月10第1刷発行・ちくま学芸文庫刊)の上巻からの抜き刷りである。
年末の大掃除をした自宅の書棚から見つけ、年の初めに、僕自身の`ある種の原点`のようなものを再考してみようかと思って取り出して大晦日に置いたのだ。

この槇さんの2冊による著作(文庫本)が17年前にもなるのか!と感慨を覚えるのは、僕が進行役を担って槇さんにお話戴いた1999年2月19日に行ったDOCOMOMO Japanのセミナーで、後半の僕とのやり取りの冒頭で、この文庫版による著書に触れて「愛読しています」と一言述べたら、槇さんがことのほか喜んで下さったことだ。

DOCOMOMO Japanは2000年のブラジリアの大会で加盟承認を得たが、その前年に本部からの要請があり、代表を担うことになる鈴木博之東大教授(当時)や、初代事務局長となる藤岡洋保東京工業大学教授と相談をしてメンバー構成をし、僕がまとめ役となる幹事長となってDOCOMOMO Japanを創設して、20選を選定した。

さらに選定したのだからと、鎌倉の近代美術館の太田泰人学芸員(当時)と打ち合わせをして、新館の展示を具体化し、さらに創設に尽力して下さった林昌二さんに呼ばれて日建設計に赴いたところ、大手5社の役員のお一人が鎮座されていての資金調達の相談だった。
何はともあれ大手5社+1社からの資金援助を受けることが出来て、更に僕自身、建築家としての仕事に真摯に取り組んでいて、あるゼネコンから多額の寄付を受けて、ブラジリアでの大会の前に鎌倉近美新館で20選展までやってしまったことと、更にその前に、前述した槇さんの講演会を開催したことなどと共に、妙に懐かしく思い出している。

そこには亡くなられた初代代表を担った鈴木博之さんや、上記20選展でキュレーターを担い後に鈴木さんの後継者として、代表を担うことになった松隈洋京都工芸繊維大学教授(現)の姿がある。

晴天に恵まれた新春のささやかな一齣だが、槇さんのこの講演会の冊子の冒頭に書かれた、下記短い一文・メッセージに惹き付けられた。<共感し、抜き書きを下記に記す>

『・・・すぐれた建築作品にいえることは、それらの作品がつくられた時代に生きた建築家、あるいは建築家以外の人々が、無意識の上で潜在的に表現したいと思っていながら顕在化し得なかった「何者」かを一撃のもとに露にする行為にほかならない。・・・そして建築の創造が発明でなく、発見である・・・と続け・・・建築が・・想像をこえたものを追求することではなく、時代が共有する想像、あるいは幻想にこたえる文化的行為であるからである』と閉める。

<写真2009年2月19日 DOCOMOMOセミナーにて>