光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

雪の降る音

2010-02-03 18:51:33 | 散策
  雪が降るとき、というのは、大体風がその前に吹く。気圧の関係とかがあるし、冷た
い空気が暖かい空気が交じり合う。そうゆうときにも風が生じる。同じ原理かも知れな
い。似通っている。正確なところはわからず、暖かな空気は軽いし、それから冷たい
空気は重いはず。そうゆう感じがする。空気が頭の上にたくさんあるときが高気圧のよう
だが、はたして真相はどうか。わからない。圧力というのはありそうで、これは灯油を段差
を利用して、つまりは空気圧だが、入れる。サイホンの原理。それはいいか。わからない
ことを書いている。水銀柱というところ辺りから、わからないという感触があって、その
説明を見るたびに、頭が痛むから、もっとも受け入れがたいもののようだ。

  風がきのうの午後から強く、それゆえ北陸本線の電車もいくつか、運休かしていて、
混乱した。今朝は今朝で、東京からのANAの朝の便が、視界不良で降りられず、計器飛行が
可能な小松に、行き先が変わったというから、やはり雪は、それなりの被害というか、困難
さを人の行動に与えるようだ。高が10cmの雪でも事故は起こるし、また歩くのに難儀する。
まったく雪さえなかったら長靴などはかなくて済むのになー。ぼやきの一声も二声も
聞こえて、我慢が強いられる。これは寒修行とかにつながるのか、あるいは私欲を捨てる
などの生き方につながるかというと、そうゆうわけにはいかないだろう。

  雪の降る音が問題で、きのうの風はきのうの夕刻にはおさまっていて、その後は寒気の
中にすっぽりときれいさっぱりと包まれたかのようだが、そうでもないようで、毎度、
レーダー・降水ナウキャストを見たりするが、日本海の沿岸で、まるで煙突から煙が吐き
出されるように、雪雲が発生しているようだが、その量も少ないのか、今のところは小雪
である。今のところ。明日は明日にならないと、わからずでも多分そうはひどい雪には
ならないと、ここは信じるしかない。雪の上というと、これは雨でもアラレでも台風でも
同じで、晴れていて、その先にあるものは一体に何か。最後はやはり荒れ狂う台風があろ
うが、雪が降っていようが、地面に戻らないと生きていけない。雲の上の話しは概して
一瞬である。
  雪の音が先ほど聞こえた。これはしかし細かくいうとアラレのようで、北風に乗って、
窓をたたいてくれた。これがある方が、警告の意味もあってありがたい。しかし、これが
フワフワで、それから細かい粉雪であると、音というものはもう聞こえない。それを今日
は体験したようで、ただぼんやりと外を見ていただけだが、雪は降っていて、周りに音は
なく、ただ耳鳴りの不快な音が弱いながらあった。

  音というと、ある人にとってその不快さは甚だしいというときがあるようだ。逆にいう
と、音楽があり、はやりの歌、流行の歌があって今どきのポップスがある。ということに
なるのだろうけど、これは聞き流しているくらいだから書きようがない。問題は、騒音で
はないか、という音の大きさで、でもこれは通勤通学電車の中での漏れ聞こえる、高音のシャ
キシャキというものでなく、またそうゆうものも今はないのだろうけど、TVの変化のない、
毎度のCMとか、あるいはワイドショーといわれるもの、それから通販のものでも、母はこれ
を朝から、少し遅いが、夜も程ほどまで聞いているようで、昔はそうゆう暇もないときが多
く、今は大きめの音で私がときにそこにゆくとちょっと耐え切れない音の大きさであって、
小さくもする。断って、そうゆうことをやる。大き目の音、炸裂音、あるいは繰り返し
の音というのが嫌なので、嫌悪を超えるものがあって、ここは我慢するとそれこそスト
レスが溜まる。音の不快感は、快感と同様に影響は大きい。

  で、雪に戻ると、音のしない雪は朝まで降り積もるとこれは大変なことになるが、経験
上例えば「いえ」が倒壊するとかいう、ところまではいかない。でも、そうゆうときが一番
怖い。雪の音はあった方がいいのだ。ないが。他にあった方がいいのは、これは車の適度な
エンジン音だ。静かな車くらい、特に今のような雪の降る冬は怖いものはない。ちょっと
細めの道を歩いていて、すぐ後に静かすぎるエンジン音の車、という経験が二、三度あっ
てひやりとした。音もあっていいもの、ない方がいいものいろいろ。情報の一つでもあ
るが、それがときに騒音に変わり、耐え切れないものになって、またあるときは、無理に
消さないといけない、と思えるときもある。



  雪だと困るという考えは捨てて、都合のいいように解釈して、
  例えば雪の消えている場合と、また新たに積もった場合、というのは
  どのように違うか。
  これはいつものことだったが、・・・。




  サクサクという感じで、どこともわからぬ荒れているように見える場所。




  ドウダンツツジも、例年になく元気なし。




  あー石があって、その上に生き物が、それくらいに長くこの石はあって、
  また雪との付き合いも長かった。これからも、石はなくならず、か。




  石灯籠は、これも年季が入っていて、きっと昔はもう少し日が当たった。




  何度か、トータルでいうとすごい数。でこの冬だと、四回目の雪に
  なるのだろうか。どっこいしょと、雪をかぶる。




  10cm前後か、溶け始めの雪で、これは一回すべて特に植物の上の
  ものは溶けたようだ。




  緑の色が少し現われる。




  一番右側は、元画像の一番右側でもあって、切り取っているが、
  ちょうど雪が溶けて落ちた瞬間で、それが雪片の流れのようになって
  写っている。



雪柿とか、雪梅とか

2010-02-03 16:10:09 | 植物・花(冬)
  朝起きたとき、久しぶりに使い捨てのカイロというのを
  腰の後に張り付けた。はっつける、感じである。
  でも寒いと、腰の辺りも寒く、暖かさは感じられない。
  だめか、と思ったが、気温というか室温も暖房で上がると
  これの効果はある。腰をカイロで暖めるのはいいようだ。

  雪は降っているが、晴れ間も出るし、また溶けていて、
  今はさほど緊張感も恐怖感もなく、勝手に降れという気持ち。
  午後3時までの積雪は、気象台の値で、かなり溶けての、7cm。
  しかし今はまた雪は激しい。
  でも、個人的にはそうは降らないと思うし、そう決めている。



  雪はもういい。いらない。まったくその通りだが、それ以外はないし
  また一眼だと短い時間で、多少はファイルを増産も出来る。
  後から、それを見るのは面倒だが、ほどほどに、
  木に積もる雪、というのを撮った。花のつもり。




  柿に、雪の花。柿もこれくらいの雪では折れない。もう慣れている。




  真ん中辺りがギンモクセイで、右はツバキ。




  梅に雪。白梅とかいう言いかただと、雪梅。これもすぐに溶けた。




  軽い雪である。枝が横に曲がっているのは、これまでの大雪で。




  別の角度から。同じ梅、花芽は少ない。




  同じ写真が並ぶが、右側はモチノキで、ときに大きな雪の塊が
  出来る。大きすぎると、折れる。




  青い光りは朝。瓦の雪は少なめだった。

  あれあれ、吹雪になっている。



美しすぎる、雪

2010-02-03 06:46:15 | 散策


  2m以上はあった、まるでヒマラヤ山脈かと思われる、人工の雪山は、
  ここまで小さくなって、高さは50cmくらい。
  ここに、また雪が積もっているのか。
  切ないこと。



  朝のお天気は、雪。まったく、本物の雪が降っていて積もっている。少し増えたようで、また雪は今も降っている。積雪は、暗くてわからないが、5cm以上はあって、20cmはない。間違いない範囲を書いた。風はほとんどない。

  アメダスの6時の気温、0.1℃。かろうじてプラス。気圧は1016.4hPa、湿度は98%。気象台の値となるが、積雪深は、9cm。室温は、6.1℃。

  きのうは珍しく、プラのゴミの日で、溜めてあったものを出した。慌てて、というか、気が付いて、ちょっと多くなったプラの回収ゴミ、プラス、緩衝材の一回分、後者は目の前にあった、を、もう回収の車が来る、というころ出しにいった。幸いか、まだ車は来ておらず、またゴミの量もそう多くはなかった。なぜか。そのとき、この道は中学校への通学路になるところでもあって、
  おはようございます、という声が聞こえる。習慣か、誰が言ったのかもわからず、同じ返事をしたが、それは、男の中学生の挨拶だと、すぐにわかった。なかなか、いいものだ、と思う。誰か知らないが。昔は、知らない人に声をかけてはいけない、といわれたものだが。さらに、この地域では、小学生もこれをやる。いいことだが、少し戸惑う。

  食パンを電子レンジでチンした、という人は答えを知っているが、それを今回は、水も振りかけずにやってみた。どうなったか。水は不要で、食パンは耳以外は、フワフワになり、つまり形というか、硬さは失われて柔らかなスポンジみたいになる。空気に近い。これにバターなど塗るのはむつかしい。温かさはある。食べてみると、なかなか噛めない。