光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

原始の風景、その二

2010-02-04 18:58:51 | 散策
  原始とかいうと、人の生、あるいは人の死とかいう場面がまず第一に思い浮かんで、
それから、喜怒哀楽がそれに加わるかどうか、がというのが、もう一つの書くことの出来
る条件のような気がして、例えば、
  最近と言っていいと思う、父の死の前後の短い時間の出来事も、偶然か幸いか、体験し
て、死の当日、母と父に会いに病院へとゆき、そして父は、恐らく、その9時間後辺りにで
亡くなったと思われる。父の死顔を見たとき、それは最早父ではなく、ろう人形で、まだ
生きていて、しかし死が迫っているその顔は赤く色付いて、それから目はテープで閉じら
れていて、熱があったが、氷枕もなく、ごく少量の点滴だけが、血管につながっていた。
しかし、もう死んでいて生きている、そうゆう状況は、やはり死というものと比較すると
違いが多すぎた。これはしかし、これについて今は書くことはない。あるいは少し書いて、
過去にそれがある。それより、同じ原始の風景と言えるかどうかわからないがこの大雪と
いうのも、冬の風物詩であり、ある人はこの雪を楽しんでいるようで、もっと降れとい
う考えのようだし、雪の降るところにいない人は、雪のことはさほど興味はなく、それ以外
の話題が、それこそハチキレンばかりにあるようだから、これも原始かどうかわからない
が、が、しかし大雪というのは、雪の降るところで生まれ育った人であれ、そうでない人
であれ、歓迎する人がいて、もういい加減に雪は止んでくれ、あるいはもう今年の雪は
降らなくていいと思う人もいるはずだから、かなり原始に近いのではないか、と思う。

  で、もう少し時代を遡ると、何と大雪はもっとひどく、例えば50cmとか、70cmとかで
はなかったようだ。私が経験したというのは、といっても短い時間だが、それこそ、1mは
ゆうにある、そうゆう「豪雪」であって、それに触れたこともあるが、これは一つの重要な
条件があって、雪国に普段住んでいない私が、例えば雪の降る年末に帰省してということが
出来た、ということがないと、それはあり得ない。雪が多少は降っても、当時は国鉄で
あったけれど、またいつの日か、鉄道が国有化されるときがあるかも知れず、しかしそれは
措いておいて、雪というので、例えば列車の中に閉じ込められた、という経験はないので
ある。一度似たそうゆうのがあった。それは台風で、すでに特急『白山』は高崎から先まで
いった。すでに関東平野に入っていて、河川の水位の急上昇というのが観測されて、次の
倉賀野で、電車は止まった。これ一回しか電車に泊まったことはない。

  雪は今年は北陸を中心に降っているようで、しかも降るところというのも平均化はされ
ておらずお隣の金沢とかでは雪が少ないようで、それゆえやたら富山の雪が多く感じられ
て、なんだか損をしていると思う。で、今回だと、新潟の上越辺りを中心にひどく雪がある
ようで、それゆえか越後湯沢から先が、雪でということらしく、たしかに上越地域の積雪
の量は多いようで、これは昔ながらだが、考えてみると、今はもう走らない、高崎・直江津間
を走る信越本線の特急なり、また寝台特急なりは、寝台は急行の能登もあったが、どちらかは、
上越線経由があったかも、そうゆう電車、列車はあまり雪で止まることはなく、よく走り
続けたものだと、いまさらながら思う。昔の方が雪は多く、例えば上野を出て、高崎までは
なにごともない、冬晴れの関東平野を走り、軽井沢辺りから、その前から浅間は雪炎か、
本物の噴煙を上げていて、真っ白だった、少し雪が見えると、ゾクゾクとし、また長野を
越える辺りから極めて雪が多く、深くなると、この高原地帯を抜けるまでに、何度か
ひやひやした記憶があるが、直江津に出ると、今度は日本海の荒波が待っていた。

  今は割りと早めに雪がひどいと、あるいは風がひどいと、長距離を走る特急列車は、
運休を決めるようで、これはこれで専門家の判断があるのだろうから、しょうがない。また
ローカルの、地域の足である、普通電車もよく止まってしまう。これだと、冬にそれを
利用する場合は、なんども運休なり、運転中で、途中で立ち往生というものを経験しない
といけなく、なんだか雪山へ登る覚悟がいる感じで、さすがにその線路と同じ距離を歩い
て帰るということは出来ない。今昔の違いは、どうしようもないが、雪の年末の、豪雪の
ときの富山駅というのは、やっぱりこれはすごかった。少し前に、ローカルのTVで、このとき
の雪の状況が流れたときがあって、それを見ると除雪された雪の高さは人の背よりも高い。
思い出すものより、ひどい雪があった。
  毎度書いているが、その豪雪のときに特急『白山』は止まらずしかし少し遅れて、
富山駅に着いたが、はたしてその先どのようにして帰ったか、今は思い出せない。短靴で
水浸しの中、車道を歩いた。それが当たり前で、耐えられて、今は到底そんなことは出来
ない。


  軽めの、お天気の推移というもの。




  晴れ上がるときもある。




  きのうもそうだったが、晴れて雪が溶けるというのがこの2、3年の冬で、
  これだけ大雪になるとは、想像だにしてなかった。晴れて、雪は溶ける
  はずだった。




  きれいなのだけど。零下の気温。




  写真は、過去のもので、順々に昔に帰れる。少し前、雪はちらついて
  降り積もる雪も溶け始める。




  でも、まだまだたくさんに雪が木に残っていて、落ちるところは地面だ
  が、その雪の量がまた多いのである。




  これを見ると、げんなりとする。明日またこのようなことになるのか。




  朝である。向こうが見えない。




  雪は、きのうの夜かなり降って、積雪は一気に増えた。朝も吹雪いていて
  視界はまったくなかった。



雪こそものの上手なれ

2010-02-04 15:51:52 | 散策
  雪の様子は、篭っているとわからないもので、
  しかしやっぱりびっくりしたー。
  なんだこりゃ、この雪の多さは、といった感じで
  呆れて、最後には、言葉もない。
  黙りこんでしまう。
  それくらい、多い。50cmくらいある、というところ
  もありそうで、早くも降参。
  作戦も何も、ない。お祈りするしかない。

  それで、多少は辺りを歩くくらいは、出来そうに
  なるので、ちょいと様子、うちより外側を見て来た。
  物好きなのである。




  なるほどねー、溶けるところは、さほど積もってはいない。




  こうなると、多いなーというのがわかる。一晩で、これだけ
  降った。プラス、朝の雪か。




  毎度の、サザンカ。




  きれいだけどねー。傘は、これまた毎度のトレードマーク。




  雪、多いねー。ひとりごと。ネコでもいるかな。
  それにしちゃーこの傘、ちょっときたなく写るなー。




  お寺の門の上にも、今日は雪がある。




  鐘撞き台の上の瓦にも雪があるなー。



 
  雪囲い、大活躍。



寒いのと、ボロボロなのと

2010-02-04 06:44:19 | 散策


  頭だけ、色は春色。
  淡い、紫色は太陽の光に透けて見える。



  朝のお天気は、雪か、曇りか、晴れ間の多いやっぱり曇り。まだ暗く正確にわからない。雪は溶けているところもあって、少ないところと多いところがありそうで、30cm前後としておいて、これより少ないところが大部分で、多いところもあるかも。見た感じ、暗いままで、さほど圧迫感はない。地面の雪のほうが、多く感じる。風はほとんどなし。

  アメダスの6時の値はペケ印が多いので、5時を書くと、気温は、マイナスで1.1℃。気圧は1018.7hPa、湿度は94%。積雪深は、34cm。夜にかなりの降雪。

  雪のことは今は忘れたほうが、精神衛生上好ましく、悩んでも仕方ない。でも寒いのは、なんとかしないといけない。寒くて目が覚めるというのも悲しいもの。眠るときは少し布団は暖かい。コタツを載せている。布団はまーペッチャンコだが、ふわふわの布団というのは、今はいらない。眠る前に、パジャマなどをこの中に入れておく。布団も暖まる。パジャマも。そこで、
  もう眠るというときさっさと着替えて、さっとコタツをはずすというか、移動して、頭から布団を被る。これは至福のとき。しかし、

  着替えでもたついたり、またコタツのコードの抜き忘れとかあって、もたつくとどんどん布団も体も冷えてくる。これはまずい。そうゆうことがないようにしている。

  しかし何ごとにも例外がある。きのうは久しぶりに、張り付ける使い捨てのカイロを腰の辺りに当たるよう、シャツに張り付けた。シャツがいけなかった。これは年代もので、もういい加減「ぼろ」のものだが、まだ肘は抜けていない。それにコールテンで少し厚め。冬にはいい。それで、くっ付いたカイロ。なかなか、取れない。仕方なく力を入れると、どうなったか。コールテンの「ぼろ」のシャツの糸がくっ付いてなんと切れて、シャツの糸まで取れた。そこに、カイロに、切れて短い、しかし長さ4mmくらいで、そろっている糸がたくさん残った。これを見て、まー何たること、と感激したから、
  それで、体も布団も十分に冷え切った。いろいろあるもの。